相田貞子の話をすると薄暗がりの陰影の中で、民子の目が猫のように怪しく光ったような気がした。立っているのがだるくなったのか、民子は廊下の白壁に左手をついて、クロス地の壁に体重の何分かをあずけている。はうんざりしたように顎を少し突き出した。土岐も同じ姿勢で立たされたままで、足が少しだるくなってきた。民子は口ぶり、立ち姿、人を食ったような表情、どれをとっても素人女には見えなかった。当日のアリバイを聞くと、猫と一緒だったという。
 土岐が頭を下げて、アルコープに退くと、ドアがさっさと閉められ、施錠され、せわしなくチェーンの掛けられる音がした。外廊下はすっかり暗くなっていた。光センサーが作動して、エレベーターホールにスポットライトが悄然とともされていた。

 落合の改札で腕時計を見ると五時近くになっていた。
 土岐は南北線の白金台で下車した。地上に出ると、あたりは夜のとばりと晩秋間近い冷気に支配されていた。
 白金台高校はそこから徒歩五分の距離にあった。背丈ほどもある鉄柵越しの濃紺の夕闇の中に、教務員室の蛍光灯の明かりが黄色く煌々と浮かび上がっていた。
 通用門で警備会社の警備員に呼び止められた。土岐が名刺を出して、廣川浩司の名前を告げると、警備員が内線で連絡をとった。教務員室の中で受話器を取り上げる男の姿が影絵のようにぼんやりと見えた。その男がこちらを向いたが、夕闇にたたずむ土岐を確認できないようだった。
 警備員の指示に従って教務員室の外を迂回し、校舎の裏口から入ると、先刻の教務員室の中の男が廊下に出て待っていた。薄暗い廊下で、廣川浩司の顔はよく確認できなかった。
 その男が招じ入れてくれたのは教務員室の隣の六畳間ほどの広さの簡素な応接室だった。
 土岐は立ったまま名刺をさし出した。自己紹介する男の顔を初めてまじまじと見た。細い眼、銀縁の眼鏡、細くも丸くもない顔、中肉中背、七三に分けた髪、四十代から五十代のような背格好。群衆の中に完全に紛れ込みそうな男だった。姿かたちに際立った特徴が何もない。しいていえば、欧米人が想い描く典型的な日本人。後日どこかで遭遇した時に識別できる自信を土岐は持てなかった。