と感想を言う亜衣子の目が女子の死因別折れ線グラフで点になった。
「自殺と溺死と転落死が東京と千葉だけ違う。ここ二十年間は平均より高い」
「そうなんだ。他の都道府県は全国平均の1のあたりを行ったり来たりしているけれど、東京都と千葉県は一九八四年以降、最近迄ほんの少しだけれど、連続して上回っている」
「でも、ほんの少しね」
と言う亜衣子の言葉を捉えて土岐は憤慨したように、
「これは間違いなく何かがある。ほんの少しどころじゃないいんだ」
 土岐の剣幕に亜衣子は逆ぎれした。
「だってほんのちょっと1より大きいだけじゃない。大体平均というだけのことじゃない」
「大違いだ」
と言いながら土岐は拳を振り上げた。
「長期にわたって年毎の値が平均値の1の近辺を上下しているということは偶然そうなっているということだ。1より大きくなる年がコインの表、1より小さくなる年がコインの裏だとすれば、どの都道府県も年ごとにコインの表が出たり裏が出たりしているということだ。ところが東京と千葉の場合、一九八四年からずっとコインの表が出続けている。コインの表が出る確率は二分の一。2年連続で表がでる確率は四分の一、3年連続なら八分の一、4年連続なら十六分の一、5年連続なら三十二分の一、6年連続なら六十四分の一、7年連続なら百二十八分の一、8年連続なら二百五十六分の一、9年連続なら五百十二分の一、10年連続なら千二十四分の一、11年連続なら二千四十八分の一、12年連続なら四千九十八分の一」
「それって2の倍数ってことでしょ。だから、なんなの?」
「表が20回以上連続して偶然に出ることは殆どありえない」
「ありえないって言ったって、実際に起こっていることでしょ」
「偶然だとしたらありえないことが現実には起こっているんだから偶然ではないということだ。サイコロを振って1の目を出そうとしたらせいぜい6回振って1回でしょ。だけどギャンブラーは6回振って6回とも1の目を出すことができる。この違いは僕らにとってサイコロの目で1を出すのは偶然だけどギャンプラーにとっては必然だということだ。なぜ6回振って6回とも1の目を出せるかと言えば投げるときの角度や力の入れ具合や持ち方を何万回、何十万回も練習していつでも1の目を出すこつを会得しているからだ」
「ということは?」
と亜衣子が土岐に結論をうながした。