「ももはさ……」

 いっちーもあたしも、荒い呼吸をつき汗をかいていた。

「なに?」

 いっちーは、すぐ横にあった自販機前の椅子にドカッと腰を下ろした。

あたしはここでまた走り出したら、今度は確実に撒けるなーとか、でも教室の鞄の前で張られてたら終わるなーとか、そんなことばかりを考えている。

「最近、私のこと避けてる?」

 そんなこと言われて、座りたくない。

「避けてない」

 彼女があたしを見上げていることに、ずっと落ち着かない。

「なんで? なんでそんなこと聞くの?」

「なんかそんな気がした」

 あたしは背中をまっすぐに伸ばす。

少し離れた位置から彼女を見ている。

「細木にね、呼び出されてたんだ」

「なんか言われた?」

「部に昇格するって」

 本当だったら、いっちーと大喜びしてたんだろうな。

だけど素直に喜べない理由は、知っているような気もするけど、知らない。

「そっか。他には?」

「……。別に」

 いっちーの目が、あたしに座らないのかと訴えかけている。

あたしは仕方なくそこに座る。

「練習メニュー、どうしようか」

「うちらはもう三年になったし、他の部だと引退だよ」

「じゃあ誰が続けんの」

 細木になんて、渡したくない。

なのに、どうしようもない。

「一年とか二年が入ってくれればいいんだけど」

 学校の改装工事が終わらないから、全部活の開始が遅れている。

「そろそろちゃんとしないと」

「うん。ダンス部引退したから、さーちゃんとキジも手伝ってくれるって。色々聞けるし、いいんじゃない」

「だね。……。細木にも、そうやって言われた」

「そっか」

 事務的な会話に、あたしは顔を背ける。

ガラス張りの向こうから差す日差しは、もう赤く傾いていて、完全下校の時間も近い。

「もも、今日は一緒に帰ろう」

 そんなこと、いちいち誘ってこなくても、前までは当たり前にそうしていたのに……。

「うん。なんか久しぶりだね」

 いっちーのスマホに連絡が入って、あたしたちの荷物を持った桃たちが校門の前で待ってくれているらしい。

「そんな連絡まで来るんだ」

「もう正門一つじゃないから」

 いっちーが返信を打っている。

仕方なくいっちーの背中を見ながら、そこへ向かう。

桃たち3人と、さーちゃんとキジまでいた。

「ねぇ、アイス食べて帰ろうよ」

 桃に話しかけられる。

「それとも、まだ少し寒いから、たこ焼きの方がいいかな」

 どうしてそんなこと、わざわざ聞いてくるんだろう。

あたしは金太郎から鞄とこん棒を受け取った。

「桃たちの行きたいところでいいよ」

「じゃ、ももの行きたいところがいい」

 そう言って桃は、にこっと微笑む。

「ももの行きたいところへ、俺たちを連れてって」

 あたしが望むも望まないも、どうにもならないことはどうにもならない。

大きく息を吸ってから、ピタリとそれを止めた。

「ねぇ、鬼退治部、入る?」

 それはずっと避けていた言葉。

あたしは桃たち三人を見上げる。

「入ってもいいの?」

「いいよ。部員を勧誘しないといけないの。一緒に手伝ってくれる?」

 彼らは3人はパッと目を合わせた。

「もちろん!」

 そうやってうれしそうにしているのが、本当は何だか寂しい。

さーちゃんがあたしの首に巻き付いてきた。

「なによ、私とキジにもちゃんと頼みなさいよ!」

 少し伸びた髪をライオンみたいにトゲトゲにしてから、ガチガチに固めてある。

それがほっぺたに刺さってちょっと痛い。

「さーちゃんとキジは、ヤダって言ってもやってもらうつもりだったから、いいの」

「なんだそれ」

 さーちゃんが笑った。

「じゃあ、いつものフードコートへ行きますか?」

「うん」

 7人になったあたしたちが歩き出す。

駅前広場に、駅バァがいた。

レンガで囲まれた花壇に、誰かの手によって植えられたただ大人しく咲き誇る花たちの脇に座っている。

そういえば最近、駅バァの怒鳴り声も聞いてないな。

だけどそんなことを気にしているのは、この世であたし一人だけなのかも知れない。

フードコートであたしたちは、たこ焼きとアイスを食べた。
 本格的な活動再開の前に、教室を借りてポスター作りやら、ちゃんとした練習メニューの整理を始めた。

