翌日の学校。コピー機がガーガーと唸りを上げながら、紙を吐き出している。購買部横のコピー機。テスト前には長蛇の列ができる場所だけど、今の時期使っている人はほとんどいない。

「いつもありがとうね、岸野。ホント助かる」
「別に。自分用に書いたものをコピらせてるだけだし」

 アタシの横に立つ眼鏡をかけた男の子は、ぶっきらぼうに答えた。クラス委員の岸野。学年トップクラスで勉強ができる秀才で、私が仕事で休んでる間のノートをいつも貸してくれる。

「いやぁ、さっきの地理の授業全然わかんなくってさぁ……」

 チェルノーゼム、穀倉地帯、土の皇帝……あらゆる単語がアタシの脳をすり抜けていった。いや、地理だけじゃない。1限から3限まで、現文、数学、化学どの授業もだった。

「だろうな。今日のお前、ずっとボケーっとしてたもの」

 岸野が言う。

「え、ボケーって……まさかずっと見てたの!?」
「俺の席、お前の斜め後ろだぞ? 黒板を見ようとしたらどうしたって視界に入る」
「あ、そっか」

 頭の中で、アタシと岸野の机の位置関係を思い浮かべた。

「仕事、忙しいんだろ? 大丈夫なのか、学校にきて?」
「うん、親との約束だしね」

 高校は卒業するというのが、アイドルとして活動するための両親との約束だ。だから、授業に出られるときはちゃんと出ておかないといけない。

「にしても、ホント助かってるよ。岸野のノートには」
「そりゃどうも」

 さすがトップクラス秀才が作るだけあって岸野ノートはわかりやすい。彼にノートを借りてテストの点数が上がったという証言もあり、コピーが高値で取引されているという噂が出たほどだ。この噂以来、岸野は今では誰かにノートを貸すことはほとんど無くなってしまった。数少ない例外が、仕事で半数近くの授業に出られないアタシだ。

 アタシは、クラスのメイトのほとんどの子たちと距離を感じている。大多数が、「あの"るみさ"だ……」と遠巻きに眺め、ごく一部(知らないけど、たぶんカースト上位グループの子たち)だけが、アタシに話しかけてくる。ただそれも、アタシと話すことをトロフィーか何かだと思っていたり、あわよくば芸能界のゴシップを聞き出そうとしたり、そんな感じで友情をはぐくみたいとは思ってるわけではなさそうだった。
 数少ない例外が、今隣にいる岸野だ。こいつだけはアタシを"アイドルのるみさ"ではなく、クラスメイトの久留巳美沙として扱ってくれる。休みがちなアタシのことをクラス委員として気にかけてくれるのだ。

「よし、現文のノートはこれで終わり、と。次は?」
「数学。お前最後に出た授業、先週の火曜だろ? 4回分あるから」

 そう言って岸野は別のノートを広げる。

「アンタ、よくアタシの出席した日まで覚えてるね」

 さすがクラス委員、そういうところはマメだ。こういう人、芸能界でも生き残るんだよなー。ふとそんなことを思う。タレントでも裏方でも、仕事相手のことを気遣い、筋を通すことを忘れない人は出世する。逆にわがまま放題で気まぐれな子を、この5年間でたくさん見てきたが全員姿を消してしまった。
 マメという意味では、樋渡っちは最強かもしれない。昨日だって、収録の後にすぐに謝罪の段取りをつけてくれて……

「…………」

 とたんに、昨日の彼の泣き顔を思い出す。というか、今朝からずっと20分おきくらいに思い出してる。授業が全く頭に入らなかった理由も、実はそれなのだ。