八千代さんが来てから、数日後。

「すみません、駄菓子屋六角堂はこちらでよろしいでしょうか?」

 開けっ放しの扉の前に、四十代ぐらいの男性がぽつんと立っていた。少し不安そうな表情でこちらを見ている。

「はい、そうですが」

 あたしが答えると、男性はほっと息を吐き出した。

「先日は母がお世話になりました。私、今井八千代の息子です」
「あっ……どうも」

 あたしと柳田さんはペコリと頭を下げる。八千代さんの息子さん……確かに、そう言われてみれば目元のあたりが八千代さんに似ている気がする。それにしても、今日はどうしたんだろう。八千代さんは来てないのかな?

「あの、今日は八千代さんとご一緒じゃないんですか?」

 そう聞くと、息子さんは寂しげに微笑んだ。

「……母は亡くなりました。ここに来た、次の日に」
「……え?」

 全身からサッと血の気が引いた。八千代さんが……亡くなった? しかも、ここに来た翌日に?

「そ、そんな……だって、あんなに元気そうだったのに」

 あたしは自分の震える手を握った。嘘だ……だってまた来るって。待ってるって、約束したのに……!

「母はずっと入院していたんです。それで先日、余命幾許もないと宣告されて……。そんな母が最後にどうしてもこの駄菓子屋に行きたいと言い出して。お医者さんに無理を言って外出許可を貰ったんです」

 あたしは呆然と立ち尽くす。

「……母は、母は幸せだと言っていました。最後に父との思い出が詰まった場所に来られて。思い出の金平糖が貰えて。孫みたいなかわいい子達と新しい思い出が出来て。本当に嬉しかった、と」

 息子さんはあたし達に向かって深々と頭を下げる。

「柳田さん、花森さん。父と母の思い出の場所を守ってくださり、本当にありがとうございました」

 気付けばあたしの目からはたくさんの涙が溢れ出ていた。あの日の八千代さんの顔が次々と浮かんでくる。室内を見回す懐かしそうな顔、思い出の場所が何一つ変わってないと感動してる顔、プロポーズの話をしながら恥ずかしそうに笑う顔、去り際に見せた、満面の笑み。

 息子さんから渡されたのは、あの日金平糖を入れた小瓶に結んだ赤いリボンだった。

 あたしはそれを握りしめながら、こぼれ落ちる涙を静かに拭った。