「ついたよ。ここなら周りを気にせず話ができる」

 七夏に案内されてたどりついたのは、部室棟にあるオカルト部の部室の前だった。
 オカルトとは、神秘的なこと、超自然的なこと、あるいは目に見えず隠れているもののことを指す言葉だ。
 昨今においてはそれとは別に、幽霊だったり魔術だったり超能力だったり、果ては宇宙人だったり、そういう妄想の産物に過ぎない代物を大雑把にまとめてオカルトと呼んだりもする。
 オカルト部とはとどのつまり、そういった超常現象を解明しようとする部活という認識で相違ないだろう。

(いよいよ胡散臭くなってきた……)

 栞里はもうこの時点で回れ右して帰りたい気分だった。
 しかし七夏が栞里の写真を見るに至った経緯が未だわかっていない以上、このまま知らんぷりして立ち去るわけにもいかない。
 まったく気は乗らないけれども、ひとまずは話を聞く必要がある。

「ささ、遠慮なく入って。もちろん澪ちゃんもね」
「お、お邪魔します!」
「……お邪魔します」

(……部屋の中は、案外普通かな)

 オカルト部などと言うくらいなので、黒いカーテンで窓からの光が遮られていたり、不気味な置物が各所に設置されているような陰気な室内をイメージしていたが……予想に反し、中はなんてことのない普通の一室だった。
 窓のカーテンは確かに閉められていたが、別に黒くもない普通のカーテンだ。そんなに遮光性も高くないことから外の光が漏れてきている。
 不気味な置物なんかも特になかった。それどころか加湿器やヒーター、電子ポットやお茶っ葉、果てはお菓子の小袋なんかもあったりして、休憩室のごとく過ごしやすい快適な環境が整っている。

「あら?」

 そしてそんな部屋の中には一人の先客がいた。
 まっすぐに背を伸ばしてイスの一つに腰を下ろし、丁寧に本のページをめくる理知的な姿は、一枚の絵画のようにも感じられた。

「ふふ。こんにちは」
「……こんにちは」
「こ、こんにちは!」

 入ってきた三人に気づいて、微笑みとともに挨拶を投げてきた彼女に、栞里と澪も会釈を返す。

(この人も、この七夏っていうのと同じ二年生……)

 リボンとスカートの色が七夏と同じ緑色なので、二年生だ。

(同じ……同じ? ……本当に同じ二年生? というか、高校生……?)

 読書を嗜んでいた彼女のある一部分を見て激しい疑問を抱く。
 具体的に言うと胸である。およそ成人していない学生とは思えないほど大きく膨らんでいて、視線が吸い寄せられずにはいられない。
 なお余談だが、同学年のはずの七夏は哀れなほどのへなちょこぺったんこだ。
 栞里が心の中でそんな失礼な比較をしている間に、七夏は栞里たちを歓迎するように、長机の前に置かれたイスを指し示した。

「さ、二人とも遠慮なく座って。沙代(さよ)、悪いけどお茶出してもらってもいい?」
「わかったわ。ここまで案内ご苦労さま、七夏ちゃん」
「うん……うぅ、ここまで連れてくるの本当に苦労したんだー……」
「ふふ。大変だったのね」
「それはもうすっごく」

 七夏と沙代と呼ばれた少女はそれなりに親しい間柄のようだ。愚痴を言う七夏を沙代は慣れた様子で慰めながら、席を立って電子ポットへと向かった。
 一方で七夏は、沙代が座っていたイスの横に腰かける。栞里と澪は顔を見合わせてから、七夏たちと対面になる位置に腰を下ろした。
 沙代が人数分の湯呑みを用意している姿を尻目に、七夏は自分の胸の前に手を置いた。

「それじゃあまずは改めて、もう一度自己紹介から……私はこの間子葉高校の二年生、架空七夏。一応、このオカルト部の部長ってことになってるね。で、こっちは初めての紹介になるけど、今お茶を淹れてくれてるのが副部長の」
宮姫沙代(みやびさよ)よ。よろしくね」

 お茶を淹れながら、振り返って笑顔で言う。

「凪沢澪です。よろしくお願いします」
「花乃栞里。一五歳」
「う、うん? まあそりゃ入学したてだし一五歳だろうけど……」

(あはは……ここでも年齢主張するんだ)

