あの「夢の音楽」を聴いてから、一年近くがたったのか……。
ようやくこの小説を読み終えて、俺はふぅと息を吐きだす。
さっきまでのいら立ちは少し和らいでいた。
あの時は会場には戻らず、春哉にメッセージを入れて家に帰った。
ショックは大きかったけど、その数か月後には音楽は聴けるようになっていたし、好きという気持ちも少し回復した。一年たった今でもいまだにあおいさんの曲は聞いてないが。
そして、さっきあおいさんに会ってしまった。あの時と変わらない鋭くて、真っ直ぐで、温かくて、何か言いたげな瞳だった。
あの名前の無い曲はいまだに名前がついてない。あの後もあおいさんはオリジナル曲を数曲出していて、どれも安定にヒットしていた。もうすぐでファーストフルアルバムを出して、ライブもするらしい。全部春哉とみくる(二年になって名前で呼ぶようになった)からの情報だ。
二年生になってホームルームのクラスが三人一緒になった。俺が音楽好き、本好きなのもあって二人はたくさん情報をくれる。みくるは特にあおいさんのことをたくさん教えてくれた(お返しに俺の母さんのアクセサリーを、母さんにお願いして友達価格で買えるようにしてもらった。彼女さんにプレゼントしたらとても喜んでくれたらしい。春哉にはたくさんのお菓子をおごった)。
あおいさんの情報を知るたびに、音楽好きとしてワクワクする気持ちと、複雑な気持ちがごちゃごちゃになる。春哉もみくるも俺の気持ちを知ってるわけないから、悪気はもちろんないのはわかってるが、たまに勘弁してほしくなる。
これ以上落ち込む前に家に帰らないと。さすがにサボってる人がここに長時間居たら補導されかねない。リュックを背負い直して、ちょうどいいタイミングできた地下鉄に乗り込む。少しだけ、あおいさんにもう一度会えるかなと期待した。そんな自分の心の複雑さになんだか泣きたくなった。
家に帰って、母さんにすべてを話した。一年生の冬にサボったときもちゃんと理由を話したらわかってくれた。そんな優しい母は今日は悲しそうな、そして真剣な顔をした。
「あのね、サボったことは全然いいのよ。それほどショックだったのね。それにあなたはサボる時には必ず理由があるし、やることもちゃんとやって今まで母さんを支えてくれたもの。学校だって勉強だって頑張りすぎなくらい頑張ってる。でも、もう少しで三年生。そろそろ自分の心を決めなさい。将来どんな道に進んでもいい。でも、あなたが後悔しない道を歩きなさい。母さんのことは考えずに、ちゃんと自分の気持ちに気付いて、けじめをつけなさい」
母さんはそれ以上何も言わなかった。静かにほほ笑んで「お昼にしようか」と席を立った。母さんの優しさに涙腺が緩むのを感じた。泣いてしまう前にお昼を食べ、俺は自室に戻った。
リュックの中から今日出す予定だった進路の紙を取り出す。
第一希望は国公立の文系にしていた。第二希望も第三希望も国公立の文系。決して楽とは言えないが、頑張れば届くし、将来の安定がまだ望める道だった。
悩んでいた。気付かないようにしていた気持ちは、抑えきれないほどに膨らんでいた。あの時からずっと心にある、「音楽を作りたい」という思い。
二年生になった春に、一回だけこっそり作ったことがある。
ギターもピアノも趣味程度でやっていたのを、楽器全般が得意なみくるに教えてもらいながら、本格的に練習した。イラストと動画編集は、得意な春哉に教えてもらった。俺が本気で頼んできたのを、二人は驚きながらも丁寧に教えてくれた。歌はカラオケに行ってたくさん練習した。
その結果できた、ほんの一分の小さな歌。自分が作りたかった、自分の思いを込めた小さな音楽。あの曲と同じく名前がない。あの曲と違って俺しか存在を知らない。
「けじめ、か……」
母さんは俺の心を知ってるのだろうか。春哉もみくるも俺が悩んでるのに気づいてるかもしれない。周りに相当気を遣わせている。
ふいに自分が作った音楽が口をついて出た。
もろくなっていた涙腺が崩壊して、涙が溢れ出していた。
あの時打ちのめされた自分の気持ちを書いた、少し悲しい歌詞。
『音楽に色がつかない
そんな冬の朝の快晴は、僕の心と真逆の気持ちを広げていく
苦しさを隠したくて、声の限り叫びたくて
僕はがむしゃらに音を聞いた——色の無い音を
温かさを感じることのできないこの音を』
自分の口からつむがれる、音を乗せた言葉と共に涙がとめどなく溢れた。
もうすぐで俺は高校三年。そして来月は俺にとって二度目の、桜フェスだ。
史上最大の規模。二日間にわたるライブ。一日目の最初と二日目の最後の二回、あおいさんはステージに立つらしい。
今度は聞かなきゃならない。あおいさんにあの言葉の「やめたほうがいい」という言葉の真意を。全てを聴いて、俺はちゃんと決断したい。
歯を食いしばり喉を鳴らして、無理やり涙を止めた。
スマホのメッセージアプリで、みくるにこう送る。
『あおいさんに桜フェスの時、会わせてほしいんだ』
