「ただいま」
その一言言っただけで由美さんはおかえりとは言わずに『変』と呟く。
最初はかなりへこんだし、悲しかった覚えがあるけど、もうそんなことを思うことも無くなってしまった。
両親の蒸発したわたしは母方の親戚の野中夫妻の家に住まわせてもらっている。
ちなみにこの家にはわたしと野中夫妻ともう一人暮らしている。
それは伯祖父だ。
祖父が死んだ後、伯祖父は体調を崩し、親戚の中で唯一一軒家に住んでいた野中夫妻が介護することになり今うちにいる。
二階にある自分の部屋で着替えて一階に戻ると由美さんに呼ばれた。キッチンにいた由美さんのもとへ行くとお盆に一人分の食事がのっている。それを見て察したわたしはそのお盆を持って廊下の一番奥にある和室に向かった。和室に入ろうとふすまを開けるとそこにはいつも通り、口を開けたまま空を見つめている伯祖父がいた。
「口開けたままだと口乾くよ? ほら水も持ってきたから飲んで」
わたしがお盆ごとベットテーブルに置くと伯祖父はわたしの指示した通り、黙って水の入ったコップを取り、口に水を流し込み、飲み干した。
この伯祖父もわたしと同じで『変』なのだろう。何故ならこの世界には老いて体が動けなくなるなんてことは基本ないからだ。
これは歴史の教科書にも載っている話。もう数十年も前、とある企業が人それぞれに合った仙薬のような万能薬を作り出すAI搭載の機械を開発。病気はかからないようになり、ある程度寿命が延命されたが、結局肉体を持つ人類は死を免れることは不可能だった。
だがしかし機械には副産物としてその人の寿命であるその日のその時間が割り出せることが判明。寿命がわかるようになった人類は人それぞれの限られた人生が終わるその日まで病気や怪我をすることなく安泰に暮せることとなった、という話。
ちなみに薬の名は『Sephirot』。副作用は無く、しいて言うならその時が訪れた瞬間突然倒れ、全身の全ての機能が止まり、死を迎えることくらいだ。
そんな夢のような薬があるのにこの伯祖父は飲んでいない。だから月一で届く薬は部屋の端に溜まっていく一方で、元々伯祖父が暮らしていた家にも山のように積まれ親戚一同、薬の処理に困り果てている。
何が伯祖父をそこまでさせるのだろうと時折わたしは考えるけど、いつも決まって答えは出ずに考えただけで時間が一方的に過ぎていく。
でも昔は一部のお年寄りの方で薬や治療を拒絶して、そのまま何もせずに亡くなる人もいたと聞いたことがある。だからそれと近いものなのかなと思っていたりする。
「おじい。晩ご飯も持ってきたから一緒に食べてね」
わたしは伯祖父の飲み終えたコップを持ってまた水を持ってこようとふすまに手をかけると、伯祖父はつぶやくように何かを言ってわたしを呼び止めた。
久々に聞いた伯祖父の声は弱々しく、小さな声で、単語一つ聞き取ることは出来なかった。
おそらくそれが伯祖父の声の限界だったのだろう。わたしはなおのこと伯祖父の老いを感じた。
「どうしたの? 何か話があるの? 申し訳無いけど、水持ってきてからでもいい?」
振り向いて伯祖父の反応を見る。
すると伯祖父がゆっくりと縦に頷いたため、わたしは和室を出た。台所に着き、嫌な顔したままの由美さんを横目にコップに水を入れ、また和室に向かう。
普段、なんの言葉も発しない伯祖父がわたしに声をかけたのだ。何か大事なことなのだろうか。それとも遺言的なやつなのだろうか。でもそれだったら由美さんとかに言えばいい。なら違うのかな。
謎が謎を呼ぶ考えに至り、和室に着くころには、かなり伯祖父のこれからしてくれるであろう話がとても気になっていた。
ふすまを開けるといつも通り無言で食事を始めている。
ベットテーブルに水を置くとわたしは近くにある椅子に座り、少し様子を伺うが食べるばかりで伯祖父は目も合わせてくれない。
わたしは伯祖父を待っているうちに自分は今何をしているのだろうかと、自問してしまい、こうして待っていることが馬鹿馬鹿しくなってしまった事と、ここまで無反応ってことはそれほど急ぎの話ってわけでもないとも思い、さっさと部屋を出た。
すると、出てすぐに由美さんが立っており、思わずわっ、と声が出る。
「ゆ、由美さん何か用ですか?」
自分に用があるのかと思って訊いてみるが、由美さんはピクリとも動かない。正確には瞬き以外の動作が無いのだ。それはまるで人形のよう。
この異様な由美さんの姿をわたしは何度か見たことがあるが、何度見ても恐怖しか感じない。
わたしは由美さんを出来るだけ見ないように床に視線をおとして横を通ると、すぐに自分の部屋に向かった。部屋に入るとドアに寄りかかって崩れるように座り込み、そして息をしていないことに気付き荒々しく息をする。
由美さんのあれを見ると毎回必ずこうなる。不定期だからというのも相まって心臓に悪い。しかもそのことを由美さん本人に訊いてみても覚えていないのだから余計にタチが悪い。
息を整え、落ち着かせることで精一杯だったわたしはもうこれ以上考えたくなかった。
