栞里と澪の二人が目覚めてからレンダたちから投げかけられた言葉は、やはりと言うべきか、長時間に渡るお説教であった。
 協会がずっと手を焼いていたエプシロンを見つけ出し、足止めし、最終的に討伐した功績は非常に大きい。
 が、それとこれとは話はまったく別である。
 栞里は嘘をつくのが大の苦手なので、栞里と澪が休日にエプシロン探しを行っていたことは流れるようにバレた。
 降りかかる危険をできる限り避けるために二人一組で組ませていたのに、その二人が揃って危険に向かって全力疾走していたのである。叱られないわけがなかった。

「……行ってきます」

 いつものように、誰もいない家の中にそう告げて、栞里は玄関の扉を開けた。
 外の景色を見た時、ふと、レンダが初めて訪ねてきた日のことを思い出す。
 レッサーパンダの姿で、突然魔法少女にならないかと誘われた時のあれだ。
 最初から人間の姿で来てくれていれば、さすがの栞里も鞄を叩きつけて警察に突き出したりはしなかっただろう。
 せいぜいテレビアニメの中の魔法少女に憧れる幼い女の子ことレンダの頭を撫でていたくらいである。
 まあ……どちらにしても、魔法少女の実在を信じはしなかっただろうが。
 足元を見てみるが、当然ながら、あの日と違ってレンダはいない。
 肩をすくめて歩き出すと、栞里は塀の外で誰かが待ち伏せていることに気がついた。

「……澪?」
「あ、栞里ちゃん。おはようー」
「ん、おはよう」

 こんなところでどうしたの? と栞里が問いかけると、澪は照れくさそうに頬をかいた。

「えへへ。栞里ちゃんと一緒に学校に行きたいなって思って」
「なるほど……実は、私も澪と行きたいって思ってた」
「ほんとっ?」
「ん。一緒の家から学校に行くのとか、楽しみだったけどできなかったから」

 エプシロンは栞里と澪の魔法によって魔力結晶の中に封じられ、今はその身を協会に拘束されている。
 しばらく二人一緒に暮らすという話もそれに合わせて解除され、澪はすでに自分の家での暮らしに戻っていた。
 とは言え、澪は今も結構な頻度で栞里の家に泊まりに来ている。
 けれど、こうして一緒に学校へ行ったことはまだなかった。
 妙に嬉しそうな澪を伴って、栞里は歩いて学校へ向かう。

「それにしても、この前すごい怒られちゃったねー……」
「ん、当然と言えば当然。頭突きされてもおかしくなかった」
「あはは……叱る方法に頭突きを使うのは、栞里ちゃんと栞里ちゃんのお母さんくらいだと思うけどね」

 エプシロン探しの件で二人してお説教された過去をしみじみと振り返る。
 本来であれば、しばらく活動停止で魔力結晶も没収……という罰則がつくらしい。
 しかし今回に限っては、最終的にはエプシロンの討伐に成功したことや、人員不足だったとは言え澪への監視を簡単に外してしまっていた魔導協会側も悪かったということで、厳重注意にとどまった。
 もっとも、レンダたちに心配をかけてしまった事実は変わらないので、きっちり反省するように口酸っぱく言いつけられたが。
 学校につくと、朝に一度部室に寄るよう言われていたことを思い出し、栞里と澪はその足を部室へ向ける。

「そういえば、澪のお母さんたちは?」
「もうほとんどいつも通りだよ。まだ病院暮らしだけど、もうすぐ退院できるんだって。魔法少女とか精霊とか言われて、最初はすっごい混乱してたけどね」

 いわく、精霊とは自ら魔力を生成する力を持たないという。
 精霊は人間の記憶やヘイトリッドを喰らい、それを自身の内側に魔力として溜め込むことで魔法を使っている。
 つまるところ魔法として使われていなければ、エプシロンの中から記憶を抽出し、還元することで、被害者が記憶を取り戻すことができるというわけだ。
 栞里の家族の記憶が食べられたのは最近ということもあり、無事戻ってきたのである。
 母に名前を呼ばれた時、澪は感極まって抱きついてしまったほどだ。

「実は魔法少女のことで、もうそんな危険なことはやめなさい、って言われたんだ。エプシロンのこと、協会から聞かされたみたいで」
「……それで澪は?」
「えへへ。わたし、中学の頃とかもお母さんとか全然嫌いじゃなくて、反抗期とか全然なかったんだけどね……初めてムキになっちゃった」
「……澪は、それでよかったの?」

 エプシロンの件は栞里と澪が暴走した結果だが、魔法少女の活動が危険なことは間違いない。

「よかったよ。最後はお母さんも折れてくれた。それにまだわたし、栞里ちゃんとちゃんとしたパートナーにはなれてないもん。わたし、ずっと楽しみにしてるんだよ?」
「……そっか」

 栞里はなんとはなしに、ルリトウワタのヘアピンに指先で触れる。
 知らずしらず、澪が隣からいなくなるかもしれないと不安になっていたようだ。

「あ、そうだ! 聞いてよ栞里ちゃん! 最近かほが栞里ちゃんに会いたい会いたいって駄々をこねてて……一人でお見舞いに行くと『おねえちゃんだけかぁ』とか言ってため息漏らすんだよっ? わたしお姉ちゃんなのに!」
「会いたがってるなら私も行った方が」
「ダメ! 栞里ちゃんつれていくと、ずっとかほのお願い聞いて頭撫でたり遊んであげたりしてるでしょ? 胸の中に飛びつかれても引き剥がさないでされるがままだし!」
「ちっちゃい澪が甘えてくるみたいでかわいいし、それくらい私は構わない」
「かわっ……!? わ、わわ、わたしが構うのーっ!」
「なぜ澪が……」

 ポコポコと叩かれて、RPGで言うところの混乱の状態異常に苛まれる。栞里はたまに澪の言動が理解できなかった。
 顔を真っ赤にして頬を膨らませている澪を引き連れて、部室の前までやってくる。
 中からは何人かが談笑している様子が聞こえてきた。
 レンダだけでなく、七夏や紗代もいるようだ。

「……入ろうか、澪」
「栞里ちゃん、楽しそうだね」
「そうかな」
「そうだよ」
「……そっか」

 母が亡くなってから、少し前まで楽しいなんて気持ちを味わったことはなかった気がする。
 栞里は社交性があまり高くなかったし、深い付き合いの友達もいなかった。母がいればそれでいいと思っていた。
 その自分のすべてだったものを失い、どこに進んでいいのかまるでわからず、母が亡くなる前と同じ生活を続けていた。
 でも今は、少しずつ前に進むことができている。
 母と過ごした日々に感じていたものと同じ、今この胸の内に宿る感情を、きっと幸せと呼ぶのだ。
 栞里が取っ手に手を伸ばすと、同時に伸ばしていた澪の手とぶつかってしまって、互いに手を引っ込めた。
 栞里も澪も、どちらかに譲ろうとするも、どちらも一向に手を出さない。
 じゃあ私が、と再び手を出そうとすれば、また同時に伸ばした手が触れ合って、顔を見合わせた。
 二人して笑って、せっかくだからと一緒に戸を開ける。

「――おはよう」

 挨拶を投げかければ、それぞれに言葉が帰ってくる。
 そうして今日もまた高校生として、そして魔法少女としての栞里の生活が始まるのだった。