「魔法少女の活動は、基本的にパートナーを組んでやるんだ。一人じゃ予期しないトラブルがあった時とか危ないからね」

 オカルト部――魔法少女としての活動の隠れ蓑として作られた部活だ。
 そのオカルト部の部室で、計四人の魔法少女の顔を見渡しながら、レンダが魔法少女の活動について軽く説明をする。
 今はもう放課後で、これから栞里の初めての魔法少女活動が始まるところだ。

「だから原則として行動は常に二人一組。もしも一人で力のあるヘイトリッドに遭遇することがあっても、絶対に戦っちゃいけない。合流が最優先。これを肝に銘じておいてね」
「はい!」

 元気よく返事をする澪を見て、レンダはうんうんと機嫌よさそうに頷いた。

「いずれは栞里と澪で正式なパートナーを組んでもらうつもりだけど、まだ二人とも経験が浅いからね。しばらくは七夏と沙代、先輩二人のどちらかと組んでもらうことになる」
「よろしくねー」
「ふふ。よろしくね、栞里ちゃん。澪ちゃん」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「よろしく」

 食堂で一緒に昼食を食べたこともあり、四人はずいぶんと打ち解けていた。
 レンダも彼女たちの漂う空気が昨日と比べて緩んでいることに気づいたのか、安心したように頬を緩めた。

「じゃ、とりあえず今日は七夏と栞里、沙代と澪で別れて活動しようか。明日はその逆で沙代と栞里、七夏と澪ね」
「了解ー」
「わかったわ」
「二人とも、魔法少女の戦い方とか心得とかちゃんと教えてあげるように。じゃ、活動開始ー!」

 レンダは号令を終えると、ふにゃふにゃと机の上に崩れ落ちた。
 机に上に顎を乗せて、全身の力を抜いて、だらーっとし始める。

「おーい栞里ちゃーん、行くよー」
「……レンダはあれでいいの?」
「え? あー、レンダちゃんは仕事する時はそこそこ真面目だけど、普段は結構怠け者だから。日向ぼっことか好きなんだって」
「心外だなぁ。僕は怠けてるんじゃなくて、目一杯休んでるだけだよ。ほら、例の事件(・・・・)で最近物騒だろう? ここ数週間はその調査で働き詰めでさー……僕にとっては今は休憩時間だし、好きにだらけたっていいじゃないか」
「だってさ。まあ本当にサボってたら紡木ちゃん……あー、古本先生が叱るだろうし、私たちは私たちのやるべきことをやろっか」
「わかった」

 例の事件、とやらが少し気になったものの、今から魔法少女としての初活動が始まるのだ。余計なことを考えるのは集中力の低下に繋がる。
 また機会があれば聞けばいいだろうと心に留めつつ、七夏に続いて部室を出た。
 部屋の外では先に出ていた沙代と澪が待っていた。

「七夏ちゃん。澪ちゃんはヘイトリッド退治は未経験だけど知識はあるから、私たちは校外に見回りに行こうと思うわ」
「お、じゃあそっちは任せようかな。私と栞里ちゃんは学校の敷地内でも見て回るよ」
「そうなると、明日は私と栞里ちゃんが外で、七夏ちゃんと澪ちゃんが学校の敷地?」
「だねー。二日も外の見回り任せちゃって悪いけど」
「いいのよ。じゃ、行ってくるわね」
「うん。澪ちゃんも、なにかあったら遠慮なく沙代を頼るんだよ」
「はい! 行ってきます!」

 栞里ちゃんもまた! と手を振って去っていく澪と沙代に手を振り返す。
 二人の姿が見えなくなると、さてと、と七夏が栞里の方に向き直った。

「私たちも行こうか」

 昇降口方面へ進んだ沙代たちとは逆の方へ、栞里と七夏も歩き出す。
 いったいどこへ向かうのか、ヘイトリッドは校内にも存在しているのか、どうすれば見つけることができるのか。
 栞里はいろいろと聞きたいことはあったが、そんなことは七夏も承知の上だろう。
 歩き始めて間もなく、七夏は説明を始める。

「ヘイトリッドは世界中に蔓延る悪意の塊だって前に言ったけど、それだけじゃわからないことも多いよね。たとえば、どうしてヘイトリッドは世界中に存在するのか、そもそもどうやって生まれてくるのか、とかね」
「私もそれはずっと聞きたかった」
「うんうん。昨日はあんまり一気に情報与えちゃうと混乱しちゃうだろうからって思って端折(はしょ)ったけど、今日はちゃんと説明するつもり。わからないことがあったら遠慮なく聞いてねー」

 これから栞里が自分の手で対処しなければならなくなる存在のことだ。言われずとも遠慮するつもりはない。
 七夏はこほんと咳払いをした。

「まず、ヘイトリッドが世界中に存在する理由だけど、これは簡単だよ。ヘイトリッドは人間の負の感情がこぼれ落ちたものなの。だから、人が生息する場所にはいくらでも発生する」
「負の感情がこぼれ落ちたもの?」
「正しくは、人が亡くなった時に解き放たれる負の感情から、かな? これだけじゃわかんないと思うけど……」

