堀川はそう言ったけど、そんなことをいま嘆いていても仕方ない。

鬼は好き勝手に暴れている。

さーちゃんが跳び上がった。

蹴りを決める直前に、その足を掴まれる。

打ち込んだ浦島のこん棒が折れた。

転げ落ちたさーちゃんの前に、いっちーが立ち塞がる。

キジは両手にバレエ部の扇子を広げた。

「これ以上、あんたの好きにはさせない!」

 キジの扇子が宙を舞う。

目元を狙ったそれは、簡単にたたき落とされた。

桃がこん棒で死角から叩きつける。

鬼はそれを奪いとると、真っ二つにたたき割った。

「お待たせしましたー!」

 その声に振り返る。

細木が何か抱えて走ってきた。

「学長室から学校保管の刀を見つけてきました!」

「もも、後ろ!」

 鬼の振り下ろす拳からの爆風で、吹き飛ばされる。

「伏せろ!」

 細木が刀を抜いた。

「お前らは下がってろ」

 細木は慎重に刀を構える。

それを見た鬼は、初めて後ずさった。

ジリジリと間合いを詰める細木に、空気が張り詰める。

細木の足が動いた。

次の瞬間、刀は鬼の腹にブスリと突き刺さる。

「うおぉぉぉっ!」

 その刀をつかんだまま、細木はその腹を真横に切り裂こうとしてるけど、何一つ動けずにいる。

鱗が硬すぎるんだ。

「危ない!」

 鬼の拳が落ちるよりも早く、桃は細木に飛びついた。

その拳の下からかろうじて救い出す。

鬼は自分の腹に突き刺さった刀を見下ろすと、ニヤリとその口元を歪めた。

毛むくじゃらの手が、それには小さすぎる柄に伸びる。

ゆっくりと抜き取った。

刀を手にした鬼は、ブンブンと振り回す。

「悪いけど、それは返してもらうわよ」

 動いた鬼の腹から体液が噴き出した。

堀川は鬼の手元を狙う。

弾き飛ばされた刀は、空高く舞い上がった。

「もも!」

 あたしは空を見上げた。

キラリと輝くそれに向かって、走り出す。

「あんたの相手はこっちよ!」

 動き出した鬼とあたしの間に、いっちーが間に割り込んだ。

怒涛のように繰り出される鬼からの拳に、いっちーのこん棒は呼応する。

あたしは高く飛び上がった。

空中で回転するその柄を、しっかりとつかみ取る。

「きゃあ!」

 いっちーの悲鳴だ。

あたしは刀を手に、鬼の前に立つ。

「あんたの相手はあたしよ」

 刀を構える。腕の傷がうずいた。

これはあの時と同じ鬼?

「まぁそんなこと、どっちだっていいけどね!」

 動きはずっと見ていたから、だいたい分かる。

あたしは腰をかがめると、低い姿勢から懐に滑り込んだ。

鬼の左手首を切り落とす。

瞬間、咆吼が耳につんざいた。

すかさずその肩に斬りつけようとして、硬い鱗に弾かれる。

鬼の醜い手が、あたしを掴もうと迫った。

「くそっ」

 刀で弾き返す。

剥がれ落ちた鱗が頬を切りつけた。

斬られた手首があたしを殴る。

足元は鬼から漏れ出す体液であふれていた。

吹き飛ばされたあたしの上に、細木が覆い被さる。

「先生!」

 蹴り上げられた細木は、地面に叩きつけられた。

鬼は体液の流れ続ける腹を押さえると、禍々しい目でにらみつける。

あたしは刀を握りしめた。

「さっさと消えろ!」

 鬼の拳が宙を舞う。

細木の突き刺した傷痕の、ボロボロと鱗の剥がれ落ちたその場所を狙い、真横に切りつけた。

激しい怒号とともに、どす黒いしぶきが噴き出す。

鬼の吐き出す瘴気に、衰えがみえ始めた。

そこに立ちすくみ、あたしを見下ろす。

「コ レ デ オ ワ リ ダ ト オ モ ウ ナ ヨ」

 低いうなり声は、直接脳に響いた。

とたんに瘴気の渦が襲いかかる。

「うわぁっ!」

 目を開いた時、もうその姿は見えなくなっていた。

「……。消えたの?」

「どうやらそうみたいね」

 堀川は構えていたこん棒を下ろす。

「細木先生!」

 あたしはその側に駆け寄った。

地面にうずくまる肩に手を触れる。

細木は自分で仰向けにひっくり返った。

「……鬼は?」

「いっちゃった」

「お前がやったのか?」

 細木の手が伸びる。

あたしはそれをしっかりとつかみ取ると、うなずいた。

「そっか。頑張ったな」

「先生が、刀を持ってきてくれたからだよ」

 あたしの手とその刀には、まだ鬼の体液が滴り落ちる。

「これ、先生に返す」

 それを見た細木は、安心したように微笑んだ。

「鬼はいなくなったと世間では言われていても、実際にはいるんだ。たとえ姿が見えなくても、確実にそこに残っている。それは間違いないんだ」

 細木はあたしを見上げた。

「お前には『傷』があるんだろ? 実は俺にもあるんだ」

 あたしの目から、涙が勝手に流れ落ちた。

「お前の傷も、俺の傷も、たとえ鬼はいなくなったとしても、決して消えることはないし、忘れることもない。たとえ薄れてゆくことはあっても、そのうえでどうするのかは、お前次第だ。それでいいんじゃないのか」

 細木の手が、刀を掴むあたしの手を握りしめた。

「この刀はお前が持っておけ。それでいいですよね、堀川先生」

 堀川はうなずいた。

サイレンの音が遠くに響く。

小田先生が警察官と救急隊員を連れて走って来ていた。

堀川はパンパンと手を叩く。

「さ、怪我人を運ぶわよ。細木先生と犬山さんだけで大丈夫かしら?」

 あたしはいっちーを振り返った。

「いっちー!」

 駆け寄って抱きつく。

いっちーはあたしが抱きしめるのと同じくらい強く、あたしを抱きしめた。

「大丈夫?」

 彼女はにっこりと微笑む。

「うん。ももは平気?」

「あたしのことは気にしないで……」

 いっちーは苦しそうに表情を歪め、目を閉じた。息も荒い。

「いっちー、ゴメンなさい。本当にゴメンなさい!」

「なにがよ、もも」

 彼女はゆっくりと微笑む。

その温かい肩と体の重みに、また涙があふれ出す。

「変なもも。ももが無事でよかった」

 伸ばされた手を、今度はしっかりと握りしめる。

夜がゆっくりと辺りを包み始めていた。

泣きじゃくるあたしから引き離されたいっちーは、堀川先生に付き添われ、運ばれていく。

「もも。もう泣かないで」

「そうよ。こっちまで泣きそうになるじゃない」

 さーちゃんとキジはそう言って、だけどやっぱり泣いてたので、あたしたちは一緒に泣いた。

桃たち三人は後片付けをしてくれている。

学校はその後、一週間の休校を決めた。