「・・・いいえ、雑誌広告をお願いされたのは、それから随分あとのことで・・・わたしが、声楽家として目が出なくて、・・・簿記学校のCDを出したレコード会社の依頼で、作曲したり、社歌や校歌をつくったり、・・・フリーターみたいな生活をしていたら、廣川さんが、上場企業でまだ社歌のない会社や応援歌のない運動部を紹介してくれたり、・・・あと、経済団体の社長さんばかりが集まっているコーラスグループの指導役を世話してくれたり、・・・結婚式の賛歌の仕事も廣川さんのアイディアなんです。・・・とにかく、大企業の総務部に顔の広い方で、随分お仕事をお世話していただきました。六本木のこんないい場所に事務所とスタジオをもっていられるのも、廣川さんのおかげです。・・・だから、開示情報に広告をお願いされたとき、あまり宣伝効果はないだろうとは思っていましたが、お付き合いせざるを得なかったんです。でも、年四百万円は正直負担になっていました」
 土岐は貞子の話を聞きながら、二十歳若い貞子の顔や肉体を想像していた。今では顔の輪郭がふっくらしているが、若い頃は頬や顎の線もたるみのないシャープなラインで、瞼も涼しげにすっきりしていたはずだ。二十年前の廣川弘毅はすでに六十歳になっていた。貞子の方は生理的な嫌悪感を抱いていたとしても、廣川の方は食指が動いたに違いない。
「参考までにお伺いするんですが・・・ほんの、・・・参考までにお聞かせ願いたいんですが・・・お二人は先々週の金曜日の夕方頃、どちらにいられたか、覚えているでしょうか?」
 長谷川が、壁に貼り付けたレコード会社のカレンダーを見ながら、確認してきた。
「週末のシンガー・ソング・ライター教室があるので、二人ともこの事務所にいました」
と長谷川が貞子に確認を取ることもなく、淡々と答えた。長谷川の証言を貞子が否定した。
「いいえ、その日はわたしの専門のテーマではないので友人のシンガー・ソング・ライターに講義を依頼していたので、ある人と新宿のフレンチ・レストランで会食していました」
 会食の相手は誰かと即座に聞こうとしたが、長谷川の目線が気になってやめた。腕時計を見ると五時近くになっていた。土岐は茅場町に戻ることにした。帰りかけたとき、土岐の脳裏に城田康昭の名前がひらめいた。
「あの、さっき言われた、日本最大の簿記学校というのは城田簿記学校のことですか?」