いっちーと二人だけの頃だったら、絶対にやらなかったようなことだ。

「ま、想像はしてたけどさ……」

「うん。酷いよね」

 さーちゃんとキジに呆れられる。

「だって……」

 浦島はテキパキと書類仕事をこなしてくれていた。

「とりあえず、細木んところ行って色々聞いてきたけど、年間活動予定とかこんな感じでいいのかな」

 昨日の放課後に皆で行ったフードコートで、具体的な内容は話し合っていた。

それに従って実際の作業を進めている。

「あ、いいんじゃない? 大会とかがないのが寂しいけど、他との交流試合とか考えていきたいよね。無理なら学内対抗戦とか」

「合宿とかの予算を考えると、遠征なんかよりももっと……」

 いつの間にか、さーちゃんと浦島はすっかり仲良しだ。

「キジって、本当にバレエ部の部長さんだったの?」

 金太郎はあたしを見て、にっこりと笑った。

「わぁ、一度でいいから、見てみたかったなぁ」

 そんなことを言いながら、パソコンで勧誘広告を作ってる。

デジタルで絵も描けるなんて、信じらんない。

「動画とか持ってない?」

「持ってても本人の許可がないと見せないよ」

 そう言ったら金太郎はクスクスと笑った。

「やだな、ももちゃんもキジと同じこと言うんだ。お願いしたのに、絶対見せないって断られるんだよ」

 教室のドアが勢いよく開いた。

「ただいまー!」

 桃が戻ってきた。

その後ろにはいっちーとキジもいる。

「倉庫のこん棒、数えてきたよ。ベルトもまだ残ってるけど、数は少ないね。腕章は作られた世代が違うのかな? デザインの違うのがいくつかあって……」

 いっちーは、さーちゃんと浦島に倉庫調査の結果を報告をしている。

金太郎はキジを見て、にこっと微笑んだ。

彼女はそれに、ふいと顔を背ける。

桃があたしの隣に腰を下ろした。

「どう? 作業進んでる?」

 進んでるも何も、あたしはただここに座って、浦島とさーちゃん、金太郎からのあれやこれやの質問に、「あー、どうしよう。分かんない」「じゃあ後でみんなで考えるか」「うん、そうだね」とか言ってるだけだし。

 桃の目があまりまっすぐにあたしを見てくるから、あたしもそれに視線を合わせる。

桃は「どうかした?」とでもいうように、首をかしげた。

桃の黒くまっすぐな髪と、あたしのくるくる天パのショートヘアが、同じ色をしているのをとても不思議に思う。

この空間に、あたしは部長だからという理由だけで、ここに座っている。

また教室の扉が開いた。

「よっ、やってるか?」

「細木先生!」

 桃はパッと立ち上がる。

「新入生の入部希望はあった?」

「まだ気が早いっすよ」

 そう言って笑う。

細木の手が桃の肩にのった。

浦島はまだ完成していない書類を細木に見せる。

「こんな感じで大丈夫ですかね」

「あぁ、いいんじゃない。こっちはもう出来てるの?」

 細木はポケットから印鑑を取り出すと、ろくに見もしないでそこに印を押した。

細木はそのまま続ける。

「あ、部活用の学校アカウント、許可下りたから。これがIDとパスワードね」

 金太郎に、一枚の紙ペラを渡した。

「あぁ。ありがとうございます!」

「勧誘案内の印刷は? 何部刷る予定?」

「今のところ、実動部員は7人ですからね、あまり部数刷っても……」

 金太郎の作業していたPCを、細木はのぞき込んだ。

「うおっ、お前絵も描けるのか。凄いな」

「こんな感じでどうですかね?」

「うん、いいんじゃない」

 画面を見ながら語り出した細木に、浦島が声をかけた。
「先生、学校の印刷機って、使えるんですか?」

「『部活』になったからね!」

 細木はうれしそうにグッと親指を突き出し、盛大にニヤリと笑った。

「今日はもう練習はしないの?」

 細木は今度は、桃の前に座る。

「だから今日は、教室で会議だって言ったじゃないですか」

 桃はうれしそうに答えた。

「こないだ先生からもらったアドバイス、めっちゃ分かりやすかったです。抜刀の時の手首の返し方とか……」

「鬼ってさ、ある程度は習性みたいなのがあって……」

 細木は桃と鬼退治の話しをしている。

なにそれ。

いつの間に細木とこんな仲良くなった? 