 七夏は自分の胸に手を当てて、ゆったりと続けた。

「私たちは過去から現在、そして未来に至るまで、いろんな感情を抱いて生きていくよね。人に刻まれるその記憶、思い出は、一種のエネルギーなんだよ」
「エネルギー?」
「そう。そしてそのエネルギーは人が生きている間、ずーっと心に蓄積されていって、その人が亡くなって魂が肉体を離れた時、そのすべてが外へと溢れ出る」
「……つまり、こぼれ出した思い出の中にあった負の感情が形になったものが、ヘイトリッドってこと?」
「お、栞里ちゃんは察しがいいね。その通り(イグザクトリー)、だよ」

 七夏は指をくるくると回して、その指の向きを上へ、下へと交互に動かす。

「温かい空気は上へと流れるよね? でも、冷たい空気は下に溜まる。それと同じなの。正の感情は天にのぼって残らないけど、負の感情だけはここに残っちゃうんだ。ヘイトリッドとしてね」
「でも、それじゃあヘイトリッド退治は、永遠に終わらないんじゃ……」

 人が亡くなった時に解き放たれる感情が原因だとするのなら、人が存在する限りヘイトリッドも存在し続けるということにほかならない。

「そう、終わらない。だからずっと退治し続けていく必要があるんだよ。常に誰かが、魔法少女としてね」

 真剣な表情で虚空を見据えながら、七夏は強い声音で言い切った。
 ヘイトリッドを完全に根絶する方法はないのかと、そんなことを聞こうとして、けれどすぐに栞里は口を閉じた。
 そんな都合のいい方法があるのなら、きっととっくに実行されている。

「ま、実際はそこまで難しく考えなくてもいいことなんだけどねー」

 張り詰めてしまった空気を和らげるように、七夏は引き締めていた表情を緩め、栞里に気さくに笑いかけた。

「大きな戦争があった頃は深刻なヘイトリッドの蔓延状態だったらしいんだけどね。今は平和だし。それに、基本的にヘイトリッドより魔法少女の方が強いの。というか、力を持つ前に退治するのが私たちの仕事だから」
「魔法を秘匿すべきっていうのは、その大変な時代があったから?」
「かもねぇ。魔法が表沙汰になって、またでっかい戦争でも起きたら、どれだけの悪意がばらまかれるかわかったもんじゃないし。戦争とヘイトリッド……その二つでどれだけの犠牲が出るかもわからない」
「……」
「まーそんな難しく考えなくても大丈夫だって! 未来のことなんて誰にもわからないけど、少しでも良い未来になるよう頑張ることはできるでしょ? だから今の平和な時代があるんだもん。私たちもその先達にならって、同じようにただ頑張ればいいんだよ」
「頑張る、か……」

 魔法少女とはつまり、人が存在する限り決して滅びることがない悪意を相手に戦い続ける者であるということだ。
 それを理解した上で頑張るだけでいいだなんて、栞里にはとても言えそうになかった。
 ……でも、それに簡単に言ってしまえるような底抜けな前向きさこそが、七夏の一番の魅力なのかもしれない。

「さっき言った通り、ヘイトリッドは人の負の感情が形になったものなんだ。だから基本的には、負の感情が集まりやすい場所に好んで生息する」
「たとえば?」
「そうだねぇ……薄暗くてじめじめしたところとか、かな?」
「暗くてじめじめしたところ……ダンゴムシみたいな?」
「う、うん? そのたとえはちょっと……」
「じゃあ、ゴキブリみたいな」
「ひどくなったんだけどっ!? まず虫にたとえるのをやめよう? ね?」

 良いたとえだと思ったのだけれど、と栞里はちょっと項垂れる。
 ゴキブリは暗くてじめじめしたところが大好きであり、その体は雑菌、細菌が多く付着しているから、触れるだけで病気にかかる危険がある。
 ヘイトリッドだって暗くてじめじめしたところを好み、人に寄生し危害を加える性質があるのだから、ゴキブリと似たようなものではないかと栞里は思ったのだ。

「なんでそんな残念そうな顔するのかな……とりあえず、まずはここから調べていこっか」

 そうしてやってきた場所は、女子トイレだった。
 間子葉高校では、主に普通教室がある棟を普通教室棟、理科室などの特別教室がある棟を特別教室棟と呼び分けている。
 オカルト部の部室があるのは特別教室棟の方であり、この女子トイレも同じ棟の二階にあるトイレに当たる。

「薄暗くてじめじめしたところがヘイトリッドを発見しやすい場所の一つではあるけどね、実はそれだけじゃヘイトリッドが発生する条件が整うわけじゃないの」
「というと?」
「ただじめじめしてるだけでいいなら、適当な湿地とか密林とかにもヘイトリッドは存在して然るべきでしょ? でも、そういうところにはあんまりヘイトリッドはいないんだ」
「……ヘイトリッドは負の感情の塊。感情はそもそも人間が抱くものだから、負の感情が集まりやすい条件は、人間が活動する場所の近くでしか整わないってこと?」
「そ! 近場でたくさんの人が集まる機会が多いこと。それが二つ目の条件なの。特に、感情が大きく揺れ動く十代の子が多いところ……学校なんかはその代表かな」
「……なら、学校を魔法少女活動の拠点にしてるのは、校内を念入りに調査する効率化の意味も兼ねてる……?」
「お。これだけでそこまでわかるなんて。ふふ、将来有望な魔法少女だ」

