蝉の声も太陽のうだる陽気さも今だ健在で、平日の予定がなければ無理にでも外出しようとは思わない日々が続いている。
夏休みだと浮かれているとあっという間に過ぎてしまう。
夏は終わり方こそあっけなく、捉えどころがないものなのだ。

スマホが振動する。
片山から夏休みの宿題の面倒を見てあげるから久しぶりにサイゼにでも集まろうぜ、という内容だった。
夏休みの宿題を確認しようと机の引き出しを開けるといつぞやの朝倉から渡されたタイムカプセルのありかを示す地図を見つける。
しかし僕は掘り起こす気がないのでそのまま引き出しの奥にしまっておいた。
ついでに片山には丁重にお断りのラインをいれる。

夏休みがあと片手で数え終わってしまうという今日この日、僕は河井に一緒に少し遠出をして花火大会に行くことになっていた。
以前に行き当たりばったりで夏祭りに行ったとき、河井が今度は浴衣を着て大きな花火を見たいと言っていた。
僕はそれを思い出して、今回の花火大会に誘ったのだ。

花火大会の会場は海辺で、僕たちはお昼を過ぎたころから電車を乗り継いで会場へ向かう。
車内は僕たちと同じように花火大会へ向かう浴衣姿の人々でいっぱいだった。
吊革を掴んで揺られていると心地よい睡魔が襲ってくる。
河井さんは、今日はちゃんと起きてるから、と宣言するので僕も頑張って耐えていた。

河井の浴衣姿はとても綺麗で、駅でも車内でも少し人の注目を集めて恥ずかしそうにしていた。
振られたことを気にする素振りは彼女になかった。
彼女とは何でも言い合える以前の気軽な関係のままのようだった。
彼女はあえて何もなかったように振る舞っているだけかもしれないが、だから僕もぎこちなさを見せなかった。
気にしなければいつも通りだった。
あの劇を見てから僕は、河井はもう一人で上手くやれる道を見つけ、僕の助けは必要としていないと思っている。
むしろ僕の方が彼女から余裕や落ち着きを見習わなければならない。

そんなしっかり者の彼女だが、今は花火大会が楽しみなのかいつも以上にそわそわと僕の周りを動き回っている。
余計に可愛らしく思えた。
一度躓きそうになって、僕が慌てて彼女の袖を掴んだ、なんてこともあったくらい。

海岸線に沿って屋台の列が並ぶ。
風が吹けば潮のにおいがする。
僕たちは日が暮れるまで屋台を巡ったり、海辺の観光スポットを回って、昼の時間を余すことなく楽しんだ。

日が暮れると辺りの雰囲気が急に変わり、怪しげに揺れる海上には数隻の船が留まっている。
僕たちは花火を見るための絶好のスポットである堤防を見つけた。
屋台の列から少し離れているせいか人もまばらにしかいない。
僕たちはそこに座って、花火が始まるのを待つことにした。
灼熱の空気も今や海風によって涼しくて心地よい。

僕は今日、河井に本当のことを伝えようとは思っていた。
しかしタイミングなんてものは考えてきていない。
花火を待つ僕は今この瞬間の、この祭りの興奮が乗じた方がいいかと逡巡した。
興奮は冷めやらぬ前に伝えなければならないと思った。
雰囲気には力がある。
花火が鮮やかに夜空を彩り、そして儚く消えてからではきっと遅い。


「なあ、河井」 

僕が声を掛けると、河井は早くその先を聞きたいとばかりにこちらを向いて、じっと僕の言葉の続きを待ってくれている。
僕は一度深呼吸をする。
たとえ僕が打ち明けて、これからの関係が崩れたとしても、河井が僕を恨むような結果になったとしても僕に後悔はない。
これまで多くの信頼関係を築いてきた分、河井が受けるショックは大きいかもしれない。
だけど今の河井ならきっと乗り越えられる。
それに僕はいい加減、一歩前に踏み出さなければならないだろう。
いつまでも秘密にしておきたくはない。
彼女が真実を聞いた後で、誰にも口外しないと誓ってくれるのならば、僕はヤマモトさんに秘密で記憶の消去を見逃そうと思っていた。

驚かないで聞いてほしい、そう言うと河井の顔はより真剣味を増す。
僕は震える全身を無理やり奮い立たせる。
そして僕は隠していた僕の正体や年齢、体質全てを素直に打ち明けた。

僕の話を最後まで静かに聞いていた河井は驚くことも悲しむことも動揺することもなかった。
なんだかうれしそうな顔で笑っているように見えた。
それから今度は、私のお願いを聞いてほしいと言った。

静かな岸辺だった。
僕はその真っ直ぐな瞳を見て首を縦に振る。

河井の話は逆に僕をとてもとても驚かせた。
本当にそれでいいのか、と問うと、それがいいの、と彼女は笑って答える。

僕がたった今、本当のことを話したばかりなのに、なんで彼女がそれを望むのか分からない。
まだ考える時間はたっぷりあるのだからしっかり考えた方がいい、と軽くあしらうと、私に覚悟がないとでも思った? と少し怒られる。
むしろ今後の目標が決まった私の行動力はすごいからね、と胸を張ってどこか誇らしげな様子だった。
僕の話ちゃんと聞いてた? と訊ねると、聞く前からなんとなく分かってたよ、と言われてしまった。
しゃちって笑うの下手だよね、嬉しいならもっと自由に笑えばいいのに。そう言ってお手本のように嬉しそうな笑顔を見せる。
それを見ているとなんだか今までこわばっていた肩の力が抜けていくようだった。
僕もちゃんと嬉しいということを伝えたい。
だけどどうすれば上手く伝えられるのか分からず、しばらく返す言葉を探していた。

どーーーーん。
 
衝撃音とともにひときわ大きな花火が夜空を彩り、花火大会が始まる。
こうなってからでは会話すら野暮というものだろう。
僕は言葉を探すのをやめて、現れては消える花火をただ見とれていた。
僕が地面に置いていた手を上から包み込むような感触がある。
僕は手のひらを返して、優しくその手を握り返す。
温かなものが伝わってくる。

ここで花火を見ずに、その横顔を見ていれば僕の気持ちはきっとバレてしまうだろう。
だから僕はずっと花火を見ていた。
だけど、結んだ手から。
一緒にいた時間から。
全てを打ち明けた僕の心なんてもうお見通しだと、彼女は言うのだろう。
その笑顔は容易に想像できた。
僕は彼女との間に空いた空間を完全に埋めるように優しく肩を寄せる。

僕はまたしても顔に出ていたのだろう。
なんか凄く嬉しそうだね。
花火に顔を向けたままの彼女に指摘される。

まあね。花火が凄く綺麗だから。 

私も今が凄く楽しい。
 
花火はそのひとつひとつが儚く夜空に消えていったとしても。
そのうちのひとつでも、僕を理解し支えてくれるものがあるのなら、こうして人の心の奥底までに優しく焼き付くのだから全然儚くなんてない。
一瞬だけ、なんて勘違いにも甚だしい間違いだろう。

ふと来年のことを考えてしまう。
来年もこうしてここで、二人で花火を見に来れるのなら。
この先どんな大変なことだってなんとかできちゃいそうな気分だった。
むしろこれからもこうして二人で見るために頑張らなければならないだろうな、と思った。
僕がやるべきことは山積みだった。