 教室での栞里の自己紹介を覚えている澪は、謎の年齢主張に心の中で苦笑した。

「はい、どうぞ。粗茶ですが」
「わ、ありがとうございます! えっと、宮姫先輩……?」
「ふふっ。沙代でいいわよ?」
「沙代先輩……」

 大人らしい体つきもさることながら、上品で落ちついた雰囲気、優美な立ちふるまい、優美な仕草、美しく綺麗な微笑み。沙代はこの中で一番女性らしい魅力があった。
 沙代からお茶を受け取った澪は、憧れの人でも見つけたかのように目を輝かせる。

「はい。栞里ちゃんもどうぞ」
「……どうも」

 一方で栞里は、未だこのオカルト部という部活に対して胡散臭さが抜け切れずにいた。
 少し失礼だとは思いつつも、つい素っ気ない態度を取ってしまう。

「ごめんなさいね。栞里ちゃんや七夏ちゃんの様子からして、たぶん七夏ちゃん、だいぶ強引に栞里ちゃんたちを連れてきたでしょう?」
「別に……どんな経緯であれ、話を聞いてみることに決めたのは私の意思だから。謝られるようなことじゃない」
「ふふ。そう。なら私は七夏ちゃんのお友達として、謝罪じゃなくてお礼を言うべきなのかしらね。七夏ちゃんを信じてくれてありがとうね、栞里ちゃん」

(……別に、七夏を信じてついてきたわけじゃないけど……)

 七夏は栞里の写真を事前に確認してきていたり、未だその出処を明かさなかったりと、怪しいところ満載だ。
 あからさまになにかを隠そうとしている輩を、そう簡単に信用できるはずもない。
 どちらかと言えば栞里が信じたのは、澪の判断だ。
 七夏の話を聞いてみてもいいんじゃないかと澪が言ったから、栞里もそんな彼女を信じて了承した。それが今の状況である。

「じゃ、自己紹介も終わったし、そろそろ本題に入ろっか」

 全員に湯呑みを配り終えた沙代が元の席に戻ったのを確認すると、七夏がコホンと咳払いをした。
 澪が姿勢を正すのに習って、栞里も一応背筋を伸ばした。

「まず勘違いされないよう初めに言っておくけど、この部活、オカルト部っていうのは単なる建前ね。私……ううん。私たち魔法少女の活動をカモフラージュするための、いわば表向きの立場でしかない」
「また魔法少女……」

 ただの部活の勧誘だったなら話が単純で助かったのだが、やはりそういうわけにもいかないようだ。

「あいかわらず信じてないね、栞里ちゃん……でもいいよ。ここまで来てくれたなら人目もないし、証明するのはそう難しいことじゃないから」
「証明?」
「ま、それは後でね。まずはとりあえず私の話を聞いてほしいな」
「……わかった」

 魔法少女など実在しない。いつまでもそう頭ごなしに否定していたって進展はない。
 相手に話したいことがあるというのなら、聞き手に徹し、理解に尽力すること。きっとそれが、スムーズに話を進めることに繋がる。
 数十分前廊下で言い争いをした時と違い、栞里が理知的に話を聞いてくれる様子を見て取ると、七夏は嬉しそうに微笑んだ。

「ね。栞里ちゃんは魔法少女って聞くと、どんなイメージが湧く?」
「どんなって……」

 栞里は幼かった頃に見た魔法少女のアニメをうろ覚えで思い出す。

「……ひらひらした華々しい衣装を纏って、魔法を使って悪者を倒したり、人を助けたりする……純粋で幼い、正義の味方?」
「うんうん。良いイメージだね。私たちもね、魔法少女って名乗ってる通り、その栞里ちゃんの想像に限りなく近い存在なんだ。魔法を使って、人知れず悪いモノを退治する……それが魔導協会から私たち魔法少女に与えられてる主な仕事なんだ」
「魔導協会?」
「うん。あ、魔導協会のことも教えておかないとね」

 聞き慣れない単語について、七夏は丁寧に教えてくれる。

「魔導協会は、魔法の存在を知る者だけで構成された秘密組織だよ。主な構成員は魔法少女と精霊と、あと魔法を知ってるだけの一般人。基本的に表立って活動するのは私たちみたいな魔法少女で、他は裏方とかサポートって感じかな」
「魔法はまだわかるけど、精霊って?」
「あなたが今朝捕まえて警察に連れて行ったっていうレッサーパンダのこと、覚えてる?」
「もちろん覚えてるけど……」
「あれが精霊だよ。魔法少女になれるだけの資格を持つ者がああいう精霊と契約することで、人は魔法少女になれるの」

