そこで、ブランチを終えた。次に開いたメールも高校からだった。
@海野元治様。件名の馬田重史様は旧制広島中学を四年で卒業後、当校の屋上からも遠望できる江田島の海軍兵学校へ入学したと記録されています。そのため、原爆投下にも遭遇せず、戦後は東京証券取引所一部上場の八紘物産の代表取締役社長に就任したわが校屈指の秀才です。詳細については、八紘物産の方へお問い合わせ願えれば幸甚です。広島高等学校校長・川村義純@
 海軍兵学校についてもネット検索してみた。
 海軍兵学校の受験資格は十六歳から十九歳で、旧制中学校四年修了程度の学力が求められ、受験倍率は二十倍を超えていた。他の教育機関では排斥されていた英語教育が徹底的に行われた。
 馬田重史が海軍兵学校で敵性言語の英語を学び、戦後その能力を生かして八紘物産で活躍したであろうことは想像できた。
 一般の教育機関では、英語教育が太平洋戦争突入以降回避された。戦後、英語を操れる人材が枯渇する中、馬田重史がGHQと渡り合って、八紘物産の戦後復興に寄与した。そうであるとすれば、キャノン機関やM資金や隠匿退蔵物資と最もかかわりのあったのは馬田重史かも知れない。その馬田と廣川弘毅が接触を持ったことから、吉野幸三元刑事の捜査情報に組み込まれた可能性もある。
 土岐は海軍兵学校の同窓会事務所をインターネットで検索し、そのメールアドレスに問い合わせのメールを送信した。
@海軍兵学校同窓会事務局御中。ある殺人事件で捜査を行っている茅場署の海野と申します。大正十五年生まれで、旧制広島中学を四年で卒業し、江田島に入学した馬田重史氏と親しかった人物を探しております。お手数ですが、返信メールにてご紹介願えれば幸いです。茅場署警部補海野元治@
 三つ目の高校からの返信は、船井肇についての問い合わせだった。
@海野元治様。とりいそぎ、ご返信申し上げます。お問い合わせの船井肇元代議士は、旧制長野中学校の立志伝中の人物で、同窓会の事務局長に問い合わせたところ船井氏は舞鶴の海軍機関学校に入学したそうです。その後のことについては東京の船井肇一級建築士事務所にお問い合わせしたらいかがでしょうか。長野高等学校教務主任・松村厚志@
 海軍機関学校についてもネット検索してみた。