あたしは細木に、鬼退治の仕方とか教えてもらったことない。

「なにコレ」

 男子3人と楽しそうに話している細木と、その光景に思わず声が出る。

隣に座っていたキジと目が合った。

「なにアレ」

 もう一度声に出す。

キジは少しうつむいただけだった。

「私は……、ももの気持ち、分かるよ」

 その細木がこっちに顔を向けた。

「花田ぁ~。お前ってホントになんも考えてなかったんだなぁ」

 そんなことを言いながら、上からため息をつく。

「だからいっつも問題起こすなよって、言ってたのに」

「は?」

「今まで、なにやってたんだよ。お前はサークル起ち上げたたけで満足だった?」

 細木が笑ったら、そこにいた男どもも笑った。

「そんなんでよく部長とか自分で言ってられるよな。まわりのことも、ちょっとは考えろよ。こんだけ手伝ってもらって、やっとじゃねぇか。そんなんだから今までろくに部員も集められないんだよ。活動だってロクにしてこなかっただろ。だから俺は……」

 あたしはガタリと立ち上がった。

「イツ、ダレガ? アンタに迷惑かけた?」

 机をドカンと踏みつける。

細木は一瞬、あたしの知っている顔になった。

「あんたこそ、何しに来た? 今さら顧問ヅラされても、こっちも迷惑だっつーの」

 机に足をかけた今のあたしは、細木より視線が高い。

「キライでしょ? ホントは鬼退治。他の先生から無理矢理押しつけられて、迷惑してたんでしょ? だったら来んなよ。なんで部に昇格させた? あんた、あたしの顔見るたびに、いっつも言ってたじゃん。『こんなサークル、いつでも潰してやる』って」

「……。そんなつもりで言ってたんじゃない」

「だったらどういうツモリなんだよ!」

 机を蹴飛ばした。

「テメーがうちらを嫌ってることくらい、最初っから知ってんだよ! 言えばいいじゃん、さっさと辞めろって。お前ヤメロ席譲れって。ずっと嫌がってたでしょ? うちらの前で、あたしたちのこと!」

 細木の顔はすっかり青ざめ、硬直している。

「花田さん。先生は、机を蹴飛ばすのは、よくないと思います」

「っんだと、コノ野郎!」

 腰のこん棒を抜く。

「わぁ! ももちゃん、ちょっと待った!」

 桃が後ろからあたしを押さえつけた。

羽交い締めにされて、身動きが取れなくなる。

「あたしに触るな!」

 桃を振り払い、こん棒を振り回す。

彼はパッと離れ、すぐさま両手を挙げた。

ハンズアップ。万歳。

あたしはそのこん棒を細木に突きつける。

「ももちゃん、ここ教室!」

 止めようとする金太郎を、あたしはにらみつけた。

「あんたたちは黙ってて」

 あたしの用があるのは、コイツだけだ。

「そうやってイイ面見せといて、どこで裏切るつもり? やっとあんたの、自分で好きなようにできるって? 味方が出来た? あぁそう、そりゃよかったよね。だけどね……」

 こん棒を構えなおした。

「あたしがここにいる間は、絶対にあんたなんかに渡すつもりはないから。本気であたしに問題起こされたくないんだったら、今すぐこっから出て行け。お前にこのまま黙って奪われるくらいなら、こっちからぶっ潰してやる。それが嫌なら、二度とあたしに顔見せんじゃねぇぞ!」

 細木は動かない。

じっと黙ったまま、その場に立ち尽くしている。

くそっ、マジでどうしてやろうか。

そう思った瞬間、ヤツは背を向けた。

「悪かった。俺はもう出来るだけ関わらない。今まで通り、お前たちだけで好きなようにやれ」

 教室を出て行く。

あたしはその物言いと後ろ姿に、またイラッとしている。

浦島が走り出した。

「先生!」

 すぐに金太郎もその後を追いかけ、桃も出て行ってしまった。

急に辺りが静かになって、窓から吹き込んだ風が作りかけの書類を飛ばす。

いっちーはそれを拾った。

「もも」

 名前を呼ばれただけなのに、それだけのことなのに、無性に腹が立つ。

どうしてあいつらがここに入学してきたんだとか、アレが桃たちばかりをかわいがることとか、そんなことは彼女には一切関係ないのに、これ以上なにかをしゃべったら、その全てをいっちーのせいにしてしまいそう。
「なに?」

 あたしは、ひっくり返した机を元に戻す。

そうやってうつむいていないと、誰かと目があってしまいそう。

「あっちゃー。コレ、くーちゃんの机だったか。謝っとくわ」

 スマホを取り出す。

高速タップで謝罪文を打つ。

顔をあげたら、さーちゃんと目があった。

相変わらずの伸ばしかけツンツンライオン頭で、座った机の上に片膝を立て、そこに頬杖をついている。

キジは最初から位置も姿勢も全く変わっていない。

いっちーは集めた書類を片手に、じっとあたしを見ている。

 誰も何も言わないから、あたしはどうしていいのか分からない。

分からないものは分からないから、どうしようもない。

「もも」

 いっちーの足が一歩前に出る。

その分だけ、あたしとの距離が縮まる。

今はそんなことにすら耐えられない。

「あー分かった! 分かったよ、分かってるって!」

 あたしは生徒で、細木は先生で、部活には顧問が必要で、桃たちがここに入学してきたのも入部してくるのも、自分じゃどうしようも出来ないことで、そんなことに腹を立てていたってしかたがなくて、誰もがこんな些細なことを些細なこととして処理しているのを知っているし分かってる。

「謝ってくる」

 足取りは重い。

行きたくない。

なんであたしが謝らないといけない? 

