告白といえるかよくわからないものをしてから、私と安部君の関係が変わったかというと、もちろんノーだ。

 私は相変わらず挨拶をするのにさえ苦労していた。

 あんな告白をしてしまったのだ。私が挨拶して、安部君が安部君の友人にからかわれるのは嫌だった。私の友達にも冷やかされたくない。となると、挨拶をするのは、一対一の時に限られてくる。
 しかし、その一対一になった時さえ声が出ない。安倍君からも挨拶がない。これじゃ、前と何も変わらない。

 私は何のために告白したんだろう。

 毎日ため息ばかりついていた。



 そんな私にサプライズな贈り物を神様はくださった。

 体育祭のブロックが安部君と同じになったのだ。

 私の出身高校の体育祭は結構派手だ。特に応援コンテストが有名で、応援団の演舞とパネル操作には定評があり、周りの高校が参考にするほどだった。

 力を入れているということは、それだけ体育祭関係の集まりが多いということだ。
 部室付近でしかなかなか見られない安部君をブロック集会がある度に見られるというのは、私にはとても幸せなことだった。

 ところが、だ。

 体育祭は当日は全員参加だが、準備は参加の義務があるわけではなかった。もちろん、男子のタンブリング、女子の創作ダンスなど、競技の練習は別だ。授業の一環として扱われる。しかし、放課後に行う歌の練習や、ブロック席の後ろのパネルの色塗りなどは、参加したくない人に無理強いをすることはなかった。

 安部君はそれらには出ずに部室にいることが多かった。今思えば協調性があまりないタイプの人だったのかもしれない。
 だが、恋のフィルターを通してしか見られなかった当時の私は思っていた。

 凄いな~! 自分をしっかり持ってる人なんだ、安部君て! それに志望校の難易度が高いから、受験勉強を早めに始めてるのかも! 頑張って、安部君!
 
 そう。全てが安部君の長所に脳内変換されるのだ。恋とは本当に恐ろしい。


 参加義務がある時だけしか見られないのはちょっぴり寂しかったが、同じブロックでなければもっと視界に入って頂く可能性が減る。そう思うとやっぱり同じブロックなのは幸せだった。応援しても不自然じゃないというのもありがたいことだった。


 告白してから一ヶ月で挨拶を交わすことができたのは三回ほど。それでも、挨拶ができて、返事が返ってきた時はもう、天にも昇る気持ちだった。
 この頃はまだ、私の心に積もるのは、可愛らしい淡いピンクの花びらのような想い。毎日ひらひらと舞うそれは綺麗で。鮮やかで。幸福感でいっぱいになっていくのを疑いもしなかった。まさかそれが積もることで苦しくなっていくなんて思いもしなかった。

***

 体育祭当日。

 私は男子みんなを応援するふりをしながら、安部君だけを応援していた。ただでさえ背の高い安倍君は見つけやすいし、恋をしてからは後頭部だけでも分かるようになった。
 タンブリングや騎馬戦、棒倒しなどは、男子は上半身裸で、それを直視するのは恥ずかしかったけれど。

 もちろん、自分の出る競技も頑張った。分刻みの移動で放課後遅くまで練習した創作ダンスは二位になった。
 そして、みんなで声を枯らすまで歌いながらパネル操作した応コンは、なんと一位だ!

 三度目の体育祭となると、訳がわからないままただ一生懸命頑張った一年生の時とは違った。正直、練習がダルいなと思う日もあった。でも、当日、終わりが近付くと、高校の体育祭は最後なのかと思うと胸がじんとした。
 炎天下の練習は暑くてきつくて、なんでこんなことしてるんだろうって思っていたのに。高校卒業したらもうみんなでこんなに必死になってやることもないのかなって。

 九月初旬のまだ暑い日。青い空を見て晴れてよかったなって思った。

 体育祭はリレーで締め括られる。私は安部君が最後のリレーに並んでいるのを見つけて驚いた。