君のいない世界に、あの日の流星が降る

「じゃあ、なんの話だったわけ?」

 横顔の空翔はつまらなさそうに唇を尖らせている。
 機嫌が悪いときに彼がよくする仕草だ。

「別に……ただの世間話だよ」
「生徒会室へ呼び出して普通の話? ありえないだろ、そんなの」
「でも、本当のことだから」

 カサを打ちつける雨の音がやけに強い。
 バス停に着く頃には肩や足元がひどく濡れてしまっていた。
 バスを待つ間も空翔は不機嫌そうだった。

「なあ、なんで?」

 目線は雨に向けたまま尋ねる空翔。
 どうしようか、と迷いながら「あのね」と声を明るくした。

「本当になんでもなかったの。むしろ、松本さんのことを知ることができて――」
「違う」

 話の途中で空翔は強い口調で言った。

「なんで図書館に行ったんだよ」
「え……?」

 意味がわからずに見つめると、空翔は避けるように顔を背けた。

「俺は早く月穂に元気になってもらいたい。なのに、どうして図書館なんかに行くんだよ」
「なにそれ……」

 そう言ったとき、まだ私は笑えていたと思う。
 けれど、空翔は深く息を吐いてから私をにらむように見た。

「立ち直ってほしいのに、思い出の世界に逃げるなよ」
「立ち直るって……なに? それって、星弥のことを忘れるってこと?」

 なんでそんなことを言われなくちゃいけないの?
 忘れたくても忘れられない私の気持ちなんて、なんにも知らないくせに。

「忘れたフリしてんのはそっちだろ。俺が言いたいのは、過去に囚われているのはよくないってこと」
「そんなの、空翔に決められたくない」
「そうかよ」

 バスが雨の向こうから姿を現した。
 ドアが開くとさっさと空翔は前のひとり席にドカッと腰をおろした。

 なんで空翔がそんなに怒るのよ。

 もう話をする気にもなれず、いちばんうしろの座席を選んだ。
 ケンカになりイヤな感じ。
 空翔が怒っている理由がいまだにわからなかった。
 走り出したバスの窓に激しく雨がぶつかってくる。

 そうして、私はまた星弥のことを考える。







 放課後の教室で、さっきから星弥と空翔が椅子に座り話し込んでいる。
 私は宿題を片づけながら話が終わるのを待っているところ。

「マジでムカつくんだけど」

 空翔は何回目かの『ムカつく』を口にした。

「まあ、そう言うなよ」
「だってさ、もうOBなのになんで口出ししてくるわけ? 『練習がなってない』なんて言われたくねえし」

 どうやら昨日の練習中にOBが来て怒られたそうだ。
 朝から空翔はその話ばかりしている。
 星弥が私を見て顔をしかめた。
 『ごめん』って伝えたいのだろう。
 大丈夫だよ、とほほ笑んだと同時に気づく。

 ……ここは夢の世界だ。

 ということは前回の夢の続きってこと?
 見渡すと黒板に七月二日と白い文字で書かれてある。
 つき合いだしてもうすぐ三カ月になろうという時期。

 この日、なにがあったんだっけ……?

「そんなことより、部長なんだから少しは練習に顔出したほうがいいだろ?」

 諭すような口調の星弥に「んだよ」と空翔は不平を口にした。

「本当ならお前が部長になってたはずだろ? 俺様に押しつけておいてよく言うよ」
「すねんなよ。な?」

 空翔の肩に手を回して星弥は言った。
 それでも空翔は唇を尖らせていたけれど、ひょいと立ちあがりリュックを肩にかけた。
「わかったよ。行けばいいんだろ」
「うむ」

 空翔は私のほうへ来ると、
「月穂の彼氏、ちょっと強引なんですけど」
 とボヤいてから教室を出て行った。

 思わず笑ってしまう。
 ああ、この頃はこんな風に笑えていたんだな。
 同時に今日、空翔とケンカしたことを思い出した。

 なんか、罪悪感。

 空翔は心配してくれていたのに、素直に受け止められなかった。
 空翔は私に、ちゃんと思い出にしてほしかったんだよね……。
 時間差で理解することばかり。

「ごめんごめん、お待たせ」

 星弥の声に我に返った。

「ううん。それより大丈夫なの?」

 リュックに荷物をしまいながら尋ねると、星弥は肩をすくめた。

「それぞれの立場があるからさ。先輩だって外野から色々言われてて大変なんだよ。OBの立場じゃないと見えないこともあるからさ。でも、けっこういい人なんだけどね。逆に、空翔は空翔でプレッシャーもあるだろうし」

 どちらの味方もするやさしいところが好きだった。
 二年前に感じた想いを再確認している。

 窓から空を見あげるあごのラインも好き。

 ポケットに手を入れて目を細めるのも好き。
 心が満たされるような感覚を『幸せ』と呼ぶ。
 星弥が教えてくれたことなんだね。

「今日は『夏の大三角形』が見えるかも。『春の大三角形』は終わっちゃったけど」

 星弥が指先で指揮者のように三角形を描いた。

「春の大三角形? 夏のとは違うの?」

 夏の星座の三つを結んだ線を『夏の大三角形』と呼ぶ。
 先月、星弥が教えてくれたこと……って、これは夢の話だ。

 私はこのあとの展開を覚えている。

「説明いたしましょう」

 教壇の前に進むと、星弥は教師よろしくゴホンと咳ばらいをした。
 置いてあるチョークを手に取ると、彼は黒板に大きく七つの星を描いた。

「これが北斗七星」
「はい」

 生徒みたいに答えるのがくすぐったい。

「大変よい返事です。この北斗七星から、伸びる線を『春の大曲線』と言うんだ」

 七番目の星から左へ弧を描くと、その真ん中と左端に星の絵を書いた。

「真ん中がうしかい座の持つアルクトゥールスという星。左端が、おとめ座の持つスピカという星だよ」

 ふたつの星を直線で結んだあと、星弥は下方にもうひとつ星を書き三角形を作った。

「しし座の尾の先にあるデネボラと結べば、春の大三角形の完成」

 下向きの大きな三角形が黒板に浮き上がって見えた。
 こうやって星弥に星の話を聞くのが楽しみだった。
 黒板はあっという間に星空に変わり、夜の空を想像させた。
 晴れた日には、彼の部活が終わるのを待って、星を見ることもあったよね。

