「早いうちに終わらせたいから。さっさと気持ち切り替えたいし」

 桃は笑顔で手を振った。

「すぐにすむと思う。戻ってきたら、ちゃんと手伝うから」

 彼の視線はいっちーを見ていた。

「遅くなるようなら、連絡する」

 すぐに教室を出て行こうとする桃に、あたしは言った。

「別に、他に用事とかあるんだったら、わざわざ帰ってこなくても大丈夫だよ。後は自分でなんとかするし。分かんないことがあったら、はーちゃんとかしーちゃんにも聞けるから」

 桃たちはあたしを見下ろした。

「そう?」

「うん。ゆっくりしておいでよ。どうせ今すぐどうこうってもんでもないし……」

 桃はもう一度いっちーを見る。

彼女はうなずいた。

「じゃ、そうさせてもらおうかな」

「お疲れさま」

 あたしはそんな桃たちに、笑ってみせる。

「また明日ね」

 彼らが教室を出て、開け放されたままの扉の向こうに見えなくなった。

放課後の教室はいつもの賑やかさを保っていて、世界はとてつもなく平和だ。

「さてと」

 そう言って振り返る。

そんなことでも声に出して言わないと、あたしには振り返ることすら出来ない。

さっき桃たちに言ったのと同じセリフを、また言わなくちゃならない。

「あのさぁ、みんなも、何か他に用事とかあるんだったら……」

「なに言ってんの」

 くしゃくしゃに伸びた髪の一部を、頭のてっぺんでちょこんと結んでいる。

さーちゃんだ。

「全く。スタート前から巻き込まれて、後始末までやらされてるこっちの身にもなってよね」

「やっぱ面倒くさいと思ってんじゃん!」

「そりゃそうでしょ」

 涙目のあたしに、さーちゃんは結んだ頭をポリポリと掻く。

「だからこそ、ちゃんと落とし前はつけないとね。一緒にさ。ももは自分だけで勝手に終わらせるつもりだったの? 巻き込んどいて」

 いっちーはあたしの前に座った。

「ねぇ、もも」

 彼女はじっとあたしの顔をのぞき込む。

右手を差し出した。

「握手しよう。私はももに誤解されたままで、このまま嫌われたくない」

「嫌ってない、嫌ってなんかないよ!」

 すぐにそう叫ぶ。

すぐにそう叫ぶことは出来ても、だけど、素直にその手は握れない。

「違うの……。本当は、ちょっとさみしくなっただけ……」

「うん。私もだよ、もも」

 その、まっすぐにあたしに伸ばされる手は、いっちー自身の手であって、あたしの手ではない。

そんな当たり前のことにまで、ヘンな違和感があって困る。

 仲間なんかいらない! 

……なんて、1ミリも思ったことはないと言えば、嘘になる。

だけど結局は、戦うのは自分自身だから、何かに期待なんてしちゃいけないんだ。

自分のことは自分でする。

当たり前にそうしなきゃいけない。

そんな当然の事実に、あたしはただきっと、ちょっぴり寂しくなっただけ。

 なかなかつなごうとはしないあたしに、いっちーの手はだらりと垂れ下がる。

元の位置に戻った。

「で、どうするの」

 机に座るさーちゃんは、そこで片膝を立てた。

盛大なため息を漏らす。

「この書類見せてもらったけど、廃部はさけられないよね」

 キジもため息をつく。

「『鬼退治』という行為自体が、この世から消滅するんだもん」

「やっぱり、廃部しかないってこと?」

 いっちーは何も言わないまま、細木から渡された書類に視線を落とした。

握れなかった彼女の手が、涙でにじむ。

「ねぇ、あたしはやっぱり、ダメな人間なのかな。何をやっても上手く出来ない、何にもならない、くだらなくて、面倒くさいだけの奴なのかな」

 どれだけ頑張ったところで出来ることは何にもなくて、色んな人に迷惑かけて、何にもならないのだったら、そんなの最初から何もしない方がよかった。

「……。そんなこと、肝心のももが言わないでよ」

 さーちゃんがうつむいている。

「だって、本当のことだし」

「じゃあなんで、鬼退治なんて始めようと思ったの」

「それは……。それは、あたしはただ、自分が……」

 自分が、負けていると思いたくなかったから。

もう終わった人間なんだって、自分はお終いなんだって、自分で自分をそう思いたくなかった。

「ももまでそんなこと言い出したら、これから誰が鬼退治するの?」

 さーちゃんは自分の両膝を抱えると、そこに顔を埋めた。

「どうにもならなくて、何にもならなくて。どうにかしたくても、それでも何にも出来なくて、だけどなにかしなくちゃって、自分はこのままじゃいられないって、そうだからじゃないの?」

 さーちゃんの顔が、スカートの膝に埋もれて半分しか見えない。

「そんなふうに思うのは、みんな同じだから……」

「大丈夫よ、もも」

 いっちーの額が、ふいにあたしの額に合わさった。

「最初に約束したじゃない。何もかも全部、鬼退治のためのことだって、お互いに信じるんだって」

 いっちーの髪からは、相変わらずいい匂いがする。

「私はずっと、そうだと思ってたよ」

「そうだよ。そう思ってるのは、ももだけじゃないんだから」

 キジがあたしの隣に座った。

「私はももが、好きだから。大丈夫、まだなんにも終わってないよ」

 あたしは……。

あたしの傷が、鬼につけられたこの腕の傷がうずくから。

その痛みに負けそうで、だけどもうとっくに負けてることに気づいて、だけどずっとそれを認めたくなくて……。

「ご……、ゴメなさい……」

「なんでももが謝るの?」

 泣きだしたあたしに、さーちゃんは笑った。

「まだ負けてないし」

 彼女の笑顔が肩にのる。

「ももは自分で負けたとか思ってるかもしれないけど、私はまだ、ももは負けてるなんて思ってないよ」

「そうなのかな?」

「そうだよ」

 見上げたさーちゃんの顔は笑っていたけど、その笑顔の裏に不安があることを、あたしはなんとなく知っている。

あたしだっていつだって笑ってるけど、本当はずっと不安で自信なんてなくて、ずっとずっと怖かった。

「ねぇ、あのさぁ……」

 突然の悲鳴。

校庭の方からだ。

その鼓膜を切り裂くような叫びに、あたしたちは顔を見合わせた。

飛びついた窓から身を乗り出す。