一階の短資会社の事務室はブロカールームではなく、短期証券取引の仲介業務の事後事務を集中して処理しているところのようだった。一九九八年の外為法改正以降に西田・ウッズ・下田・ウェルカムの四社の短資会社が合併してできた会社であることが、〈西ウ下ウェル〉の社名から推察できた。
 土岐は非常階段を二階に上った。二階は公認会計士事務所の応接室らしいことがドアの様子から推測できた。ワンフロアのスペースは一五〇平米ほどしかない。三階は資料室とスタッフの待機場所らしかった。
 四階は一級建築士事務所の応接室、五階は資料室と設計室に充てられているようだった。
 六階は八紘物産の第二総務部の事務室で社員が事務を取り行っている雰囲気があった。七階は八紘物産の名誉相談役室になっていた。〈馬田重史〉というネームプレートがあった。
 最上階の八階は玉井企画の本社事務所になっていたが、ドアの表示には、〈玉井企画〉という会社名のほかに、看板表示のような〈特暴連大手町支部〉という記載もあった。
 
 船井ビルを出てから、群馬県水上の特別養護老人ホームの電話番号を携帯ウェッブで調べてビルの谷間から電話してみた。若い女の声がすぐ出てきた。大手町か水上か、いずれかの電波の状態が悪いのか、声が途切れている。
「中井愛子さんに面会したいんですが、面会時間はどうなっているんでしょうか」
 女の声のトーンが急に暗く変わった。
「この日曜日に、引っ越しましたけど・・・船橋、法典、とかいう、ところのホームです」
 電話を切るなり、土岐は船橋法典の特別養護老人ホームの電話番号を調べて掛けてみた。呼び出し音六回で若い男の声が息を弾ませて出てきた。電話を切りかけたところだった。
「中井愛子さんが最近来られたと思うんですが・・・面会時間を教えてもらえますか?」
「受付の開いている時間でしたら、いつでも結構なんですが・・・」
 東西線に乗り込んだのは二時過ぎだった。船橋法典に五十分ほどで着いた。跨線橋の上に駅舎があった。
 制帽をかぶった駅員に特別養護老人ホームの所在地を聞く。紺の制服を着た駅員の指さす方角を見ると、駅舎の二倍ほどの規模のそっけないスーパーマーケットの広告塔が間近に見えた。