元運転手の武井孝が言っていたビルらしい建物がすぐ見つかった。入り口脇の黒い御影石の定礎のプレートに、〈船井ビル:昭和五十五年竣工〉と刻まれてあった。安普請のビルが預金残高で日本第一位の都銀の本店と売上高で日本第一位の八紘物産の本社の巨大ビルに挟まれて、周囲の繁栄から忘れ去られたようにひっそりと建っていた。中途半端な敷地だったため、バブル経済の盛りに地上げに遭わなかった。
 正面玄関から薄暗いエレベーターホールを抜けて、そのまま裏手の通用口のステンレスのメールボックスの前に行った。
 八階までテナントがふさがっていた。一階が短資会社の事務室、二階と三階が公認会計士事務所、四階と五階が一級建築士事務所、六階と七階が八紘物産の第二総務部、八階が玉井企画の事務室になっていた。
 メールボックスのネームプレートを見ながら、不意に心臓の鼓動が速くなるのを覚えた。もう一度確認した。公認会計士事務所のオーナーは長瀬啓志、一級建築士事務所のオーナーは船井肇、玉井企画の代表は玉井要蔵になっていた。
 土岐は奥沢の大田区立図書館と茅場町の有価証券図書館で、〈開示情報〉という雑誌の広告でこのビルのテナントの名前を見た。広告では、〈アイテイ〉に目を奪われていたが、長瀬啓志公認会計士事務所も船井肇一級建築士事務所も玉井企画も、散発的に、〈開示情報〉という雑誌に広告を掲載していた。
 廣川弘毅がこのビルに運転手を伴って、〈開示情報〉という雑誌を持ってきたとしても、それが広告主であれば何の不思議もない。しかし、なぜここだけ郵送でなかったのか。兜町の開示情報社から車で五分程度の距離だから、わざわざ郵送にしなかったという理由は成り立つ。しかし、そうであるとすると他にはなかったのか。
 大手町には一部上場企業の本社や本店がひしめき合っている。第二次商法改正で、そうした大企業への定期購読のとりつけが困難になったとしても、なぜこのビルに広告主が集中しているのか。八紘物産は東証一部上場の大企業だが、公認会計士事務所と一級建築士事務所と玉井企画は上場企業ではない。
 土岐はビルの様子を偵察してみることにした。