 ――君、魔法少女に興味ないかい?
 例のレッサーパンダが放っていた一言が栞里の頭をよぎる。

「あの子みたいな精霊はね、その人が魔法少女になれる資格を持つかどうかを見極めることができる力を持っているの。廊下で会った時に私、言ったよね? あなたにも魔法少女になれる資格があるって」
「うん……」
「この前のこの学校の受験の日にね。魔導協会の仕事の一環で、新しく魔法少女の資格を持ってる人がいないかって試験を受けに来た子全員を、あのレッサーパンダ……んー、レンダちゃんって言うんだけど、レンダちゃんが観察してたんだ。その時に見つかった資格を持つ者……それがあなたなの」

 七夏はそこまで言うと、一旦湯呑みを口に傾ける。
 栞里もそれに習うようにして、自分の湯呑みを口につけた。

「ふぅー……魔法少女の資格って言われてもよくわかんないと思うけどね。それに関しては私も沙代もよくわかってないんだ。そういうのって精霊にだけ見えるものらしくて」
「……そう」
「あはは、いろいろ一気に話しすぎちゃってちょっとついていけてない感じかな。それじゃあちょっとこの辺で、栞里ちゃんが気になってたことを教えておこうかな」
「私が気になってたこと?」
「私があなたの写真をどうやって確認したのか」
「……なるほど」

 元はと言えばそれを確かめるために栞里は七夏の話を聞くことに決めたのだ。

「あれはね……魔導協会って結構裏の世界の影響力、みたいなものがあってね。その中でも特に学校って施設とは関わりが深いんだ。だから、入学希望者の写真を入手するくらいなら簡単にできるんだよ。あんまり面白味のない理由で申しわけないけど……」
「裏の影響力……ヤクザ的な?」
「ヤ、ヤクザ? ぶ、物騒なたとえだね……あながち間違ってないかもだけど……」
「間違ってないんだ……」
「あ、あながちね! あながち! こほん! は、話を戻すけど、栞里ちゃんはさっき言ったように新しい魔法少女候補だったからね。間子葉高校所属の魔法少女のリーダーとして、新しい魔法少女候補ってことで協会の方から写真を見せてもらってたの」
「……なるほど」
「まあ当初はレンダちゃんが勧誘する予定だったから私の方から向かう予定はなかったんだけど。誰かさんが交番になんて送り届けちゃったものだから急遽私がね」
「む。まるで私が悪いみたいに言わないでほしい。あれはあのレッサーパンダが怪しすぎたのが悪い。いきなり魔法少女がどうかか言われたら誰だって誘拐を疑う」
「誰だっては言いすぎだと思うよ!?」

 適当に七夏をあしらいつつ、栞里は思索にふける。
 とりあえず当初の目的であった写真の出処については聞き出すことができた。
 魔法少女、魔導協会、精霊。
 七夏の言うことが全部信じているかと言われれば口を閉ざさざるを得ないが、仮にすべて本当だったとするなら、写真の件で栞里がいくら騒いでも無駄であろう。
 強大な権力を持つ組織を相手に下手に反抗したところで、栞里が損をかぶるだけの結果に終わることは想像に難くない。
 無論、何度も言うようにまだ完全に信じているわけではないが。

「あ、そうそう。栞里ちゃんが警察に届けたあの子、レンダちゃんだけど、たぶん今頃学校に戻ってきてるところじゃないかな」
「え。実験施設とかに送られてるわけじゃなくて?」
「じ、実験施設って……えぇと、うん。魔導協会が手を回したからね。幸い大事には至ってないよ。さっきスマホに連絡も来てたし。もうすぐここにも来ると思う」
「また裏の影響力ってやつ? ……もしかして魔導協会って、悪の組織?」
「んー、見方によってはそうかもね。でも、あくまでそれは魔法の存在を知られないように……言い換えるなら、人を守るためにしていること。それだけは知っておいてほしいかな」
「魔法の存在を秘匿することが、人を守ることに繋がるの?」
「繋がるよ。魔法が知れ渡れば、当然世界は大騒ぎになる。そして、急激な変化は必ず多くの人を不幸にする。戦争を引き起こす火種にだってなりかねない」

