と土岐を紹介した。そのときは、それだけだった。土岐の鈴木に対する印象は、ダブルの背広を着た成金というようなものだった。物腰は紳士的だが、詐欺師のような雰囲気を感じた。どこかで、鈴木と砂田が同じ大学の出身ということを聞いたことがあった。先刻の鈴木の電話の様子だと、鈴木は土岐のことを覚えていないようだった。
 土岐が隣の事務室に戻ってしばらくすると、専務理事の萩本が着古した紺の背広の袖口をてかてかさせて理事長室から半身を出した。それに呼応するように金井が立ち上がり、土岐を無言で手招きした。土岐は金井のあとに続いて、理事長室に入った。理事長室は角部屋で、はめ殺しの大きな窓がコーナーの太い海老茶の角柱を境に東と南に面していた。事務室と同じくらいのスペースがある。南の窓からは、点々と連なるモノクロの京浜工業地帯が見渡せた。中小零細企業の低賃金労働者がうごめく下界が理事長の椅子の背後から箱庭模型のように見下ろせた。東の窓からは新橋方面のIC基板のようなビジネス街が眺望できた。
 理事長の篠塚は高名な経済学者で、本務校で教鞭をとっているため、週一、二回しか顔を出さない。そんな理事長を金井と専務理事が支えているのは同じ大学の出身だからだろうと土岐は感じている。理事長に支給している手当ては、
「宣伝広告費のようなものだ」
と金井はいつも口癖のように言う。金井は折に触れ、自分の出身大学の同窓生の結束の固さを土岐に匂わせる。理事長の教え子が外務省の局長クラスにいて、東南アジアの小国の大使にどうかという話が去年持ち上がったこともあった。
 金井は理事長を広告塔のような存在として利用しているのではないかと土岐は考えている。小規模な国立大学の同窓生の結束の固さというのは、お互いに利用しあうということなのだろうというのが土岐の感想だった。
 専務理事の机は、理事長の机とほぼ同じ規格で、東向きの窓を背にしていた。背後に鈍くきらめくアルミ箔のような東京湾が横たわっている。時折、羽田空港から離着陸するプラモデルのような飛行機が眺められた。
 理事長の机と専務理事の机とドアに囲まれた部屋の中央に本皮造りの応接セットがある。三人掛けの長いソフソファーに金井と土岐が腰掛け、肘掛つきの一人掛けのソファーに萩原がふんぞりかえって、短い足を組んだ。