終わりと始まり。
 それは誰もが経験すること。

 突然の別れ、突然の出会い。

 それらはいつも不規則で、俺たちの心を惑わせる。それはまるで、悪魔の所業のよう。

 いつも出会いと別れを繰り返す俺たちのことを、笑っている。

 そしてその日、別れを経験した者がいた。
 その名は橘隼人(たちばなはやと)

 --その日は雨が降っていた。

 彼は一日中降り続け、止む気配がない雨の中でいつものように仕事をこなしていた。

 時計の針が18時を指し示し、その日最後の仕事場へ向おうとしていたその時、1本の電話が入る。

「--はい」

「もしもし、隼人か?」

 電話の相手は、隼人に仕事を与えてくれている男からだった。隼人の暮らす街、『羽瀞氷窟(うじょうひょうくつ)』の中心部に聳え立つ建物。その最上階に席がある、誰も逆らうことが出来ないと言われるほどの男。この街のことはほぼ理解していると、噂があるほどの男だ。

 その名は神流朱門(かんなしゅもん)

 神流に逆らったら、その首が飛ぶ。

 そう噂されるほど、その実力は確かだった。

 故に平常を装っているが、神流からの電話に、隼人は内心驚いていた。

 普段、神流から電話がかかってくることは、ほぼない。なにかあれば、神流の側近から電話がかかってくる。それから神流のいる建物の最上階へ向かい、神流と対面する。そこでようやく、要件を伝えられる。それが今までのやり方だった。

 それ故、神流直々の電話に、隼人は驚かざるを得なかったのだ。

 隼人は珍しいものをみたかのように、口を開いた。

「長からの電話とは珍しいですね。追加の依頼でしょうか?」

驚きはしたが、隼人は冷静だった。

「そうじゃない! お前の妹ちゃんが事故に遭った。お前たちの住む家の近くで--」

「……ッ!」

 隼人は走った。
 ただ必死に走った。

 周りの人間を突き飛ばしながら、必死に神流に言われたその場所へと向かって走った。

 ようやく隼人がその場所へ着いた時、妹である紅葉は、救急車で運ばれる所だった。真っ赤な夕陽を背景に、真っ赤な血を出してぴくりとも動かない紅葉の姿が、隼人の視界に入った。

 手遅れだと、仕事の関係でそれを直ぐに分かってしまった隼人の足は、1歩も前には出なかった。

「--紅葉」

 そんな隼人の声は、鳴り響くサイレンの音に掻き消される。

 隼人の口の中に、塩っぱい何かが含まれる。

 激しい耳鳴りで、周りの音が聞こえなくなる。
 呼吸ができない。がんがんと、頭が激しい警鐘を鳴らす。目の前が歪み、真っ直ぐに立つことさえままならない状態だった。

「ああ、今なのか」

 震える声で、隼人は呟いた。
 生きている以上、必ずその瞬間は訪れる。人の命というものは、想像以上に脆く、そして予想以上に呆気ないもの。

 この世界に魔法というものは存在しない。

 生き返らせることも、時を止めることも、過去に戻ってやり直すこともできない。当然、未来に行くことさえも。死んだらそれで終わり。

 けれど、ほとんどの人間は、そのことを考えて生きていない。

 覚悟を決める時間はほぼない。
 その瞬間は、突然訪れる。

 そのことを、橘隼人は痛いほど理解していた。
 仕事の関係上、それをいつも間近で見ていた。それ故、本当にそのことを理解していた。理解していたからこそ、隼人の中に後悔だけが残る。

 隼人はぎりっと奥歯をかみ締めた。
 手に力が篭る。

 紅葉を殺したのは犯人である。

 けれど、隼人は分かっていた。紅葉が殺される原因を作ってしまったのは、自分だと。

 隼人は涙を流すことを耐えながら、スマートフォンを取り出した。そのまま流れるように、1人の男に電話をかけた。

「もしもし、俺だが……少し頼みたいことがある」

 それから電話を切り、隼人は正面を向いた。
 真っ赤な夕陽が彼の視界に映る。彼がその日に見た光景を、忘れることはないだろう。

 彼の悲しみを表現するかのように、雨が降り続いていたということも--


 橘隼人が大切な妹を失って----2年の歳月が流れた。

 ※※※

 2年後。

 1人の男が傘と花を持って歩いていた。
 この日はいつも雨が降っている。

 本来ならば、今日も彼は仕事をする日なのだが、仕事の斡旋をしている、彼の属する組織の長・神流朱門から『今日は仕事ではなく、花を供えてやれ』と直々に命令を受けたため、仕事を休んである場所へと向かっている。

 長である神流朱門の命令は絶対である。何者であろうと、その命令に背くことは許されず、命令に背いたその瞬間に、その首が飛ぶ。誰であろうとも、それは変わらない。そこが血の海と化すことは確定事項なのだ。

 その為、余程の阿呆でない限り、その命令に背くことはなく、皆、従順な犬を演じる。

 組織には3つの掟がある。

 一、長の命令は絶対である。
 二、何があっても組織を裏切らない。
 三、長の期待以上の戦果を持って帰ってくること。

 この3つのみであり、この順番はこのまま、重要度の順番でもある。

 その為、長から仕事ではなく花を供えてやれという命令を受けた隼人は、仕事場ではなく、その場所へ向かっている--というのは建前で、彼の本音として、長からその命令を受けなければ、その場所に足を運ぶことが出来ないのだ。

 それを長も分かっている。

 あの日--隼人の妹である紅葉がこの世界を去ってから、2年の時が経ったが、1度も足を運ぶことが出来なかった。全て長である神流がやってくれていた。今日も、長の命令があるにも関わらず、そこに向かう足は止まりかける。

「--紅葉、来るのが遅くなってすまない」

 話しかけたその声は震えている。

 橘家と彫られている墓石の前で、隼人は妹の名を呼んだ。2年間、この場所へ来ることが出来なかった。それは隼人が妹に対して、後ろめたさがあったからだ。紅葉が殺された原因が自分にあると、2年前のあの事故の日に分かってしまったから。