「誰にも言わないよ」
蒼空は笑窪を浮かべて、そう約束した。
「でも勿体ないね。こんなに綺麗なのに、隠さないといけないなんて」
夢見るような目で僕を眺める。
血にまみれた白すぎる肌に、漆黒の大きな翼を生やし、額に第三の目がある僕を。
どうして驚かないのか不思議だが、蒼空にはそういうところがある。愚鈍なまでの素直さで、ありのままを受け止めてくれる。
その優しさに涙があふれそうなほど心が震えていながら、たまらなく憎くもある。
なぜ来たの?
なぜ見たの?
なぜ触れたの?
僕は……深い絶望に打ちひしがれていた。
「早く帰って」
膝を抱え、翼を広げて体を覆い隠した。これ以上、蒼空の目を穢すわけにはいかない。
「わかった。じゃあね」
軽やかな足音が遠ざかる。
僕は改めて、蒼空に触れられた羽を確認した。
漆黒の羽がその部分だけ確かに白くなっている。黒が白に変色したのではなく、黒い塗りが剥げて白くなったように見えた。
「癒しの神か」
声とともに空気が揺らいで父親が現れた。
「まれにヒトに転生するらしいが、よもや隣の家にいたとは」
見逃してもらえるとは思えない。
僕には、次に父親が何を言うかがわかっていた。
「始末しろ」
父親は白くなった羽をぎゅっと掴んだ。その手から黒い瘴気が染み渡る。
漆黒に戻った翼を、僕は残念に感じてじっと見つめた。
手を下さなければならないのなら、せめて苦しませないようにしてあげようと思った。
蒼空を失ったら生きていく自信ない――大地の声が甦る。
いや、ただの比喩だ。後を追って死ぬなどという意味ではないはず。
それに、ここを離れてしまえば大地と顔を合わせることもなくなる。
癒えない傷から血を噴き出すことも。
その血が業火を放つことも。
身の内から焼かれ苦しみ悶えることも。
全てなくなるのだ。
そして僕は楽になれ……る?
本当に?
「不愉快だ」
父親は無理やり僕の翼を広げた。
「せっかく捕えて、ここまで堕としたのに」
背後から伸びた無数の黒い手が、僕の体を締め上げる。
「癒しの神と交わりでもしたら、元に戻ってしまうじゃないか」
僕は抵抗もせず父親の目を凝視した。底なし沼のようなどろりと濁った黒い目。
――元に戻る、とは?
「僕はどこか暗い所から拾われたのでは……」
父親は目をスッと細めた。
「天から引きずり下ろした時、この翼は真っ白で、それはもう……」
堕ちた神の成れの果ては、大きく口を開けて可笑しそうに嗤った。
「ひどく醜かったよ」
ガンと強い力で叩かれたように頭が痛んだ。
邪悪なはずの僕が、なぜ蒼空のそばにいて心地良かったのか。
僕の翼は白から黒に……この邪悪な堕神の瘴気で染められたものだったというのか。
そして僕の精気も、黒く穢されたのか。
では、大地を黒く染めている種は、僕が生んだものではないと……?
かさぶたが剥がれ落ち、どくどくと熱い血が噴き出してくる。ほどなく血は業火と化し、出口を求め暴れ出す。
「気が変わった。癒しの神はこの手で始末する」
未来永劫ずっと神には戻れぬ穢れた者は、妬みと憎悪に満ちた顔をしていた。
――なんて醜い!
「まずは男たちに犯させるのも一興」
「そんなことはさせないっ!」
僕は叫びとともに業火を吐き出し、目の前の醜悪なものを炎で包み込んだ。
父親だったものは凄まじく絶叫して転げ回り、白い炎に炙られ続けた。
どれほど邪悪であろうと、暗い所で朽ちゆく身だったのを拾って育ててもらった恩がある限り、逆らうことなどできないと思っていた。その枷に縛られて耐えてきたのに、最初からだまされていたなんて……。
心身から黒が薄れていくのを感じ、初めは気のせいかと思った。だが、清々しく晴れ渡っていくような感覚が、確かにある。
ふと気付いて翼を広げて見ると、黒が浮いて剥がれ落ちそうになっていた。僕が羽ばたくとそれは払われ、黒い靄となって空気に融けて消えた。
初めて見る純白の翼。
それはとても美しかった。
その時、ひくひくうごめく焦げた肉塊が、ぶわっと黒い瘴気を吐き出した。
「慈しんでやったのに」
怨嗟の声とともに一本の黒い手が生え、目にも止まらぬ速さで伸びて来て、僕の首をがっちりと掴んだ。
「おまえの中に棲むぞ」
肉塊の表面が割れ、ずるんっと何かが抜け出した。
僕は黒い手を離そうともがいたが、びくともしない。
ずるずると蛇が巻き付くようにらせんを描いて、何かは僕の体を上ってくる。
「もう何をしても無駄」
顔の下まで這い上がってきたそれは、凍りつくような黒い声を発すると、凄まじい力で僕の口を割って体内に侵入した。