「大丈夫?」
聞き覚えのある声。ぱっと顔を上げると目の前には、蓮がいた。
「何故ここにいるの?」
「えっ? あぁ、俺も花火見ようと思って。もしかしてここにいるんじゃないかな?って思ったら咲良がいた」
あぁ、良かった。ひとりじゃない。現実世界に帰ってこれた。いや、そんな事よりも伝えなければ。一回深呼吸して気持ちを落ち着かせてから私は蓮に伝えた。
「あのね、大翔が突然いなくなったの。いつもと様子が違ったから心配で」
蓮はお父さんに連絡した。
「花丸木さんも今すぐ来るって!」
彼は私の手を優しく掴んだ。そして立ち上がらせると、手を掴んだまま歩き始めた。
さっき思い出した光景と似ている。違うのは、今度はこっちの大翔がいなくなったのと、蓮が私の手を優しく引っ張っている。
蓮に手を引かれ、森を抜けた。まるで迷路のような人混みの中も抜けて、駐車場についた。車の助手席に座る。整っていた浴衣の腰あたりが少し乱れている。けれど一生懸命何回もやり直し、時間をかけて結んだ帯は崩れずに整ったままだった。
「とりあえず、咲良の気持ちが落ち着いてから、車で近くを探そう。花丸木さんも探すって!」
優しく微笑んでくれた。
私は頷くと、彼に聞きたかった事を聞こうか迷っていた。忘れようと必死にしていた記憶。都合の悪いことなんて忘れたふりをしてしまえば良いと思っていたから。でも、最近それがただ逃げているように感じてきて、逃げてしまえば楽だけど、ただ逃げていれば良い事なのか、疑問になった。
「あの日、亡くなった大翔と何があったの?」
ここで質問しないと、もうタイミングが見つからないままな気がしたから、勢いで聞いた。すると、缶コーヒーを飲もうとしていた彼の手は止まりこっちを見た。
「気になるよね」
「あの日、咲良が花火に夢中になっている間、俺達は花火に飽きて森の中をさまよっていたんだ」
蓮は車のエアコンを全開にし、話を続けた。
「奥に進むと、いつも落ちないように気をつけている崖があるしょ? 軽く押したつもりだったのに、落ちてしまったんだ」
「えっ? 蓮が落としたの……」
「本当に、落とすつもりはなかったんだ。そして、逃げた」
「……」
「落としたはずなのに……」
話の途中で窓をノックする音がした。お父さんがいて、蓮は窓を開けた。
「いたよ!」
そう言うとお父さんは大翔の元へ再び向かった。
「咲良、大翔いたって!」
「うん、聞こえてる……」
「とりあえず、大翔の所いこっか」
「うん」
大翔はさっき、私を睨んでいた。再び彼と顔を合わせる事に乗り気ではなかったけれど、とりあえず着いていった。
大翔の背中が見えた。背中が、話しかけるな!と語っているようだった。
「蓮、私先に帰るね。」
「えっ?」
「疲れたから、色々と」
「じゃあ、俺も帰る」
お父さんと何か話している大翔。彼が振り返る事はなかった。
その日は帰ってこないで、次の日の朝
「ちょっと僕達、旅に行ってくるね」
ってお父さんからのメッセージが蓮に届いて、私達の目の前からふたりはいなくなった。
少し前までの、一瞬の幸せな時間はいったい何だったのだろう。私は家に閉じこもりながら考えた。まるで、夢の世界の事のような感覚。夢だったのかもしれない。大好きだった大翔に雰囲気がとても似ている彼が家にきてくれた事さえも。
私はずっと、大翔が自ら崖から落ちて、亡くなってしまった。って聞いていた。
車の中で蓮は、俺が落としたって言っていた。
ひとつの嘘が見つかると、その出来事の話、重ね合わせられているものが全て嘘に見えてくる。
「直接蓮に聞いてみるしかないな」
聞いてみよう。怖いけれど。
