療養士がスリッパのすり足で近寄ってきた。花と菓子折を車いすの愛子の膝に置いた。
「・・・面会はもうよろしいんですか?」
と首を少しかしげて親しげに土岐に聞く。
 土岐は力なく黙って頷いた。
 療養士は、愛子の車いすをサンルームの反対側の個室に押して行った。土岐もついて行った。入口にドアがない。二葉の浅黄色の長い暖簾があるだけだ。
 個室は四畳半ほどの広さで、壁際にベッドがあり、入り口の脇にトイレがあった。ベッドの下に収納があるだけで、あとは何もなかった。殺風景な終の棲家だった。
 こういう生活が自分にとって幸か不幸か認識できないことは、愛子にとってはむしろ幸せなのかも知れない。
 療養士は菓子折を愛子の膝の上からベッドの上に移し、花束を持つと、愛子の耳元に語りかけた。愛子は何も言わない。
 療養士は背後の土岐に許可を求めた。
「・・・食堂に持って行ってもよろしいですか?」
「どうぞ。みんなで見ても減るというものでもないですから・・・」
と土岐は反射的に答えた。
 療養士は花束を奥の食堂に持っていくと、しばらくして戻ってきた。愛子の後頭部から何かを囁きながら大きなガラス窓の前に車いすを押して行った。 
 土岐は一階に下りて行った。土岐が一階の受付で面会時間の終了時刻を記入し、待っていると、しばらくして療養士がスリッパを鳴らして下りてきた。
 療養士が、受付の脇の簡素な長椅子を勧める。
 二人は隣同士にななめに腰かけて談話した。
 感情表現の乏しい女だった。こうした話を喜怒哀楽豊かに語るのも不自然だが、それにしても感情の起伏のないしゃべり方だった。痴呆老人たちの世話で、豊かな情感をスポイルされてしまったような印象を受けた。
 
送受信調査(九月三十日木曜日)

 木曜日の午前中は、洗濯機の自動設定のスイッチを入れてから、インターネットで船井ビルのテナントの素性を調べることにした。
 二階と三階に入居している長瀬啓志公認会計士については、簡単な略歴が記載されていた。大正十四年神奈川県生まれ。旧制神奈川中学校卒業。戦後、社会福祉事業大学を卒業している。公認会計士になったのは昭和二十五年、昭和五十五年にセントラル監査法人の代表社員となり、昭和六十年に定年退職後独立し、長瀬啓志公認会士事務所を設立して、八丁堀在住で現在に至っている。