その一言言っただけで由美さんはおかえりとは言わずに『変』と呟く。
最初はかなりへこんだし、悲しかった覚えがあるけど、もうそんなことを思うことも無くなってしまった。
両親の蒸発したわたしは母方の親戚の野中夫妻の家に住まわせてもらっている。
ちなみにこの家にはわたしと野中夫妻ともう一人暮らしている。
それは伯祖父だ。
祖父が死んだ後、伯祖父は体調を崩し、親戚の中で唯一一軒家に住んでいた野中夫妻が介護することになり今うちにいる。
二階にある自分の部屋で着替えて一階に戻ると由美さんに呼ばれた。キッチンにいた由美さんのもとへ行くとお盆に一人分の食事がのっている。それを見て察したわたしはそのお盆を持って廊下の一番奥にある和室に向かった。和室に入ろうとふすまを開けるとそこにはいつも通り、口を開けたまま空を見つめている伯祖父がいた。
「口開けたままだと口乾くよ? ほら水も持ってきたから飲んで」
わたしがお盆ごとベットテーブルに置くと伯祖父はわたしの指示した通り、黙って水の入ったコップを取り、口に水を流し込み、飲み干した。
この伯祖父もわたしと同じで『変』なのだろう。何故ならこの世界には老いて体が動けなくなるなんてことは基本ないからだ。
これは歴史の教科書にも載っている話。もう数十年も前、とある企業が人それぞれに合った仙薬のような万能薬を作り出すAI搭載の機械を開発。病気はかからないようになり、ある程度寿命が延命されたが、結局肉体を持つ人類は死を免れることは不可能だった。
だがしかし機械には副産物としてその人の寿命であるその日のその時間が割り出せることが判明。寿命がわかるようになった人類は人それぞれの限られた人生が終わるその日まで病気や怪我をすることなく安泰に暮せることとなった、という話。
ちなみに薬の名は『Sephirot』。副作用は無く、しいて言うならその時が訪れた瞬間突然倒れ、全身の全ての機能が止まり、死を迎えることくらいだ。
そんな夢のような薬があるのにこの伯祖父は飲んでいない。だから月一で届く薬は部屋の端に溜まっていく一方で、元々伯祖父が暮らしていた家にも山のように積まれ親戚一同、薬の処理に困り果てている。
何が伯祖父をそこまでさせるのだろうと時折わたしは考えるけど、いつも決まって答えは出ずに考えただけで時間が一方的に過ぎていく。
でも昔は一部のお年寄りの方で薬や治療を拒絶して、そのまま何もせずに亡くなる人もいたと聞いたことがある。だからそれと近いものなのかなと思っていたりする。
「おじい。晩ご飯も持ってきたから一緒に食べてね」
わたしは伯祖父の飲み終えたコップを持ってまた水を持ってこようとふすまに手をかけると、伯祖父はつぶやくように何かを言ってわたしを呼び止めた。
久々に聞いた伯祖父の声は弱々しく、小さな声で、単語一つ聞き取ることは出来なかった。
おそらくそれが伯祖父の声の限界だったのだろう。わたしはなおのこと伯祖父の老いを感じた。
「どうしたの? 何か話があるの? 申し訳無いけど、水持ってきてからでもいい?」
振り向いて伯祖父の反応を見る。
すると伯祖父がゆっくりと縦に頷いたため、わたしは和室を出た。台所に着き、嫌な顔したままの由美さんを横目にコップに水を入れ、また和室に向かう。
普段、なんの言葉も発しない伯祖父がわたしに声をかけたのだ。何か大事なことなのだろうか。それとも遺言的なやつなのだろうか。でもそれだったら由美さんとかに言えばいい。なら違うのかな。
謎が謎を呼ぶ考えに至り、和室に着くころには、かなり伯祖父のこれからしてくれるであろう話がとても気になっていた。
ふすまを開けるといつも通り無言で食事を始めている。
ベットテーブルに水を置くとわたしは近くにある椅子に座り、少し様子を伺うが食べるばかりで伯祖父は目も合わせてくれない。
わたしは伯祖父を待っているうちに自分は今何をしているのだろうかと、自問してしまい、こうして待っていることが馬鹿馬鹿しくなってしまった事と、ここまで無反応ってことはそれほど急ぎの話ってわけでもないとも思い、さっさと部屋を出た。
すると、出てすぐに由美さんが立っており、思わずわっ、と声が出る。
「ゆ、由美さん何か用ですか?」
自分に用があるのかと思って訊いてみるが、由美さんはピクリとも動かない。正確には瞬き以外の動作が無いのだ。それはまるで人形のよう。
この異様な由美さんの姿をわたしは何度か見たことがあるが、何度見ても恐怖しか感じない。
わたしは由美さんを出来るだけ見ないように床に視線をおとして横を通ると、すぐに自分の部屋に向かった。部屋に入るとドアに寄りかかって崩れるように座り込み、そして息をしていないことに気付き荒々しく息をする。
由美さんのあれを見ると毎回必ずこうなる。不定期だからというのも相まって心臓に悪い。しかもそのことを由美さん本人に訊いてみても覚えていないのだから余計にタチが悪い。
息を整え、落ち着かせることで精一杯だったわたしはもうこれ以上考えたくなかった。