朝、私は外に出て目的地に向かう。お父さんに頼まれて代わりにカフェを開いている蓮の元へ。
カランコロンと音が鳴る扉を開けると、コーヒーの香りが漂っていて、パンの香りと交わりあっていた。お父さんが旅に出てからは来ていなかったからここに来たのは久しぶり。
ちょうど帰ろうとするお客さんとすれ違った。店の中は蓮以外に誰もいなかった。
「あ、咲良。ここに来るの珍しいね」
彼は微笑んだ。その微笑みも今は嘘に見えてくる。
「ねぇ、ちょっといいかな? こないだ車の中で話していたことなんだけど……」
気がつけば、僕は花丸木さんと旅行に来ていた。何故こんな事になっているのかというと。
花火大会の日、ひとりになりたかった僕は咲良から離れ、人混みに入っていった。しばらくしてから崖の前まで行き、座っていた。
「大翔!」
花丸木さんが息をきらして走ってきた。
「大翔がいなくなったって電話が来て、慌てて来たよ。とりあえず、蓮達に見つけた事話してくるから、ここにいな、ねっ! 動いたら駄目だよ」
花丸木さんは風のように来て、風のように去っていった。
ぼんやりしていると再び戻ってきた。
蓮と咲良もいる気配がしたけれど振り向きたくなかった。顔を見たくなかった。
花火で全てを思い出してしまった。
僕をこの崖から落として、笑いながら見下ろしてきた蓮の顔と、ただ呆然としながら見つめてくる咲良の顔。
「何故、この葉っぱ達が紅く染まっているのか知っているかい?」
「うーん。分からないなぁ」
「簡単に言うとね、木を守る為なんだよ」
今、僕と花丸木さんは温泉があるホテルに泊まりに来ていて、紅葉を眺めながら蟹や野菜など沢山の種類が入った栄養バランスの良い鍋を食べていた。
目の前に見える葉っぱが紅く染まる理由もきちんとあるのに、僕は今、人間として生きている理由が分からない。
ふと、カラスの時、花丸木さんに質問してみたい事があったのを思い出した。
花丸木さんは、花をとても大切にしているけれど、特に僕が人間になる為に見ていた桜を大切にしていた。
「花丸木さんは、どうして僕が毎日見ていた桜を大切にしていたの?」
カラスの時は「食べられるわけではないのに」って言葉も添えようと思っていたけれど辞めた。人間になって暮らしてみて、少し理解出来た気がしたから。
すると花丸木さんから、僕の知らなかった真実をいくつも聞かされた。
「話せば長くなるんだけど、良いかな?」
「うん。聞きたい、です」
「それ以外の話も聞いて欲しいんだ」
花丸木さんは箸を置いた。
「あの桜ね、僕が愛している人なんだ」
「ん?」
突然何を言い出すんだ、花丸木さん。
「あ、いきなりそんな事を言っても訳が分からないね」
僕は素直に頷いた。
「きちんと言葉を直すと、僕が愛していた人が大切に育てていた桜の木なんだ」
花丸木さんはその愛していた人の事を“ 花ちゃん ” と呼んでいた。実際の名前は夢菜さんというらしいのだけど。物凄く花が大好きな女性だったから、そう呼んでいたらしい。花丸木さんと花ちゃんは親のいない子達が集まる施設で育った。血は繋がってはいないけれど兄妹のように。
「お互い施設を出た。そして、再会した時、彼女は僕の息子と同じ年齢の、一歳の女の子を連れていた」
花丸木さんは目を細めた。
「綺麗になっていて、強くなっていて。僕は彼女に惚れた。昔から良いなとは思っていたけどね。僕達はあっという間に恋に落ち、お付き合いを始めた。そしてすぐに、今住んでいる家を買った」
「あの家、庭大きいよね。花植えるため?」
「そう、花ちゃんにどんな家が良いか聞いたら、大きくなる桜の木も、他の花も育てられるくらいの、庭が広いお家が良いなって。ちょうど良い土地が見つかって良かったよ」