一足先に、音楽の街に春が来ようとしていた。
ようやくこの小説を読み終えて、俺はふぅと息を吐きだす。
さっきまでのいら立ちは少し和らいでいた。
あの時は会場には戻らず、春哉にメッセージを入れて家に帰った。
ショックは大きかったけど、その数か月後には音楽は聴けるようになっていたし、好きという気持ちも少し回復した。一年たった今でもいまだにあおいさんの曲は聞いてないが。
そして、さっきあおいさんに会ってしまった。あの時と変わらない鋭くて、真っ直ぐで、温かくて、何か言いたげな瞳だった。
あの名前の無い曲はいまだに名前がついてない。あの後もあおいさんはオリジナル曲を数曲出していて、どれも安定にヒットしていた。もうすぐでファーストフルアルバムを出して、ライブもするらしい。全部春哉とみくる(二年になって名前で呼ぶようになった)からの情報だ。
二年生になってホームルームのクラスが三人一緒になった。俺が音楽好き、本好きなのもあって二人はたくさん情報をくれる。みくるは特にあおいさんのことをたくさん教えてくれた(お返しに俺の母さんのアクセサリーを、母さんにお願いして友達価格で買えるようにしてもらった。彼女さんにプレゼントしたらとても喜んでくれたらしい。春哉にはたくさんのお菓子をおごった)。
あおいさんの情報を知るたびに、音楽好きとしてワクワクする気持ちと、複雑な気持ちがごちゃごちゃになる。春哉もみくるも俺の気持ちを知ってるわけないから、悪気はもちろんないのはわかってるが、たまに勘弁してほしくなる。
これ以上落ち込む前に家に帰らないと。さすがにサボってる人がここに長時間居たら補導されかねない。リュックを背負い直して、ちょうどいいタイミングできた地下鉄に乗り込む。少しだけ、あおいさんにもう一度会えるかなと期待した。そんな自分の心の複雑さになんだか泣きたくなった。
家に帰って、母さんにすべてを話した。一年生の冬にサボったときもちゃんと理由を話したらわかってくれた。そんな優しい母は今日は悲しそうな、そして真剣な顔をした。
「あのね、サボったことは全然いいのよ。それほどショックだったのね。それにあなたはサボる時には必ず理由があるし、やることもちゃんとやって今まで母さんを支えてくれたもの。学校だって勉強だって頑張りすぎなくらい頑張ってる。でも、もう少しで三年生。そろそろ自分の心を決めなさい。将来どんな道に進んでもいい。でも、あなたが後悔しない道を歩きなさい。母さんのことは考えずに、ちゃんと自分の気持ちに気付いて、けじめをつけなさい」
母さんはそれ以上何も言わなかった。静かにほほ笑んで「お昼にしようか」と席を立った。母さんの優しさに涙腺が緩むのを感じた。泣いてしまう前にお昼を食べ、俺は自室に戻った。
リュックの中から今日出す予定だった進路の紙を取り出す。
第一希望は国公立の文系にしていた。第二希望も第三希望も国公立の文系。決して楽とは言えないが、頑張れば届くし、将来の安定がまだ望める道だった。
悩んでいた。気付かないようにしていた気持ちは、抑えきれないほどに膨らんでいた。あの時からずっと心にある、「音楽を作りたい」という思い。
二年生になった春に、一回だけこっそり作ったことがある。
ギターもピアノも趣味程度でやっていたのを、楽器全般が得意なみくるに教えてもらいながら、本格的に練習した。イラストと動画編集は、得意な春哉に教えてもらった。俺が本気で頼んできたのを、二人は驚きながらも丁寧に教えてくれた。歌はカラオケに行ってたくさん練習した。
その結果できた、ほんの一分の小さな歌。自分が作りたかった、自分の思いを込めた小さな音楽。あの曲と同じく名前がない。あの曲と違って俺しか存在を知らない。
「けじめ、か……」
母さんは俺の心を知ってるのだろうか。春哉もみくるも俺が悩んでるのに気づいてるかもしれない。周りに相当気を遣わせている。
ふいに自分が作った音楽が口をついて出た。
もろくなっていた涙腺が崩壊して、涙が溢れ出していた。
あの時打ちのめされた自分の気持ちを書いた、少し悲しい歌詞。
『音楽に色がつかない
そんな冬の朝の快晴は、僕の心と真逆の気持ちを広げていく
苦しさを隠したくて、声の限り叫びたくて
僕はがむしゃらに音を聞いた——色の無い音を
温かさを感じることのできないこの音を』
自分の口からつむがれる、音を乗せた言葉と共に涙がとめどなく溢れた。
もうすぐで俺は高校三年。そして来月は俺にとって二度目の、桜フェスだ。
史上最大の規模。二日間にわたるライブ。一日目の最初と二日目の最後の二回、あおいさんはステージに立つらしい。
今度は聞かなきゃならない。あおいさんにあの言葉の「やめたほうがいい」という言葉の真意を。全てを聴いて、俺はちゃんと決断したい。
歯を食いしばり喉を鳴らして、無理やり涙を止めた。
スマホのメッセージアプリで、みくるにこう送る。
『あおいさんに桜フェスの時、会わせてほしいんだ』
一足先に、音楽の街に春が来ようとしていた。