1-2. 色仕掛けの聖女

 地下の牢獄で、錆びた鉄格子の扉がキキィーと嫌な音できしみながら開かれ、ユリアは冷たい石の床に転がされた。

 いやぁ!

 ユリアは冷たい床石にひざをしたたかに打ってしまい、その痛さに鼻の奥がツーンとしてくる。

 ガチャンという、まるでギロチンが落ちた時のような無慈悲で重い音が牢獄に響き、扉は閉められた。
 今朝までは宮殿の最上階の部屋で最上級の待遇を受けていた王国のシンボル、ユリア。それが今、地下牢でこんな扱いを受けるまでに転落してしまったのだ。
「なぜ……、こんなことに……」
 ユリアは頬を涙で濡らしながら控室の事を思い返す。

 昼食後、控室に通されてティモが運んできたお茶を飲んで、その時になぜか急に眠くなって、気がつくと杖は消えていたのだった。思えばこの時に神聖力も奪われていたのだ。
 誰が杖を盗んだのだろうか? こんな事ができるのはティモくらいだが……。
「まさか……」
 ユリアは頭を抱えた。
 ティモがやったとは考えたくない。しかし……、彼が犯人としか考えられなかった。睡眠薬を盛られ、好きにやられたのだろう。
 その認めたくない現実がユリアの首を真綿のように締め上げ、耐えきれなくなったユリアは冷たい床石にゴンと額をぶつけた。

 ひとしきり涙を流すとユリアはゆっくりと起き上がる。何とか活路を見出さねばならなかった。試しに手のひらを向かい合わせて神聖力を出してみる。しかし、極わずかの神聖力しか現れなかった。さっきまでだったら無限とも思える神聖力が現れ、まぶしく手の中で光り輝いていたのに、今ではほのかな光がぼんやりと見えるだけになってしまっている。

「どうしちゃったの……? 私……」

 ユリアはガックリとうなだれ、ポトポトと流れ落ちる涙をふきもせず、ただ底の見えない漆黒の絶望に囚われていた。

      ◇

 カツカツカツ……。

 ユリアが冷たい岩の床に横たわって動けずにいると、足音が聞こえてきた。
 やがて足音はユリアの牢の前で止まる。

「いい気味だわ」
 若い女の声がして、ユリアはそっと目を開く。牢を照らすほのかな魔法ランプの明かりに浮かび上がったのはゲーザだった。
 ユリアは何も言えず、ぼーっとゲーザの顔を見ていた。
「みんな清々してたわ。黒髪の田舎者が大聖女だなんて、あってはならないことなのよ」
「あなたがやったの!?」
 ユリアはバッと身を起こすと、鉄格子を握って叫んだ。
「ふふっ、ティモをね、ちょっと誘ってみたの。そしたらあの子相当欲求不満だったわよ。犬みたいに必死に腰振って……、私の上で何度も果ててたわ」
 うれしそうに報告するゲーザ。
「う、嘘よ! ティモに限ってそんな!」
「バカね。若い男の性欲をなめてるからよ。それが田舎娘の限界だわ」
「せ、性欲って……」
 ユリアは赤くなってうつむく。
「これ、なーんだ?」
 そう言ってゲーザは『蒼天の杖』を出した。
「あっ! 私の杖!」
 ユリアは鉄格子のすき間から手を伸ばして奪おうとしたが、ゲーザはギリギリ届かない位置で杖を揺らし、見せびらかす。
「この杖は見た目を作り変えて私の杖になるのよ。大聖女の私にピッタリの杖にね」
「だ、大聖女?」
「そう、次期大聖女は私って教皇は約束してくれてるの」
 いやらしい顔で笑うゲーザ。
「ま、まさか……、教皇様にも色仕掛けを……」
「男なんてね、股を開けば何でも言うこと聞いてくれるのよ。あいつらの頭の中にはセックスしかないんだから」
 そう言ってケラケラと笑った。
「な、なんてことを……。でもあなたに大聖女なんて無理よ。街を守る結界なんてあなたには張れないわ!」
「そんなの作らなくていいのよ。見た目が結界っぽかったら誰も気づかないわ」
「何を言ってるの!? 魔物が街を襲ってきたらどうするつもり!?」
「そんなの軍隊の仕事よ。私はこの杖でそれっぽい事だけしてればいいの。後は教皇が何とかしてくれるわ」
 ゲーザは杖をなでながらニヤニヤする。
「ダメ! 大聖女の仕事はそんなんじゃないのよ! 大聖女なめないで!」
 必死に叫ぶユリア。
「はっはっは。何と叫ぼうがあなたには何もできないわ」
 クッ……。
 うなだれるユリア。
「ふふっ、ティモにはこれからごほうびを上げる約束になってるのよ」
 ゲーザはいやらしい顔で笑った。
「ティモに……何を?」
「あいつが今一番欲しいもの……、コレよ」
 ゲーザはそう言って法衣の上から自分の股間を触り、いやらしい目をしながらくちびるをゆっくりとなめた。
「ウソよ!」
 ユリアはそう言うと、目をつぶって首を振り、そのままがっくりと肩を落とした。
 ティモは生まれてからずっと一緒だった幼なじみ。大聖女になった時に従者として王都にまで一緒についてきてもらうくらい信頼してたし、話の合わない宮殿の人たちの中で、唯一本音で話せる仲間だったのだ。でも、そう思っていたのは自分だけだったらしい。ティモの中に芽生えていた心の闇になぜ自分は気づかなかったのか。
 ユリアはあまりのことに気が遠くなり、がくっとひざから崩れ、冷たい床にペタリと座りこんだ。

「でもあいつ下手くそなのよね……、ま、しょうがないけどっ」
 ゲーザは勝ち誇ったようにそう言うと、うなだれるユリアを見てしゃがみこむ。
 そして、いやらしい目をして小声で言った。
「あんた、他人のことより自分のこと心配しなさいよ。追放先は極北の強制収容所をお願いしておいたわ」
「えっ!? 強制収容所!? そんなの死んじゃうわ!」
 目に涙をためながら叫ぶユリア。
 ゲーザはそんなユリアを満足そうにニヤニヤしながら見て、
 はーはっはっは!
 と、高笑いしながら靴音を高く響かせ、去って行った。

 ユリアはティモのことも自分のこともぐちゃぐちゃになって、不安と絶望のあまり崩れ落ち、硬く冷たい床にゴロンと転がった。

 どこかでピチョン、ピチョンと水滴が落ちる音が、いつまでも響き続けていた。