三輪タクシーは門柱の前で止まった。
 長谷川は薄汚れた紙幣を二枚だした。
「釣りはとっとけ」
と言い添えた。運転手は紙幣を手のひらに乗せたまま、不満げに首をかしげた。首筋の脂汗がきらめいている。皺だらけで、手垢のしみこんだ紙片が微風にそよいだ。運転手はあわてて親指で紙幣を抑えた。凝縮された脂汗の悪臭が漂う。
 紙幣の国鳥の印刷が手垢で不鮮明になっている。多色刷りのはずだが、黒インクの網掛け一色刷りに見える。
 メーター料金を確認した。素早く暗算してみる。釣銭は料金の五パーセントに少し足りない。
 長谷川は一瞬逡巡して、
「充分だ」
と言い掛けた。言うのが面倒になったようでポケットの小銭をすべて渡した。後足で蹴るようにして、タクシーを降りた。レストランに向かって歩きながら長谷川が残った紙幣を土岐に見せた。
「この国の紙幣については前任者から多くのことを教えてもらった。先進国では中央銀行が紙幣を回収し検札機にかけて汚れて一定の基準を満たさなくなったものをシュレッダーで裁断する。紙幣に対する国民の信認を維持するためだ。この国ではそれをやらない。紙幣の隅で釣銭を鉛筆書きで計算しても角が擦り切れても手垢で汚れ切っても破れかけてセロファンテープが貼り付けられても放置され流通し続ける」
と紙幣に鼻を近づけ、顔をしかめ、
「薄汚れた紙幣をシュレッダーにかけない理由は紙幣の用紙と印刷を旧宗主国に発注しているからだ。紙幣増刷には外貨が要る。多少汚れてももったいなくて処分できない。かくしてこれが中央銀行券かと見まがうような紙幣が堂々と流通する。だから自動支払い機も普及しない。とくに流通速度の速い小額紙幣は鼻摘まみものだ。汚物以外の何物でもない。綺麗な高額紙幣は結婚するときの結納金や持参金として退蔵され市中から駆逐される。グレシャムの法則をこの国ではリアルタイムで観察できる」
と紙幣をポケットにねじ込み、