四階と五階に入居している船井肇一級建築士は、大正十三年長野県生まれ。旧制長野中学校卒業。戦後、早稲田大学理工学部建築科を卒業している。昭和二十七年に、公職選挙法施行後初の第二十五回衆議院議員選挙で初当選。昭和三十年の保守合同以来初の昭和三十三年の第二十八回総選挙に落選し、建築士事務所を設立。以来、大型土木工事の政界とゼネコンを結び付けるフィクサーとして暗躍し、奥沢に在住で、現在に至る。昨年、紫綬褒章を受章している。
 七階に部屋を構える馬田重史八紘物産名誉相談役は、大正十五年広島県生まれ。旧制広島中学校卒業。戦後、慶応義塾大学経済学部を卒業している。昭和二十九年に八紘物産に入社、昭和四十九年取締役、昭和五十五年代表取締役社長、昭和六十三年代表取締役会長、平成八年相談役、平成十二年名誉相談役を経て、成城に在住で、現在に至る。一昨年、紫綬褒章を受章している。
 八階の玉井企画は代表が玉井要蔵で、昭和四年千葉県生まれ。旧制千葉中学校を卒業。戦後中央大学の夜間部を卒業している。ノンキャリアとして警視庁捜査4課を中心に一貫してマル総(総会屋)を担当し、平成元年、定年と同時に特暴連(社団法人警視庁管内特殊暴力防止対策連合会)を中心となって設立し、理事、嘱託を歴任し、現在大手町支部長を務める。神田須田町に在住している。
 船井ビルの四人はいずれも高齢だ。玉井要蔵以外は年代的にほぼ同一だ。以上四人の中で、廣川弘毅と直接関係のありそうなのは玉井企画の玉井要蔵だが、玉井要蔵は総会屋を取り締まる側だったから、廣川弘毅とは対立関係にある。しかし、〈開示情報〉という雑誌に広告を掲載していたということは、何らかの形で利害を共有していたことを意味する。
 玉井要蔵は終戦時に十六歳だから、兵役を記載していない事情は推察できる。しかし、他の三名は戦後それなりに地位のあるポストを歴任しているので、旧制中学と新制大学の間にあったはずの兵役の記載がない理由が理解できない。旧制中学卒業であれば十七歳で高等学校に進学したことになる。