折角のお出かけをして気分転換をしたはずなのに、私の表情は暗く、更に顔色が悪いときた。
 どうしたのかと問うてきたアオさんとナツさん、それとこのりに揃って顔を向けて、首を横に振った。このりはどういうことかと首を傾げたけれど、アオさんとナツさんは、私の身に何かが起こったのだとすぐに察したようだ。

 そのまま居間に移動して、アオさんは温かいほうじ茶を各自に配ってから「失礼」と私に一声かけてから、私のスマホを手に取り、その画面に映っている文面に目を通した。
「成程ね。親御さんが此方に来るわけね」
「これは覚悟した方が良いかもしれないな」
「い、嫌です! 私あの人たちと話すなんて、話になったことなんか一回も……!」
 震える手を覆う様に、両手を合わせて顔を伏せる。口角が引き攣って、目尻も少しだけ痙攣しているのか、顔はたいそう歪んでいて他者に見せられるものではないだろう。
 私は、両親のいる家に帰る長期休みが、何よりも嫌いだった。両親が共に居る家は、重圧と畏怖に満ちた法廷そのものだったのだ。私に反撃の余地はない。その資格は持ち合わせていないから。私の立場は、彼等よりうんと下に合って、発言を許されることはない。だからずっと親の期待に応えられるように努力し続けていた。
 だが、私の努力は実ることは無く、いつだって罪状を突き付けられる被告人の気持ちでいつも二人の前に立っていた。二人の期待に応えられない罪。
 そして私は、そんな自分を、何よりも嫌った。
「そっか……でも、これは逆に決着(ケリ)をつけるチャンスでもあるんじゃないかな」
 アオさんの正論に、思わず唇を噛みしめる。そうだ。ずっとずっと逃げ続けてきたツケが回ってきたのだ。
「大丈夫、俺達も行くから」
 雫玖くんが優しく私の頭に手を乗せて、そのまま髪の毛に沿って、壊れ物を扱う様に撫でた。
「学生と親が面会できるのは寮の共同スペースくらいだろうから、そこが良いかもしれない。そうメッセージを送ってくれる?」
「う、うん……」
 言われた通りに、寮の共同スペースで待ってると送信した。両親は過去に学校見学に来たし、寮の見学もしたからイメージもしやすいだろう。因みに、共同ペースは玄関入ってすぐの所にある。
 けれど、他の学生たちの目に入るんじゃないだろうか……。そんな心配していると、アオさんが心配ないよと口にする。
「一緒に行くときに結界をはっておく。部外者には見えないし声も聞こえないようにしておくさ」
「……何から何まで、ありがとうございます」
「良いかい。無理に良い子で居続けようとする必要はない。説得しようとはしないで良い。言いたいことは何でも言うんだ。フォローは俺達がする」
 アオさんが胸に手を添えて良い、ナツさんも優しい表情で頷いた。それだけで、ばくばくと暴れ続けていた心臓が、少しだけマシになった気がした。
 そんな私の手を掬って、雫玖くんが優しい笑みを見せた。
「大丈夫、一人じゃないから」
 その言葉が心強くて、意思を持って頷くことが出来た。



 明日、親が私に会いにやってくる。そう考えると、今更ながらどうしようだとか、どう聞かれるのだろうかとかどう受け答えしようかとか、色々な思考がぐるぐると回っていく。
 寝付こうと思っても、ずっと布団の中で寝返りを何度もうつだけ。最後に天井を見上げて、ゆっくりと上半身を起き上がらせ、はあと小さく息を吐いた。
 心臓がうるさい。バクバクと鳴り続けて、身体全体が心臓になったんじゃないかって、そんな心地の中に放り投げられている。うるさくて寝る事なんて無理だ。
「眠れないのか」
 私の隣の布団で横になっていたこのりが私に問うてきた。
「……うん。正直、不安で」
「だろうな」
 そう言うと、彼は仰向けの体勢で、頭の後ろで手を組んだ。天井を見上げながら、彼は言葉を続ける。
「お前達一家の事は、うっすらと知っていた。隣だったしな、よく見えたし聞こえた」
「え、恥ずかしい……」
「人間とは面倒くさくて大変な生き物だな。自由になるのも簡単じゃない」
「神様もそうじゃないの?」
 神様として祀られて、その土地を守る様に、豊作の祈りを叶えるために、その土地に居続ける。神様も、自由からほど遠いような気がするんだけど。
「俺を見てもそう思うか?」
「愚問だったね……」