 栞里の目を真正面から見据え、至極真剣な顔で七夏は言い切った。
 その覇気に、栞里はなにも言えなくなる。

「あとは……そうだね。魔導協会の活動方針について少し話しておこうかな」

 七夏は少し気まずくなってしまった空気を解すように表情を緩める。
 それから指を一本、二本と続けて立てた。

「魔導協会の主な目的は二つあるの。一つは今言ったように、魔法を知られないようにすること。そしてもう一つは、魔法の力で悪意の怪物を倒し、人の心の秩序を守ること」
「……? 魔法を知られたくないのに、魔法を使うの?」
「それ突かれると痛いんだけどねー……最初に言ったよね? 魔法少女は悪いモノを退治する存在だって。その悪いモノっていうのは、世界中に蔓延る悪意の塊……協会はヘイトリッドって呼んでるんだけど、それは魔法みたいに魔力を介した現象じゃないと干渉できないんだ」

 だからしかたなくね、と七夏は肩をすくめた。

「……私は今まで生きてきて、そのヘイトリッドっていうの、一度も見たことがない」
「それは当然だよ。あれは魔力を通さないと見えないから。魔法少女なら目に魔力を集めれば見えるようにできるけど……栞里ちゃんは魔法少女になれる資格はあっても、まだ魔法少女じゃないからね」
「なら、次の質問。そのヘイトリッドっていうのは、そもそも退治する必要があるものなの?」

 悪意の塊と表現するくらいなのだから、なにか悪いものだということはわかる。
 だけど、それが具体的にどういう被害を及ぼすのかが明確になっていない。

「小さいうちは特に害はないかな。魔力を介さないと干渉すらできないように、ヘイトリッドは物理的な性質をほとんど持たないからね。でも、ヘイトリッドはお互いに集い、一つに合わさる性質があるんだ。そうして大きな力を持ったヘイトリッドは、人に寄生するようになる」
「寄生? 寄生……して、どうなるの?」
「悪いことした人が、よく魔が差したとか言うでしょ? ああいう状態にするんだよ。人の悪意を増大させて、誰かを傷つけたり、お金を盗んだり……命を奪ったりね」
「命……」
「もちろん、そういう行為のすべてがヘイトリッドのせいってわけじゃないよ。でも、ヘイトリッドがそういう悪意ある行動を助長しているのは紛れもない事実なの。だから少しでもその被害を減らすために、私たち魔法少女がヘイトリッドを退治する必要があるんだ」
「……」

(……魔導協会……魔法少女……ヘイトリッド)

 ……こんな話、根拠もなしに、とても信じられるようなことではない。
 だけど魔法少女について語る七夏の顔は真面目そのもので、その目から一切の嘘や冗談が窺えないこともまた確かだった。
 栞里には、魔法少女になることができる資格とやらがあるという。
 そしてそれに目をつけた魔導協会という組織が、栞里を勧誘したがっている。
 要約すると、これはそういう話だ。

(なんとなく話はわかった、けど……やっぱりこんなの、聞くだけじゃ到底信じられない。これ以上のことは、なにか決定的な証拠がないと……たとえば、そう――)

「そろそろ実際に魔法を見せてほしい、とか言い出しそうだね」

 栞里が口を開くよりも早く、七夏が得意げに栞里の心の先を口にした。
 栞里が素直に首肯すると、七夏は沙代に軽くアイコンタクトを送る。
 それだけで沙代はなにかを察したようで、席を立ち、部屋の隅にある棚へと足を向けた。
 そしてその棚の中で一際異彩を放っていた天秤ばかりを取ってくると、それを七夏の前に置く。

「……なにをするつもり?」
「ふふん。まあ見てて見てて。私のとっておきの魔法を見せてあげるから」

 七夏は懐から、二つの小さな球体を取り出す。
 見たところ片方がビー玉で、もう片方はそれと同じ程度の大きさの鉄球のようだった。
 七夏が天秤のそれぞれにビー玉と鉄球を乗せれば、秤は当然、質量が大きい鉄球の方へと傾く。

「さて……ここからが私の魔法の見せどころだよ」

 七夏が自信満々に天秤ばかりへと両手をかざし、ムッ! と眼力を込める。
 その次の瞬間――それ(・・)は起きた。