昼休みが終わり、どこかけだるい空気が漂っている五限の授業。来年例年のベテラン先生による、退屈な古文の授業ということもあり、教室全体が弛緩している。そんな中、俺の斜め前の席に座る久留巳だけがどこかそわそわしている。
 ああ、そうか今日はこのあと仕事なのか。この席から、久留巳の斜め後ろの姿をずっと見つめていた。だから、仕事の日は彼女の態度ですぐに分かった。いつも終業の時間が近づくと落ち着きがなくなる。ちらちらと窓の外を盗み見たりする。彼女の席からは見えないはずだが……そんな時はいつも校門の端の駐車スペースにミニバンが停まっているのだ。久留巳を迎えに来た事務所の人間……多分、例のマネージャーだ。腹の奥底がぐつぐつと煮えたぎる。
 チャイムが鳴った後の彼女の行動も想像がつく。そのミニバンに向かって、まるで子供のように嬉しそうに駆けていくのだ。そんな様子を、俺はもう何回も眺めてきた。だから……あの夜、彼女のマネージャーに対する想いを聞かされても、驚きはしなかった。

「……憎い」

 誰にも聞こえないくらいのボリュームで声に出す。何をやっても俺が勝てない相手、俺の邪魔をする人物。あのミニバンに向かって、嬉しそうに久留巳が駆けていく姿を見るたびに、俺の胸の奥にどす黒いものが渦巻く。そして、無力感にさいなまれ、家に帰るとめそめそとカッコ悪く泣く……地獄のような日々だ。

 一か月前のあの公園。久留巳に何か別の言葉をかければ何か変わったのか? 何度もそう思い返している。けど、そのたびにそうしないで正解だったと言い聞かす。〈パスデビ〉は恋愛禁止のユニットだ。もし、彼女がマネージャーへの想いを断ち切ったとしても、それで俺の気持ちが報われるわけではない。久留巳にはこれからもずっとアイドル活動を続けてほしかった。そのためにも、あの夜俺が話したことは正しかったんだ。

 そんなことを考えているうちに、終業のチャイムが鳴り響いた。その音と同時に板書していた腕をとめて授業を打ち切るベテラン教師。呼応するように立ち上がる生徒。中でもいち早く、跳ねるように立ったのは久留巳だ。

「久留巳!」

 俺は、教室を出ようとする彼女に声をかける。

「なに岸野?」
「次に学校来るのはいつだ?」
「えーっと……確か来週の月曜だと思う」

 今日は水曜だから、次のノートは木金の2日分か。

「じゃあさっきのお礼の話、月曜までに考えておく」

 久留巳は一瞬、虚を突かれたような表情をしたけど……

「うんわかった。じゃあ月曜に聞かせて!」

 そう言ってにかっと笑った。〈パスデビ〉の円盤で何度も見た、るみさの満面の笑みだった

-終-