「まあ多少不便はあるが、人間程面倒くさくないさ。自由に動けないなんて、俺じゃあ考えられない」
「……そっか」
 彼の言う己の自由とはどういうものなのか私には分からないけれど、少なくとも今の私は彼の自由の定義には収まっていないのだろう。だから、神様に可哀想な子だとも思われているのかもしれない。
「眠れないのなら、縁側に出てみたらどうだ?」
「……うん」
 布団から完全に抜け出して、障子戸を開けようとしたときに、ちらりとこのりの方へ目を向ける。彼は小さく笑みを浮かべた。
「大丈夫、そのうちそっちに行く」
「分かった……」
 彼が頷いたのを見て、ゆっくりと障子戸を開く。
 障子を開けると、外の空気が風となって此方に扇がれる。夜の風は、少し、冷たい。
 けれど、外の景色はとってもきれいなものだ。海の中の家だから真っ暗なのかと思ったけれど、何故だろうきらきらと、輝いている。きらめきは数えきれないもので、降りかかってくるかのように、一つ一つが輝いていた。
「綺麗だなあ……」
 なんてことを呟いてから、水に浸かっている中庭を眺めながら縁側に腰かけて、そのまま足を踏み入れた。ちゃぽん、と小さく音を立てて水は私の足を受け入れた。
 ひんやりとした冷たさが、足元からじんわりと上半身に向かって全身に伝わっていくようだった。
 星空のような光がちらちらと降って、庭の水面に染み込んでいく。そんな水面の上を、柔らかいけれど涼しい風が走る。染み込んだ光のざわめきが広がっていくようだ。
 水から上がってきた風だからだろうか、微かにしっとりとしている。まるで水のように体に纏わり付いて私の心を洗っていく様だった。しっとりした風が頬を撫でるので、まるで濡れてしまったんじゃないかと錯覚してしまった。頬に手を添えても、水滴一つついていない。
「眠れない?」
 上から声を掛けられて、斜め上の方へ視線を持ち上げる。
 私のすぐ横に雫玖くんは立っていて、穏やかな優しい笑みを浮かべて、私を見ていた。
 察されていたのだろうな。私が今晩寝れないだろうことも、そして誰かに助けを求める事もせず、一人で居ようとすることも。
 彼の問いかけに小さく頷いてから、ポツリと言葉を零した。
「そう、だね。けれど、綺麗な景色だなあって、思って」
 中庭に目を向けてそれだけを言うと、彼は少し瞬きをしてから、中庭の方へ目を向けて、苦笑いを浮かべる。
「ごめんね。今更だったけど、ここ、何も無くて。つまらなかっただろう?」
「ううん。そんなことなかった。なんだか、心が落ち着いて、安心出来て」
 何でなのかは分からないけれど。
 もしかしたら、神様であるアオさんがここに居る事によって、空気が神聖になっているとか? 浄化されているとか? いや、本当に分からないけれど。
「隣、座って良いかな?」
「どうぞ」
 許可とらないでも大丈夫なのに、律儀だなあ、なんて。
 私の隣を手で指し示せば、彼が私の隣にゆっくりと腰かける。
 私より身長が高く、脚が長いため、私と同じように縁側に腰かけると、どうも差が激しくてかなわない。
 長い脚を羨ましく眺めてから、少しだけ腰を捻って、彼の脚から私の脚を少しでも距離を取ろうとする。近いと、どうしても比べてしまうので。ちょっとでも、遠近法で誤魔化したい。
 っと、少し意識を戻そう。
「やっぱり、明日が怖いかな」
「……そうだね。心臓がずっと騒がしくて」
 胸元をぎゅうと握りしめながら呟けば、彼は私の方をじっと眺めてから、ゆっくりと私の背中を撫でる。そのぬくもりが、夜の涼しさの中、安心できる存在のように思えた。
「曙美さんからしっかりと聞いたわけじゃなかったけれど、君の態度を見ればわかるよ。沢山、頑張ってきたんだね」
「……そんな大したことじゃないですよ」
 誰にだって、それぞれの強い意志がある。強い感性がある。強い主張がある。曲げられない物がある。得意不得意なものがある。それらを全て完璧に理解して受け入れること、それら全てをモノにすることは、到底じゃないが無理だろう。だって私達はただの人間なんだから。私も両親も一般人なんだから。
 我々は優しい神様じゃない。例え神様でも、一人一人受け入れて受け止めてくれていないだろう。神ですら無理なんだから、私みたいな一般人には難易度が高いのは当然だ。
 そんなことはずっと理解はしていたはずなのに、やっぱり頭のどこかで『出来るはずだ』と思っていたかった。
