朝、目を覚ますと、自分のベッドの上にいた。

 飛びつくようにしてスマホを確認した。

 表示されている日付は、四月八日の午前七時三分。西暦は二年前のままだ。元の時間に戻っていない。

「母さん!」

 僕は向かいの部屋に駆け込んだ。

 母さんはこちらに背を向けて鏡台の前に座っていた。つい先日ばっさりショートにした髪が、ほんの数日で肩の下までの長さに戻っている。

「朝っぱらから騒々しいわね。なんなの?」

 母さんは鏡に向かったまま、ぶっきらぼうな声を出した。

「僕、まだ高二のままだ。やっぱり過去に戻ってきてる!」
「まだ言ってるの? 祐一のくだらない空想話に付き合ってる暇はないんだけど」
「空想話じゃないってば!」

 昨日の夜、母さんが仕事から帰ってきたときに、自分が二年前にタイムリープしていることを伝えた。母さんはまともに取り合ってくれず、『疲れてるから』と僕が話している途中で、寝室に入ってしまった。

 おかしいのは今日一日だけ。きっと目が覚めたらすべて元通りになっている。

 そう自分に言い聞かせ、父さんと兄さんには連絡せず、自室に戻ってベッドに横たわった。一日中ひどく神経を使っていたせいで、まぶたを下ろしたのと同時に、気絶するように眠りに落ちていた。

 目が覚めても、世界は元通りになっていなかった。

 それどころか〝昨日〟の続きから始まっている。

「お願いだから、信じてよ。本当に過去に戻ってきてるんだ」
「いい加減にして」

 母さんはファンデーションを塗っていた手を止め、苛立たしげにこちらに首を回した。

「隼人は幼稚園のときでも、そんなくだらないことを言ったことがないわ。それなのに祐一ときたら」
「今、兄さんは関係なくない?」
「あぁ、もう! いちいち口答えしないでよ。バカなことばっかり言うし、なんで同じように育ててるのに、こんなに違っちゃうのかしら」

 母さんはこれみよがしに「はぁ」とため息を吐き、ぶつぶつ文句を言い始めた。

 同じように育てていると思っているのは、母さんだけだ。

 もし兄さんが僕と同じことを言ったら、『くだらない』のひとことで片づけるのだろうか。きっとこの十倍は親身に話を聞き、兄さんの言うことなら……と、タイムリープを信じたかもしれない。

 悔しいけど、僕がこれ以上訴えたところで、母さんを余計に怒らせるだけだろう。らちが明かない。

「ごめん、寝ぼけてたみたい」

 僕は諦めて部屋に戻った。自分ひとりだけが、異世界に迷い込んでしまったような状況が、ひどく心細い。

 財布の中から、昨日すずにもらった手帳の切れ端を取り出し、青い蛍光ペンで塗られた文字を眺めた。

【今朝、駅前で見かけた男の子と、新しいクラスで隣の席になった。名前は騎馬祐一くん】

 過去に戻るなんて、普通に考えてありえない。

 でも実際に戻ってきてしまっているから、それを否定することもできない。

 どうしてこんなことが起きているのか。

 これは一時的なものなのか。このままの状態が続くのか。さっぱり見当がつかない。

 ひとつわかっているのは、すずが命を落とす日時と場所。

 すずが一月一日に白藤岬に行かなければ、死ぬことはない。

 もしかして。
 もしかすると。

 昨日はためらって言えなかったけど、このことをちゃんと本人に伝えれば、すずが死ぬ過去を変えることができるのではないか。

 その考えが頭を過ったとき、一刻も早く伝えなければ、という思いに駆られた。

 僕は記録的な速さで身支度を整えて家を飛び出し、学校まで走った。