終戦時の年齢は、長瀬啓志が二十一歳、船井肇が二十二歳、馬田重史が二十歳になる。玉井要蔵を除き、他の三名は何らかの形で戦争にかかわっていたはずだ。戦時中に大学に進学していなければ、招集猶予がないはずだから、甲種合格か乙種合格であれば、どこかの部隊に招集されていた。旧制中学卒業後から戦後、履歴に掲載されるまでの戦中戦後の経歴が欠落している。廣川弘毅は大正十五年生まれだから終戦時は二十歳だ。廣川弘毅も戦中戦後の履歴が詳らかでない。
 海野の名前を借名して、長瀬啓志、船井肇、馬田重史の三名について、現在は高校となっている旧制中学校に卒業後の進路についてメールで問い合わせることにした。最初に海野に断りのメールを送信した。
@海野刑事。調査上の必要から、海野刑事の名前を騙らせてもらいます。廣川弘毅が開示情報を持参して配付していた大手町の船井ビルのテナントについて調査します。メールの内容はのちほどBCCで送信します。土岐明@
 旧制中学は戦後は新制高等学校として存続している筈だと当たりをつけた。
 同じ文面でそれぞれの高等学校のホームページのお問い合わせのリンクから同文のメールを送信した。
@突然のメールにて失礼します。現在ある殺人事件について捜査をしております。件名に氏名のある旧制中学校の卒業生について、卒業後の進路についての情報を頂ければ幸甚です。なにぶん、半世紀以上も昔のことなので、お手数をかけることになるとは思いますが可及的速やかにご返信いただければ幸いです。尚、ご返信は茅場署へではなく、このメールの個人アドレスにいただくようお願い申し上げます。茅場署警部補海野元治@
 返信がくるまでインターネットで、〈株式会社神州塗料〉のホームページにアクセスすることにした。
 IR情報のタブをクリックして、有価証券報告書と決算短信を閲覧した。上場したのは戦後だが、設立は戦前だった。堅実な経営をやっているようで、営業利益と経常利益に目立った変動はない。大儲けもしていないようだが、赤字経営には近年一度も転落していない。古い上場企業がそうであるように、神州塗料の大株主も金融機関や損保などの機関投資家で占められていた。
 土岐はIR情報画面のお問い合わせタブから、IR室にメールを送信した。