 と、そこで七夏はなにかに気づいたようにしゃがみ込む。

「……いきなり当たりを引いたね。ヘイトリッドがいた痕跡がある」
「痕跡……? ……私にはなにも見えないけど」
「最初に説明した時、目に魔力を通さないと見えないって言ったでしょ? 栞里ちゃんはそれをやってないからね」
「それはどうすればできるの?」
「んー、変身するのが一番手っ取り早いんだけどね。全身に魔力が通うから嫌でも見えるようになるし」
「じゃあ早速」

 昨日魔法少女になるとレンダに告げた後、栞里はすでに魔法少女としての力の基本的な使い方は教わっていた。
 その一つである変身をいざ実行に移そうとしたところで、ちょっと慌てたような七夏に手で静止された。

「いや待って待ってっ。変身はダメ!」
「ダメなの?」
「ダメなの。確かに私、栞里ちゃんに魔法少女にならないかって誘った時とか割と普通に沙代に変身してほしいってお願いしてたけど、本来変身ってそんな気軽にするものじゃないの」
「そうなの?」
「うん。特に今はね。まだ捜索段階だし、いつヘイトリッドが見つけられるかもわからない。変身解除後は一気に疲れが襲ってくるし、いざヘイトリッドに遭遇した時に力が弱まってたら話にならない。危険なの」

 至って真剣な表情だ。本気で栞里の身を案じていることがわかる。
 魔法少女や、その仕事であるヘイトリッド退治に関しては七夏が先輩だ。いや、普通に学校の先輩でもあるけれど。
 栞里は素直に七夏の言うことを聞き入れて、ならばどうすればいいのかと七夏に視線で問う。

「栞里ちゃんはまだ魔法少女になって間もないから、変身してない状態だと特異魔法以外にはうまく魔力を使えないと思うけど……ちょっと待ってね。ちょうどいい道具を持ってきてるから」
「道具?」
「うん。えぇっと、確かこの辺にー……」

 七夏は持ってきていた鞄の中に手を突っ込んで、がさごそと漁り出す。
 そうして彼女が中から取り出したのは、一つの長方形の箱だった。
 箱を開けると、じゃーん! と七夏は中のものを栞里に見せつける。

「これ!」
「……メガネ?」
「そ。私がまだ魔法少女になったばかりの頃に使ってたやつなんだー」

 メガネとメガネケースを手渡されて、栞里は訝しげにそれを見下ろした。
 どうやら度は入っていないようだ。見た目的には変哲もない伊達メガネに過ぎない。
 しかしこんな場面で渡してくる代物だ。間違いなくなにか細工がある。

「かけてみて」

 促されるまま、メガネをかける。
 レンズを通して見える景色に、初めは違いがないように思えた。
 しかしさきほど七夏が注視していた箇所に目を向けた時、メガネをかける前には見えていなかったものが見えることに気がついた。
 黒く濁った、なにやら泥のような粘液がこびりついたかのごとき、半透明の薄い跡。それは這いずるようにして、窓の方へ続いていた。
 今は窓が閉められていたが、栞里の視線の先を察した七夏が窓を開ければ、その跡が向こう側へと続いているのがわかった。

「これがヘイトリッドが残す痕跡、魔力の残滓。そしてそのメガネは、魔導協会が開発した魔道具の一つだよ。魔力を使えない一般人でもヘイトリッドが見えるようにするために開発されたんだって」
「魔道具……魔法が込められた道具ってこと?」
「ちょっと違うかな。あくまで魔法を使えるのは魔法少女と精霊だけ。魔力を目視することっていうのは魔法でもなんでもない基礎技能で、それはその基礎技能を擬似的に再現してるに過ぎないよ」
「そうなんだ」
「ま、魔導協会の構成員が全員魔法少女や精霊ってわけじゃないからね」

 痕跡の先を確かめるため、外をしばしの間見渡してから、七夏は窓を閉め直す。

「そういう人たちが魔力やヘイトリッドの存在を正しく認識するためにも、こういう道具も自然と生まれてくるってものだよ」
「ふむ……」
「それは栞里ちゃんに上げるね。そのうち自然とできるようになるだろうけど、変身してない時の魔力操作に慣れない間はそれを使うと良いよ」
「もらっていいの?」
「私にはもう必要がないものだから。私のとこで埃をかぶってるより、栞里ちゃんが使ってくれた方が私は嬉しいな」

 明るく、気持ちのいい笑顔だった。

「……わかった。ありがとう七夏。大切に使う」
「へへ。じゃ、昇降口に向かおっか。痕跡は外に続いてるみたいだからね。靴履いて行かなきゃ」

 メガネ自体はかけたまま、メガネケースはしまい、栞里は七夏の後を追った。