翌日、俺は寝不足とやけ食いの副作用で体が悲鳴を上げていた。この頃眠れないことが多く大学の講義にも集中できていない。入学して間もないころ、少なくともあの女と出会う前までは講義も真剣に受けていたはずなのだが…。くわっと大きなあくびを一つして講義室の座席に着くと、何やら目の前に座っている女性がおどおどして何か探していた。周りに散らばる人達はあっけらかんとして見て見ぬふりをしている。こういう人の汚れているワンシーンを見るのはあまり心地よくない。自分もそこまで状の湧く優しい人間ではないが、平気で知らん顔をするような薄情者にはなりたくなかったため話しかけることにした。
『あの、どうかしたんですか?』
そう尋ねると『ふげえ⁉』と変な擬音を発してくるりと後ろを振り向いた。その瞬間ふんわりと甘い匂いが俺の鼻を襲った。いやらしさのない従順な香りがする彼女は外はねのオレンジベージュの髪にぱっちりとした水色の瞳をしていた。よく見ると、彼女は泣き目で少し目元が赤くなっている。
『ぁ…ぁの、ゎたし…』
声が小さすぎて聞き取れない。
『ゆっくりお願いします。』ともう一度お願いすると
『コン…タク…ト…を、落とし…てしまっ…て』ととぎれとぎれで教えてくれた。なるほど、それであんなにもあたふたしていたのか。と勝手な自己解釈をした後、机といすの間を探しまわった。
『あぁ…これか。』思ったより早く見つかって、跪いて探すあの子に場所を教えた。流石にコンタクトを触って受け渡すのは気が引けたので自分で取ってもらう選択をした。ぺこぺことお辞儀をする彼女に手を振って自分の席へ戻る。ほんの少しの出来事だったが性格が改正されたような感覚になった。清々しく、周りの知らん顔のクズたちに心の中でふっ、と笑って見せた。

また遅くまで資料作りに熱中してしまった。やはり空は暗くなり、カラスが阿呆らしく泣いている。この時間になると毎日あの時のことを考えてしまう。もう俺のことなんて気にせずほかの男とベッドインしていることだろう。これでよかったのだ、そもそも俺と彼女は出会うべきではなかった。彼女は別世界の人間だ。
『ふざけてんじゃねぇぞお前!!!!』バチンという何かをはたいたような音と怒鳴り声が建物裏から聞こえてきた。そのあとか細く聞こえてきたのは女性がすすり泣く声だった。
まさか…と俺は嫌な予感がして荷物をその場に投げ捨て声の聞こえる場所まで走った。

『…ぅ…ごめん…なさい…もぅ許して…』と頭を押さえて座り込んでいる桃。顔を紅潮させ歯を剝き出しにして怒り散らす男。その光景を見た途端俺は衝動的に動き出していた。
『え…要君…?どうして…』
『なんだよお前、俺とこいつの話に首突っ込んでんじゃねえよ』
彼が話し出した途端、勢い強く右手を振り下ろし彼の頭に命中させた。その場にうずくまり頭を押さえながらぶつぶつと何かつぶやいている。
『女性に手を挙げるなんて最低だぞ。感情のままに動いてお前餓鬼か?』
今の状況だと俺にもブーメランだがそんなことどうでもいい。そのまま彼女の手を引いてその場から去った。慌てて我に返り彼女から手を放す。
『…要君…ごめんなさい。私、間違ってたの。要君に急にああして話しかけて、べたべたして…』
『嫌…だったよね?』と上目遣いをされ思わずドキッとする。これをほかの男にもしていたのかと思うと謎のチクっとした心の痛みが出てくる。
『別に、嫌ではなかった。』きっと俺は今顔が笑ってしまっているだろう。分かり合えるってこんなにも嬉しいことなのか。頬がどうしても緩んでしまう。