「本国では僅かな退職金でも、ここでは十年分の生活費に相当するんで派遣員は現地宿舎をあてがわれ、手弁当で非公式に職務を継続している。海外現地ボランティアということだ。こっちはビザの延長では、東奔西走させられた。派遣員の両親に説得させることも考えた。両親の説得の文面を代筆起草し、ヒジノローマの農業試験場宛のエアメール封筒まで用意した。しかし特命全権大使から反対が出た。『両親が本省に問い合わせたら、まずいのでは』という意見だ」
と箸を持ちなおし、
「マスコミか野党が嗅ぎ付けて週刊誌ネタにでもなったら予算委員会で叩かれることは間違いない。そうでなくても特命全権大使と大使館員全員の汚点となる。減点主義の官庁に仕える官僚としては危ない橋は渡らない方が得策だ。結局、この代筆案はエアメールを出す直前で廃案となった。見るに見かねてコマーシャルアタッシェも、普段は何もすることがないんで、派遣員に直接電話してみたそうだ。『今月いっぱいは、とにかく農業試験場を離れられない』の一点張りだったそうだ。本人が来なければ授賞式はなんの意味もない。一世代前のオープンワイヤー回線の長距離電話で、雑音が多く、幾度も途中で切れたりして、要を得なかったらしい」
と加藤の怒りの口吻は依然としておさまらない。
「この国にいれば、百姓でも、先生様だ。農業高校出だから、偏差はせいぜい四十だ。自腹を切ってまでして、なんでヒジノローマのような僻地に、三年もいなければならないのか。この国の内務大臣が会いたいと言ってるんだぞ!」
と加藤は苛立たしそうに象牙色のプラスティックの箸を握り締めた。
「奴の人生にとって、何の意味があるのか。頭がどうかしているんじゃないか。もっとも、まともな人間は派遣員にはいないけど。まったく偏差値の低い奴等の考えていることは本当に理解できない。我々に関わって欲しくないもんだ」
と加藤は憤然と箸に怒気を込める。折れんばかりに叩きつけた。
「やつはたいした給料も貰らっていなかったはずだ。だいたい海外派遣されると本国の出世ラインから外される。この国は、とくにそうだ。だから、まともな人間は、こんな小国には、絶対来ないはずだ。私は例外だが」
と加藤は憤懣とともにシュリンプスープを啜る。