「ごめん、お母さん。ちょっと急用で、今から出てくる」
リビングを通る際、ほんの一瞬だけ立ち止まって声をかけたあと、玄関に向かう私。
「え、え?」慌てたお母さんの声が微かにリビングで聞こえた。
玄関でブーツを履いていると、「お母さんどうしたの?」追いかけるように尋ねる妹の声も聞こえてきた。
それはもうすぐ近くから。
「ちょっと美月、どういうこと? 今からって何かあったの?」
スリッパを鳴らしながら、二人して駆け寄ったのだ。
お母さんの少し後ろに理緒がいる。あれからいまだに話せていなくて、まだ気まずい。
「ちょっと用事を思い出して……」
逃げるように視線を明後日の方へ向ける。
「用事って、こんな夜遅くに? まさかバイト?」
「え、あっ、いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「じゃあ何の用事?」
否定したあとに、やっぱり頷いてたらよかったかなってすぐに後悔するはめになって。目を右に左に動かして、考えた挙句。
「コンビニでノート買いに行くだけだから」
理由にしてはなんとも薄いものだった。
だから、当然お母さんは、
「ノートならべつに今からじゃなくてもいいんじゃないの?」
もっともなことを言われてぐうの音も出ない。
けれど、今はここで時間を費やしている暇はない。早くしなければ、千聖くんがここまでたどり着いてしまうかもしれないのだ。
「どうしても必要だから買いに行って来る。すぐ帰って来るから心配しないで!」
口早に告げて玄関のドアを押し開けると、「えっ、ちょっと美月?」困惑するお母さんの声が聞こえたが、開いたドアへと逃げ込んだ。
直後、バタンッと閉まったドア。代わりに私に纏わりつく冷たい夜風。コートを羽織っていても、顔や耳が痛くなる。
「もっと厚着してくればよかった……」
ひゅうっと夜風は寒くて、突き刺すような痛みが走るが、もたもたしていると千聖くんがここまで迎えに来そうな予感がして、かじかむ手をコートの中にしまって走った。
***
突き当たりを右へ曲がってしばらくすると、街灯の下でかじかむ手を口元へ寄せて、はーっと息を吹きかける人影が見えた。
段々と近づくたびにぼんやりとしていた姿が、はっきりと街灯で照らされる。
──間違いない、千聖くんだ。
「遅くなって、ごめん……!」
私の声に気がつくと、口元へ寄せていた手を軽く持ち上げた。