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「こんにちは」
そのお客さんが来たのは、夏の気配が近付いてきた蒸し暑い日の事だった。いつものように店先の掃除をしていると、白いレースの付いた日傘を差した上品なご婦人に声を掛けられた。
「失礼ですけど、こちら、駄菓子屋六角堂さんで間違いないかしら?」
首をコテンと傾げながら、婦人は確認するようにあたしに言った。
「はい。駄菓子屋六角堂はこちらで間違いないですよ」
「まぁ! やっぱりそうなのね! 嬉しいわ、全然変わってない」
婦人は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ごめんなさいね。久しぶりにこの町に来たもんだからはしゃいじゃって」
「いえいえ。あ、良かったら中で休んで行きませんか? 日差しも強いですし」
「まぁ、いいの? それじゃあお言葉に甘えさせて頂くわ」
「どうぞこちらの席にお座り下さい。今飲みもの持ってきますから」
あたしは竹箒を元の場所に戻し、カウンターの奥でパソコンとガン飛ばし合う柳田さんに声を掛けた。
「柳田さん、お客様ですよ。新規の!」
「新規ぃ?」
キーボードを叩いていた手を止め、店の中を覗き込む。ご婦人はキラキラと目を輝かせながら店内のあちこちを見ていた。
「確かに……見た事ない顔だな」
独り言のように呟くと、柳田さんはすぐに立ち上がって店に出た。
「いらっしゃいませ」
ゆっくりとした動作で振り返った婦人は、柳田さんと顔を合わせた途端目を丸くする。
「まぁ、あなたもしかして真一郎さんの息子さん?」
真一郎……確かそれは柳田さんのおじいさんの名前だ。という事は、このご婦人は柳田さんのおじいさんの知り合いなのだろうか。
「いえ、俺は孫の真尋です」
「あら、お孫さんだったの。ごめんなさいね、そっくりだったから息子さんかと思ったわ。真一郎さんはお元気?」
「残念ながら祖父は数年前に亡くなりまして……」
「まぁ……そうだったの」
婦人は悲しそうに目を伏せる。
「ええ。今は孫の俺がこの店を継いだんです」
「まぁ、継いでくれて良かったわ。実は私、昔ここの常連客だったのよ」
顔を上げた婦人は懐かしそうに店内を見ながら言った。
「このお店は亡くなった夫との思い出の場所なの。今どうなってるか気になって六十年ぶりに訪ねてみたんだけど、全然変わってなくて驚いたわ! 他の場所は町並みも含めて随分様変わりしてるのに、ここだけは昔のまんま。もう嬉しくて嬉しくて」
「ありがとうございます」
柳田さんが珍しく微笑んだ。あたしはこのタイミングで用意していた麦茶を婦人の元に運んだ。
「良かったら飲んで下さい」
「あらありがとう。後でお金払うわね」
「いえいえ! これはサービスですから!」
「でも……」
「祖父の代からの常連さんがせっかく来てくださったんですから、これくらいはサービスさせて下さい」
柳田さんが言うと、婦人は渋々ながら納得してくれた。ていうか柳田さん、ちゃんと敬語とか使えるんだ。少しは愛想も振り撒けるんじゃん。似合わないけど。
「そういえば、名前も名乗らずごめんなさい。私、今井八千代と申します」
「あ、花森小町です」
「小町さんていうのね。あなたにぴったりの可愛い名前だわ」
八千代さんはふふ、と微笑んだ。
「しかしまぁ、この店は本当に変わらないわねぇ。その瓶のラムネも久しぶりに見たわ。……あら、端っこにあるのねりあめじゃない? 棒付きのやつ」
「ねりあめ?」
「小町ちゃん知らない? 粘り気のある色の付いた水飴を割り箸の先に付けて、くるくる回して練っていくお菓子。透明な水飴が白っぽくなって、程よい固さに練ってから食べるのよ」
「へぇ〜!」
「懐かしいわぁ。あの人ってばねりあめの練り方に妙にこだわっちゃってね。そうじゃない、練るときは箸をバツにするように! とかいちいちうるさくて。いっつも喧嘩しながら食べてたのよね」
八千代さんは旦那さんとの思い出を語る。
「実はね真尋くん。あなたのおじいさんは私と旦那のキューピットだったのよ?」
「キュー……ピットですか?」
柳田さんは怪訝な顔を隠さない。その反応が面白かったのか、八千代さんはクスクスと笑いながら話し出した。
「私、金平糖が好きでね。ここでもよく買って食べてたの。そしたらある日、あの人が小さなガラス瓶に入った金平糖をプレゼントしてくれてね? コルクで栓がしてあって、赤いリボンが付いたなかなか可愛い瓶だったんだけど……あの人、渡す時なんて言ったと思う?」
ええと、プレゼントってことはおめでとうとか、いつもありがとうとかかな? あたしの答えに、八千代さんは首を横に振った。
「〝この金平糖を毎日一つずつ食べて、全部食べきったら結婚しよう〟ですって! あの人ってば突然プロポーズしてきたのよ、駄菓子屋で! 笑っちゃうでしょう?」
あたしと柳田さんは揃ってポカンと口を開ける。それはまたなんというか、随分独創的なプロポーズというか。
「しかもね、金平糖に紛れて指輪まで入れてたのよ? ふふっ、取り出すのに苦労したわぁ。あとから聞いたら真一郎さんのアドバイスだったんですって。あなたのおじいさんはロマンチストだったのね。でも、まさか六角堂でやるとは思わなかったって驚いてたわ」
思い出を語る八千代さんはとても楽しそうで、聞いてるこっちまで笑顔になってしまった。
室内にリリリリリリリ、と携帯のアラーム音が鳴り響く。八千代さんの眉尻が下がった。
「あら、もう時間だわ。戻らないと」
そう言って名残惜しそうにゆっくりと立ち上がる。歩くために手を貸すと、その肩は想像していた以上に華奢だった。
「今日はどうもありがとう。とっても楽しかったわ」
「こちらこそ! 素敵なお話たくさん聞けて楽しかったです!」
「今日、ここに来れて本当に良かった。まるであの頃に戻ったみたいで幸せだったわ」
「是非また来て下さい! あたし待ってますから!」
そう言うと、八千代さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「そうね。また来るわ」
「八千代さん」
奥の部屋に行っていた柳田さんが、八千代さんの前に立った。
「……これ、良かったら」
柳田さんの手にあるのは、小さなガラスの瓶だった。色とりどりの金平糖が入った小さな瓶。コルクで栓がされ、赤いリボンも付いている。八千代さんの、思い出の金平糖。
「なん、で……」
「話聞いて今作ったんですよ。指輪は入ってないけど」
軽く冗談を言いながら、柳田さんは八千代さんに手渡す。小さく震える彼女の目には、うっすらと涙の膜が出来ていた。
「……真尋くん。私たちの思い出のお店を残してくれてありがとう。本当にありがとう。おかげで元気が出たわ。これからも、出来る限りこのお店を続けていってね」
「はい」
「ありがとう。約束よ」
八千代さんは花が咲いたような笑顔を見せると、六角堂を後にした。