収録が終わり、私はスタジオから事務所へ戻る車内から外の景色を眺めていた。

「いや〜今日のるみさの大ボケには参ったよ〜」
「ホントホントお陰で帰る時間遅くなっちゃったしぃ~」

 同じく〈パスデビ〉のメンバーである、"きりか"こと名桐香澄と、"あやの"こと綾原ののかの二人がアタシをいじってくる。

「ごめん……」
「ちょっ!嫌だな、本気にしないでよ」
「そーだよ、ドンマイだって」

 いつになく落ち込んでいるアタシに、二人は慌ててフォローする。

「はぁ……」

 二人が言う通り、ありえないレベルでひどい収録だった。あり得ない大失態の連続……。12歳でアイドルでデビューしてから5年。配信番組で初めてレギュラーを持ってから2年。その中でもぶっちぎりで最悪だ。セリフは飛ぶ。担当コーナーの段取りは忘れる。極めつけにMCの名前を間違えてしまった。結構なキャリアを持つ落語の師匠。よりによってその人の亭号を間違えてしまったのだ。

『よくわかったな、るみさちゃん!さっき出会い頭にぶつかって二人入れ替わっちゃてな』

 とっさにひな壇にいた、私が間違えた方の亭号を持つ別の落語家さんが寸劇を始めてくれた。この事で、私の失敗は小さな笑いに変わった。収録後、このアシストのお礼と失態の謝罪のために。樋渡っちと一緒に彼らの楽屋を周っていた。その間きりかとあやのには楽屋で待っててもらい、皆でスタジオを出るときにはすっかり夜も遅くなってしまった。夕飯を一緒に食べようと約束していたのに、樋渡っちのクルマでそれぞれの自宅に送ってもらって解散ということになった。

「けどさー、めずらしくない? るみさがあーゆーミスするなんて」

 隣のシートに座るあやのが不思議そうな顔で、アタシに話しかける。

「そう! それはわたしも思った!」

 後ろの席のきりかも身を乗り出す。

「ほら、セット替えの休憩のあたりからおかしかったよね?」
「…………」

 図星だ。やっぱり5年間一緒にやってる戦友にごまかしは効かない。樋渡っちの……アタシの片想いの相手の泣き顔に、心はかき乱されていた。初めて見る苦しそうな、切なそうな表情。今もアタシの胸を締め付けてくる。

「あの時、樋渡っちがるみさのこと連れて戻ってきたけどなんかあったの?」

 樋渡っちがアタシを連れて……? そうか、アレって二人にはそう見えたのか。少しだけホッとする。なんとなくだけど、樋渡っちの異変について二人には知られたくなかった。

「うん、いや、なんでもないよ。ねえ、樋渡っち?」

 アタシはハンドルを握る樋渡ったの方を見た。

「ええ。あの時はわたしが仕事の電話をしに外に出てて。たまたま休憩してた久留巳さんと一緒に戻っただけですので」

 樋渡っちは事もなげに、捏造したストーリーを二人に説明する。そのよどみない口調には、流石にアタシもたじろいだ。

 そもそもアンタのせいなんだけど、アンタの……。

 心の中で毒づく。なんでこの人は、すんなり切り替えできてるんだ? こっちはアンタの泣き顔見てから動揺しまくりなんですけど……?
 言うわけにはいかない文句を飲み込む。例えマネージャーの涙を見てうろたえたとしても、本番で切り替えられないのはプロ失格だ。もちろんそんな事はわかっている。けど、それでも、あの泣き顔は私の中で大事件だった。

「ねーねー二人ともこれ食べる?」

 あやのが、お菓子の箱を開けて差し出してきた。きりかは迷わず手を伸ばすが、食欲のない私は遠慮する。そのまま二人はお菓子の品評会を始めたので、アタシはイヤホンで音楽を聴くふりをして樋渡っちの方を見た。

 ミニバンは夜の都内を走っている。ウチの事務所には何台か社用車があるはずだけど、彼は必ずこのクルマを使う。3人グループの〈パスデビ〉を荷物込みで送るのには丁度いい大きさだからというのもあるのだろうけど、ソロの仕事でも彼は決まってこのクルマだ。
 そして私が座るシートも同じ。2列目の左側が私の専用席だった。理由はシンプル。運転中の樋渡っちがちゃんと見える唯一の角度だから。この位置からは彼のハンドルを握る腕や、首筋と耳の後ろ側を拝むことができる。仕事が終わった後、普段目を見て話すときとは違うアングルで大好きな彼を眺める。それがいつものアタシにとっては何よりのご褒美だった。

 けど、今日だけはちがった。

 やっぱり、家族のこと……かな? 仕事であんな顔するなんて、樋渡っちに限ってありえないし……。

 アタシは無言で、ハンドルを握る彼の姿を見つめる。樋渡っちは娘さんを溺愛している。可愛らしい女の子の写真を彼がスマホの待ち受けにしていることを知っている。彼が電話やメッセージ送信を行うたびに、その笑顔が一瞬だけ見えて、そのたびにアタシの胸が締め付けられていた。
 彼が大粒の涙を流すとしたら、家族絡みと考えるのが自然だ。でも、病気やケガではなさそう。それならこの人は私を置いて、娘さんのもとに飛んでいくだろうから。

「うーん、るみさ本当に大丈夫? 体調良くない?」

 何も話さないアタシに、きりかとあやのも本気の心配モードになっていた。

「ん、ありがと。大丈夫だから……」

 そう答えるアタシの声には力が無かった。