ちなみに、ほんの少し離れた場所にも花丸木さんが所有している土地があり、そこに桜の木が植えられている。
けれど、花ちゃんは娘が六歳の時に亡くなった。
「もしも私がこの世からいなくなったら、この子をよろしくお願い致します」
自分が生きられる時間はあとわずかしかないのだと彼女は知っていたから、そんな発言を繰り返ししていたのだと、結構後に花丸木さんは知ったらしい。
「もっと早くに教えてくれれば、彼女の余命を知っていれば、もっと何か、彼女の為に出来たかも知れないのに……。いや、出来たのかな?」
花丸木さんは語りながら考えていた。
「僕は彼女のおかげで興味のなかった花が大好きになった。そして花の知識を彼女に伝えれば、とても興味を持って喜んでくれるから、僕は花の事を沢山調べて、とても詳しくなっていった。彼女の夢は花の美しさを沢山の人々に伝える事だった。だから僕は彼女が亡くなってから、彼女の夢を叶えたくて、花に関しての本を書いた。夢を語る時の彼女はとても美しくて、真剣で。こんなに綺麗な花達が見られない世界や星はもったいない。届けて見てもらいたいね! なんて話もしていた」
「もしかして、花ちゃんって咲良のお母さん?」
「そうだよ。咲良は花ちゃんが産んだ子。そして僕が今育てている」
咲良と血の繋がっていた父親は花ちゃんに対して言葉の暴力が酷くて、そういうのは見ているだけで子供の心の発達や将来に悪影響を及ぼすからって、結婚せずに未婚のまま母になる事を決意したらしい。
「あと、思い出したんだけど、花丸木さんって僕のお父さんだよね?」
花丸木さんは男手ひとつで僕を育ててくれたお父さんだった事も思い出していた。
ちなみに、花丸木さんは、産後の奥さん、つまり僕の産みの親を置いて長い一人旅をしたり、マイペースすぎて、あなたの事が分からない!と言われ奥さんに出ていかれたらしい。今は色々反省していると言っていた。
花丸木さんと花ちゃんは、再会してすぐに愛し合い、僕と咲良の事も愛し、幸せなひと時だったらしい。花ちゃんが亡くなってからも、子供達を愛し、そして子供達から愛されていたから生きていられたのだと彼は言った。
「そう。ちなみに息子のあなたを、カラスの姿の時もずっと見守っていたよ」
「えっ? どういう事?」
「八年前、大翔がいなくなった次の日、蓮が前日に起こった事を話してきて、僕ひとりで見に行ったんだ。そしたらもう既にカラスになっていた。生きていたんだ」
「えっ? 僕だって分かったの?」
「うん。僕が畑セットを渡した二人組のお母さん、その時、傍にいたんだよね。その時はご夫婦で新婚旅行に来ていたみたい。彼らが命の消えそうな大翔を見つけて、元気なカラスにしてくれたらしく。詳しく説明してくれたよ」
花丸木さんは大きなため息をついて、下を向き早口で再び語りだした。
「息子をこんな目に合わせた蓮の事が許せなかった。あいつは後悔している様子だったけれど、蓮には大翔がカラスになって生きている事を言わなかった。後悔して苦しんでいるようだからずっとこのまま苦しみながら生きていけばいいと思っていた。償わせてくださいって言ってきたから、カフェの手伝いしてくれたら、それで大丈夫って、善人の顔して僕は言った。そして毎日会う度に、大翔との幸せだった頃の話を彼にして、毎日罪に意識を向けさせた。警察に捜索願いを出し、探してもらいながら、僕は知っていたんだ」
花丸木さんはこっちを向いて言った。
「僕は悪い大人だよね」
次々と来る情報のせいで、気持ちの整理が追いつかず、僕は何も返事が出来なくて、紅く染まった葉に視線をやった。