 そんなこと、出来るはずがなかったのに。
 周りを見渡せば、周りは才能ばかりだった。そんな他人と比べて、いつだって心が簡単に折れる。きらきら輝いた宝石みたいな強い何かが、私も欲しかった。
「私は、両親に認めてもらいたかった……」
 ぽつり、と零れた言葉。何も考えないで、口から零れ落ちたこれが、きっと私の本音だったのだ。
 ずっと、隠して、隠して。決して誰にも見せない様に気を付けていたはずなのに、気が付けば私は彼に話していた。
「……そっか、だから、私はあの時」
 胸元を握りしめる手に力がこもる。
「曙美さんどうしたの?」
 彼に名を呼ばれて、彼の方へ顔を向けてから、すぐに顔を伏せた。
「私、最低だなって思って……」
「どうして?」
「……雫玖くんは私を善意で助けてくれた人なのに、貴方の事を大切にしている家族を見て羨んでしまった。ズルいって思ってしまった」
 拳をぎゅうと握りながら、声も震わせながら本音を口にする。
「雫玖くんだって大変な思いをしてきたのに、私と違うじゃないかって。勝手に酷いことを考えていたんです」
 そう考えたのは、一度ではなかった。彼が両親と仲良さそうに話しているとき、アオさんが雫玖と仲良くしてほしいとお願いしてきたあの時も、ふと気が付けば、そんな黒い嫉妬心がもやもやが渦巻いていた。
 それが酷く苦しくて、罪悪感につぶされそうで、大切な人なのに黒い感情をぶつけてしまいそうで、嫌で嫌で仕方がなかった。
 ぼろぼろと涙が零れてきて、しゃっくりも一緒に出てきて、肩を跳ねらせながら、嗚咽を零しながら懺悔のように言葉を紡いでいく。
 涙を必死に止めようと、両手を顔に押し付けて塞き止めようとする。その際に、ぐしゃり、と髪の毛も握りしめてしまった。けれど、そんな手の隙間を縫って涙が滴る。必死に、必死に嗚咽を我慢して、下唇を噛む。
「だから、私は最低で勝手な人間なんです。雫玖くん優しくされる資格も、何も無かったんです」
「……曙美さん」
 優しい声色で名を呼ばれ、驚いて目を開き、ゆっくりと顔を上げる。
 怒られる覚悟しかしていなかったのに、彼の声色は怒りなど微塵もにじませていなかった。
 こんなひどい懺悔を聞いても、彼は怒りもしない。それがまた酷く、申し訳なくなって涙がこぼれる。
 こんなボロボロな姿、見られたくなかった。こんな醜い私など、見られたくなかった。
 彼は私の方へ手を伸ばしてくるけれど、私は慌てて再度頭を下げる。見られたくない、触れられたくないという感情と共に、罪悪感で殺されそうだった。
「ごめんなさい、雫玖くん」
「曙美さん」
 丁寧に一言一言を紡がれて名を呼ばれ、自然と謝るのを辞めた。
 顔を伏せたままの私に、彼は丁寧に優しく「顔を上げて?」と言葉を続けた。ゆっくりと首を横に振ると、彼は今一度私の名を呼ぶ。
「曙美さん」
「……」
「大丈夫、顔を上げて」
 頬にゆっくりと手が触れられた。まるで、手負いの猫に触れるように優しく、彼は私の心も一緒に包んでくるようだった。
 そのまま顔を上げれば、彼の優しい、そして少しだけ寂しそうな笑みが見えた。
「曙美さん、話してくれてありがとう。でも、大丈夫。君のその感情は、至って普通な、人間なら誰だって持っている物なんだよ」
「でも、私……!」
「羨ましい、という気持ちは、持っている側が苦しい気持ちだよね。無い物を欲しいと思うのは、辛いよね。よく、口に出せたね。頑張ったね。だから、そんな切なそうな顔しないで良いよ」
「え?」
「眉下がってる」
 へにょんってなってるよ。そう言いながら、彼は自身の眉尻に人差し指を当てた。
 そう言われて、自分の眉が下がって間抜け面に変化した様子が思い浮かんだ。慌てて手で眉を隠す。今更意味はないだろうけれど。

「このまま、俺の話も、聞いてもらってもいいかな」
「っ! もちろん!」
「ありがとう」
 彼は礼を述べると、彼は自身の手に力を込めたのが分かった。
「俺は、竜神である父と人間である母の間に生まれた。だから、普通とは一歩離れた存在なんだって気づくのに、そんなに時間はかからなかった」
「うん」
「家だってこんな状態だから、誰かを家に呼ぶのは憚れた。そもそも、人と仲良くする方法が思いつかなかった」
「……うん」
