「そんなんじゃないよ」

 キジはうつむいたまま小さくため息をつき、お茶を口にした。

生理前なのかなって思ったけど、そんなことをここでは聞けない。

金太郎は紙皿に乗せた卵焼きをキジに差し出した。

「はい。食べて」

 彼女はそれを受け取ると、すぐにあたしに向かって突き出す。

「私、いま卵焼きって気分じゃない」

 あたしだってそんな気分じゃないけど、出されたものは何だって食べるよ。

桃とさーちゃんは先を争うようにガッついていて、競争してんのかケンカしてんのか分かんない。

いっちーと浦島は、ちゃんとしっかり自分の分は確保している。

キジはすました顔でお茶だけすすって飲んでいて、あたしは仕方なくキジを素通りして金太郎から渡される、てんこ盛りのシイタケの肉詰めとかフキの煮物を口に詰め込んでいる。

むせたあたしに、キジはお茶を差し出した。

「ありがと」

 あたしはそれを素直に受け取り、飲み干した。

「いいなー。俺も誰かにお茶いれてほしい……」

 金太郎がボソリとつぶやいたその瞬間、サッとあたしとキジは2リットルのペットボトルを指さし、それを見た浦島は紙コップを手に取る。

「ほら」

「はい」

 金太郎は、浦島から受け取ったそれに口をつけた。

弁当の中身が空っぽになったタイミングで、キジは立ち上がる。

「消しゴムないから、購買に行って買ってくる」

「あ、あたしも行く」

 立ち上がったあたしとキジに、金太郎と浦島は手を振った。

「2人とも、放課後も来てくれるとうれしいな」

「部活の紹介動画撮るから」

 ふと見下ろしたあたしは、いっちーと目が合う。

横を向いたら、今度はキジと目が合った。

桃が「じゃ!」と手を振ったから、あたしとキジは校庭の芝生を抜け、校舎の陰に入る。

「どうしてついてきたの」

 キジは怒っているみたいだ。あたしの目の前で、長く真っ直ぐな黒髪が揺れている。

「ねぇ、お腹空かない?」

 あたしはこっそり持ってきていた、ママのクッキーを取り出す。

「一緒に食べよう」

 ずっと早足で歩いていた彼女の足が止まった。

「……それは、本当は、今日みんなで食べるために持ってきてたんじゃないの?」

 キジがこんなにも苦しそうにしているのを、あたしは初めて見たような気がする。

「ううん。そんなことないよ」

 あたしたちは誰にも見つからないように、非常階段踊り場という透け透け見え見えの秘密基地に潜り込む。

キジと同じ甘い紅茶を買って、並んで食べた。

「美味しぃ~!」

 いつもさーちゃんと負けないくらい、いっぱい食べるキジを知っている。

あたしの方はもう、本当にお腹いっぱいだった。

「全部食べちゃっていいの?」

「うん」

 非常階段から見える遙か足の下に、まだレジャーシートを広げているいっちーとさーちゃん、桃たちの姿が見えた。

どうしてあたしたちは、こんなところに追いやられているんだろう。

「それは……鬼のせい?」

 あたしは隣のキジに、そっと声をかける。

キジの横顔は、ふっと笑った。

「別に何かされたとか、嫌な事があったとかってわけじゃないんだけど、どうしても見たり聞いたりしちゃうことってあるじゃない? それに対して、何にも出来ない自分が嫌だし、かといってどうしていいのかも分からないし、自分が嫌な思いをするかもって分かってるところに、わざわざ行く気にならないだけなんだよね。分かる?」

「分かるよ」

 あたしはキジの長い黒髪の、風に吹かれているのを見ている。

「キライなのよ。何となくでしかないんだけど。自分とは全く違う生き物のような気がして。怖いっていうか、わかり合えない、混じり合えないっていうか、なんかそういうの……。とにかく嫌なの」

 サクッと乾いた音がして、キジの口の端から見えないくらい細かなクッキーの欠片がこぼれる。

「知らない人に対して、どう思うかってのがあるじゃない? 少しでも同じところとか、似たような部分があると安心できるけど、生物としての共通点が何にも思いつかないのよ。分かる? この感じ」

 あたしはそっとうなずいた。

足元ではいっちーとさーちゃんが、桃たちと普通にランチしてる。

「単純にね、もう動きとか動作とか、しゃべってる内容とか全く理解不能なのよ。全部意味不明。同じ空間にすらいたくないし、自分の世界に入ってこられるのも嫌なの。全てが悪人ってわけじゃないって、もちろん頭では分かってるんだけど、そんなのは簡単に感情が否定してくる。『本当に大丈夫?』『信用していいの?』『関わったら、後で面倒なことにならない?』って、そんなことを考えてたら、もう近寄りたくもない」

 崩れた学校の城壁は、もう何にもなくなっていて、見通しはすっかりよくなったけど、もうあたしたちを守ってくれるものは、何にもない。

「あの人たちは違うって、ちゃんと頭では分かってるんだけどね」

 あたしはキジの肩に頭を寄せた。

彼女の温かな体温が、じんわりと伝わってくる。

「分かるよ。あたしも基本的に嫌いだもん」

「私はまだ……。あの人たちには、さーちゃんがいていっちーがいて、もももいるから大丈夫なだけで……」

 いつの間にかママのクッキーは、残り少なくなっていた。

「……ねぇ。あたし、鬼退治続けてていいと思う?」

 吹き上げる上昇気流は、スカートを巻き上げた。

「いいと思う」

 キジの髪からは、いっちーとはまた違ういい匂いがする。

「私も……頑張る。負けないように……」

 キジと目が合って、あたしが笑ったら、彼女も笑った。

「あたしもクッキー食べていい?」

「もともと、もものじゃない」

 キジは笑った。

お腹はいっぱいだったけど、一緒に食べたクッキーはとても美味しかった。