────あれから。


わたしの当番の日は必ずといっていいほど、健二くんが図書室に顔を出すようになった。

きまって軽音部の練習のあと、下校時間近く。

わたしのおすすめの恋愛小説を借りて、一緒に帰る。


当たり前になってきていた。


帰り道、ほんの15分。たくさん話をした。


たとえば、小説の感想。

あの子がちょっとうざかった。あいつはヘタレだったな。ハッピーエンドが好きだから泣いちゃった。

なんて、健二くんらしい素直な言葉を聞くのは、とても耳が心地よかった。次はハッピーエンドの話を用意しよう。



たとえば、好きなこと嫌いなこと。

リズムセンスはぴかいちで、カラオケが好きだけれど音痴で。ついでに体力はあれど運痴で。ついでのついでに、漢検は持ってるけれど活字が苦手で、古典とか意味不明……らしい。

それでもおすすめした本は、次の週には読了してくれる。先週貸した本には古典の内容も入っていたのに。


他にも『なりそこないロマンチカ』のサビに入るときのリズムを奏でてくれた。

タン、タタン。
タン、タタ、タン。

そして続く歌声は、自転車がギィギィ鳴くよりもひどかった。



「……へた、だろ?」

「うん、すごく」



うなずけば少し項垂れてしまった。



「でも、健二くんのよさは伝わったよ」



わたしは好きだな。

とは、言えなかった。言えるわけない。

まるで小説みたいにうまくいくわけないから。


ふにゃりとほころんだ健二くんはかわいいけど、特別かっこいい。

そう想うのはわたしだけがいい。

心の中だけなら誰に許しを乞わなくてもいい。ただのモノローグに過ぎないのだから。



「あ、あの、」

「なに?」

「真子さんのよさも、伝わってる、よ」



どうして急にカタコトになったんだろう。

足を止めた健二くんは、うつむいてグリップを握る手を力ませる。



「真子さんが選んでくれた本、どれもわかりやすくて、読みやすくて……おかげでナナコのメンバーにもほめられた。音が前よりもよくなってるって。来週のステージもきっと、いい演奏ができる」



……あぁ、もしかして、これは。



「ありがとう、ございました!」



別れのあいさつ、のようなものだろうか。


ほらやっぱり。

小説は小説。

わたしなんかが勝手に恋を始めちゃっただけ。


赤い糸なんてなかった。



「それで、その……」



きっと最後の言葉を探してる。


わたしも言わなくちゃ。

またね、じゃなくて、さよならって。文化祭がんばってね、って。


たったの数文字がやけに喉に引っかかる。

頭ではわかっている。物語でもエンドマークがないと成り立たない。

頭でっかちにはむずかしすぎる。



「……ぁ、ああっ!」



不意にとってつけたような叫びが、真上に飛んでいく。


……上?


つられて夜空をあおぐ。

満月だ。

あめ玉みたいな星におだてられたようにまばゆく光ってる。嫌味のない黄金を、今ばかりはひねくれた受け取り方をしてしまいそうだ。



「つ、月が、綺麗……ですね!」

「……え?」



びっくりした。いろんな意味で。


ずるずると視線を落としていく。

暗くてもわかるほど健二くんの頬は赤らんでる。

たぶん、わたしも。



────月が綺麗ですね。



先週おすすめした恋愛小説で、前世の記憶を持つ男の子が前世の恋人に想いを告げたセリフ。

ひどく切ない告白シーン。



「……つ、伝わっ、た?」



あぁ、なんというか、現実って、すごいな。

ううん、ちがうね。健二くんがすごいんだね。

小説は小説だと、わたしはあきらめてばっかりだった。ダサいなあ。年上なのに。


今は、今こそはちゃんと、しっかり伝えないと。



「……うん、すごく、綺麗だね」



ね、と言い終えたと同時に抱きしめられた。

大きな音を立てて自転車が転倒する。



「文化祭、絶対観に来て。真子さんのために演奏するから」



健二くんはずるい。ずるすぎる。

愛のセリフをいくつ持ってるの。わたしにもひとつ分けてよ。