 自分は普通の人とは違う。そう察すると同時に、大抵の人は恐怖する。そして、周りにバレないように、必死に隠そうとするだろう。それは、彼も例外ではなかった。
「もし、俺の家の事情を知って気味悪がられたらどうしようって、いつもそう思って怖くて仕方がなかった」
「そう、なんだ」
「うん。だから、中学生の時、曙美さんが声をかけてくれた時に、俺の世界が変わったと思う」

『希龍くんって優しい人だね』
『希龍くんは私の話を聞いてくれるし、一緒にやってくれるし。とっても嬉しいよ。私、一緒に課題をやるの、希龍くんで良かった。ありがとう』

「例え君からすれば些細なたった一度の出来事でも、俺にとっては大事なことだった。たった一度じゃない。あの日の事が、その後の俺を何度も救ってくれている。きっと一生、糧になる」
「……ふふ、それ、アオさんにも言われた」
「なんだ、これまでばらされたのか」
 一言一句、ほぼ同じ言葉を再度聞いて、思わず笑みがこぼれた。だからこそ、あの時話してくれたアオさんの話は嘘ではなかったのだと、私は彼に何かができていたのだと安堵した。
「だから、曙美さんが困ってた時、このりさんが助け出した瞬間、はじめてどうして自分は神様じゃないんだろうって思った」
「うん」
「今まではずっと、こうした家庭で人と関わるのが難しいとか勝手にぼやいておきながらね。どうして俺は助けられないんだろうって思った」
 彼の家に訪れる前の、あの時の出来事。このりに助けてもらった後、彼は小さく呟いていた。『そう、だね。僕は、人間だからね。神様では、ないから』という言葉は、そういう意図が含まれていたのか。
 それがなんだかうれしくて、むず痒くて、少し顔に熱が集まったのが分かる。
「でも、あの時も曙美さんは俺を救い上げてくれた。感謝してもしきれないよ」
「……そんな大したことは、していない気がするけれど」
「ふふ、そういうところが、曙美さんの良いところだね」
 彼は真っ直ぐと私の目を見て、私の手を取って、力強く拳を握った。
「大丈夫だよ。君には俺達が居る。そして、君は頑張ってきた。だから自信持って、ご両親に、素直に伝えてみよう」
「……うん、頑張る」
「話はまとまったか?」
 ふと後ろから声がして、二人で振り向いてみると、障子戸に背を預けて立っているこのりの姿が見えた。
「ずっと水に浸かってると冷えるぞ。人間はすぐに体調を崩す」
「そうだね。曙美さん脚を上げて。脚を温めよう」
 雫玖くんはどこから取り出したのか、ふかふかのタオルを両手で開いて、そちらに足を差し出すように言ってくる。が、流石にそれは恥ずかしい。
 大丈夫だと必死に訴えて、タオルだけお借りすることをお願いすれば、彼も察したのか顔を真っ赤にして、了承してくれた。
「寝れそうか?」
「……うん、多分」
「……よし、竜の子! お前の部屋から布団持ってこい! 3人で並んで寝るぞ!」
「ええ!?」
 思わず雫玖くんと共に声を上げたが、このりは謎にてきぱきと動いて、寝るスペースを一つ確保した。
「ほら早く。曙美の手助けしたいんだろ? 人肌があると安心する。安心出来る奴がいるだけで、きっと眠れるはずだ」
 に、と彼は笑みを浮かべる。少し強引ではあるけれど、彼のこうした優しさにいつも救われていたんだなと再確認してしまった。
 雫玖くんと顔を見合わせれば「大丈夫?」と言わんばかりの表情をしている。小さく笑いながら「お願いします」とお願いしてみれば、彼は力強く頷いて自身の部屋に駆けだした。
「……きっと、明日、俺に出来る事は少ない」
「ん?」
「だから、今日だけはお前の助けになりたい」
 このりは真っ直ぐと私を見てそう言った。その言葉の深い意味も、なんとなく察せれる。だからこそ、彼の心遣いが嬉しいのだ。
「ありがとう」
 礼を述べれば、ふ、と彼は笑みを浮かべた。
 そしてすぐに雫玖くんが布団を持って部屋にやってきた。
「曙美を真ん中にするか。俺の尻尾に抱き付いても、竜の子に抱き付いても、どっちでも良いぞ」
「こ、このりの尻尾で……!」
 流石に後者は難しいでしょ!
 顔を真っ赤にして前者を選べば、雫玖くんとこのりは顔を見合わせて笑い合っていたのだけれど。
 2人に挟まれて布団にもぐれば、何故だろう。あんなに騒がしかった心臓も落ち着きを取り戻し、とくんとくんと優しく音を奏でていた。