 これまで月にしか興味なかった私に、星弥は新しい世界を教えてくれた。

「来年は、一緒に春の大三角形を見よう。」

 星弥の約束がうれしくて、大きくうなずく。

「星弥の『星占い』、またしてほしいな」

 そう言う私に、星弥は黒板を消しながら「ブブー」と言った。

「『星占い』じゃなくて『星読み』だって」
「あ、そうだった」
「それに俺のはオリジナルだから」
「自分で作ったにしては、すごく当たってると思うけど」

 たまに私の星座であるおひつじ座を元にして彼は占いをしてくれた。

『今日は穏やかな気持ちでいればすべてうまくいくでしょう』
『友達に感謝の気持ちを伝えましょう』
『好きな人と図書館に行くとよいでしょう』

 たまに親とケンカしたことを話すと『自分から謝るのがよいでしょう』なんて言われたこともある。

「じゃあさ」と星弥が私の机に腰をおろした。
 見おろす目がやさしい。
「月穂オリジナルの占いを考えようか」
「ええ、私の? なにそれ?」
「そうだな……。『月読み』ってのはどう? 俺の『星読み』は、星と月や惑星も考えるから大変だけど、月穂の占いは月の形から占うわけ。その人の星座と掛け合わせればいくつもの答えが出るよ」
 うれしそうに笑う星弥に、
「ほんと、星弥は占いが好きなんだね」
 と言うと、顔をしかめてしまった。

「違うよ、その逆」
「逆?」
「俺、昔から占いって苦手なんだよ。でも、星に詳しいだろ? そうすると、みんな『星占い』をしてもらいたがるんだよな。だから、オリジナルで『星読み』を作ったわけ」

 意外な告白に目を丸くしてしまう。

「てっきり好きなんだと思ってた」
「俺は、まだまだ謎に包まれているのです」

 ニヤリと笑いながら「だってさ」と星弥は両腕を組んだ。

「テレビの占いとかって、たまに悪いことも言うじゃん? 朝からランキングづけなんてされたくないし、そもそもラッキーアイテムってなんなの?」
「えええ。自分だってやってるのに」

 噴き出しそうになるのをこらえる。
「だから絶対に悪いことを言わないようにしてる。言霊ってのがあって、悪いことを言うと、その言葉に引っ張られてしまうこともあるみたいだし」
「悪いこと……」
「そう。だから俺の星読みでは、絶対にいいことばかりを言うようにしてるんだ」

 自慢げに笑う星弥に、私は今どんな顔をしているのだろう?
 星弥は病気で死んでしまう。
 その事実を、今になって思い出した。
 夢の世界では自分の意志がたまに途切れてしまう。

 すぐに星弥に伝えなくちゃ、と顔をあげる。

「あの、星弥――」

 口を開くと同時に、ぐにゃりと周りの景色がゆがんだ。
 あ、夢が終わるのかも。

 待って、まだもう少しだけ。
 彼に病気のことを伝えるまで――。

 声にならないまま世界はくるくる回りだし、視界は星のない夜のように暗くなる。

 気づくと私は木でできた椅子に座っていた。
 同じく木製のテーブルの上に置いた自分の手が見える。
 家の椅子じゃない。

 ここは……星弥の家だ。

「はい、どうぞ」

 ハッと顔をあげると星弥のお母さんがグラスを私の前に置くところだった。
 キッチンにある小さなテーブルに私はついていた。
 ――覚えている。二年前の七夕は、雨だった。

 ふたりで二年後の流星群を見るための下見をするはずだった。
 なのに天気予報どおり、朝からずっと雨が降っていて断念せざるをえなかった。

 彼はどこに行ったのだろう?
 中止が決まったあと、明日のテストの予習をここでする約束だったのに。

 私の気持ちを汲むように、「ごめんなさいね」とおばさんは言った。

「あの子、思いついたら行動するクセがあるみたいで、学校から帰るなり飛び出して行っちゃったの」
「あ、はい」
「すぐに戻ってくると思うけど、まだまだ子供っぽくて大変でしょう?」

 おばさんはやさしい。
 彼女である私にも、会うたびにやさしい言葉をくれる。
 この間町で会った時だってそうだった。
 もっと上手に返事ができればよかったな……。

 グラスの氷がからんと鳴り、カルピスの水面が揺れた。

「子供っぽいというか、予測不能なところはありますよね」

 冗談ぽく言うと、おばさんは「そうなのよ」と顔を近づけてくる。

「お風呂で鼻歌じゃなくて、本気で熱唱したりするのよ。注意したら『うまかった?』なんて聞いてくるし」
「そういうところありますね」
「メロンが苦手なのに、大好物はメロンパン。肉じゃがをリクエストするくせに、ジャガイモは食べない。肉じゃがって言ったらジャガイモでしょうに」

 容易に想像できて笑ってしまう。
 おばさんも口元に手を当てながらクスクス笑っている。
 おばさんとはよくこんな話をして盛りあがってたっけ……。