教室をゆっくりと歩いて、入り口のドアにかじりつく。

だけどあたしがしないといけないのは、こういうこと。

「クソダサジャージに謝って来らぁ!」

 そっからの廊下全力ダッシュ。

そんなことしたって、全然意味なんかないのに。

階段を飛び降り廊下を駆け抜け、校舎を飛び出した。

アイツはどこにいる? 

職員室へ向かおうとした中庭の柱の陰に、うずくまる人影を見つけて立ち止まる。

 細木が泣いている。

そのボロボロに泣いてる細木を、桃と金太郎と浦島が必死で慰めている。

なんだアレ。

細木はやっぱ、頭おかしいんだな。

なんで教師が生徒の前で泣いてんだ。

じっとみていたあたしに、浦島は気がついた。

「もも」

 いっちーと同じようなトーンで、あたしの名前を呼ぶのがムカつく。

「いつから見てた?」

 ため息をついた浦島に、あたしはあえて返事をしない。

柱の陰に隠れたままじっとしている。

「先生はそれなりに、みんなのことをちゃんと考えてくれている」

 金太郎は、その金色の髪をかき上げながら浦島に続いた。

「ももちゃんにとっては、気に入らないことが多いかもしれないけど、先生の協力がないとどうにもならないことはあるって、分かるよね」

 桃はあたしをじっとみつめたまま、一歩近づく。

「ももは、どうしたいの?」

 あたしは桃を見上げた。

どうしたいかって? 

そんな本音を、正直に言えるとでも思ってるんだろうか。

びっくりする。

「いいんだ、ありがとう」

 答えずにいたら、細木は立ち上がり、桃の肩に手を置いた。

「先生」

「どうせ俺は、なにやったって嫌われるんだから。こいつにとっては、そんなこと、どうだっていいんだよ」

 細木はいつもの顔で、遠くからあたしを見下ろした。

「な、お前はどうしたって、俺が嫌いだもんな? いいよ別に、無理しなくたって」

 あたしはなんにも言っていないのに、やっぱり勝手に進行してゆく。

「別に、そんなこと思ってないよ」

「じゃあどう思ってんの?」

 あたしは桃を見つめる。

そんなこと、あんたたちに言ってどうすんの? 

どうしようもないことだって、あたしが一番知ってるのに。

「ほら、結局何にも考えてないし、無駄なんだよ」

 細木はいかにもめんどくさいというように、手をひらひらさせた。

「あー、もういいよ。帰れ帰れ」

 ほら、ね。

「結局我慢するのは、いつもこっち側だからさ。もう慣れたよ」

「……。じゃ、帰ります」

「はーい。お疲れー」

 どうしてコイツらは、いつもこうなんだろう。

あたしたちとは、見えているものと見えていないものの世界が、全く違うとしか考えようがない。

コイツらにとってあたしがどうでもいい存在なんだったら、結局あたしにとっても、どうだっていい存在だったってことだろ。

話しがかみ合わないのは、どうしようもないことで、そんなことまであたしのせいにしないでほしい。

あんたたちがあたしに何も期待せず意識しないように、あたしもまた期待してないしアテにはしない。
 柱の陰で振り返る。

細木はうれしそうにニコニコ笑っていて、ふざけた様子で桃を膝で蹴飛ばした。

桃たちはずっとたのしそうに笑いあっていて、浦島の腕は、笑い転げる金太郎の肩にのる。

細木がこん棒を振り回すと、桃は腰の刀を鞘ごと抜いた。

それを細木に渡す。

細木はその刀身を、うれしそうに引き出した。

何よりも眩しく輝くそれを、細木は振り回す。

ほら、ね。

やっぱりそういうこと。

 教室に戻ったら、いっちーとさーちゃん、キジが待っていてくれた。

あたしはへらへら笑って言う。

「細木に謝ろうとしたけど、謝れなかった」

「どうして?」

 さーちゃんが聞いてくる。

「……。なんか、別に聞きたくないって……」

 いっちーと目が合わせられなくて、それでもじっと見られているのは分かるから、余計にそっちを見ることが出来ない。

「なんか、結局どうでもいいみたいだった。こんなこと」

「……。そっか」

「でも、これからも、細木とは普通にする」

 部活のことは桃と金太郎と浦島と、いっちーとさーちゃんがちゃんとやってくれてるっぽいから、それでいいんだと思う。

あたしは大人しくみんなの言うことを聞いて、「うんうん」と返事をしておけば大丈夫。

その方がみんなで上手くいくなら、結局はそれが最適解だと思うんだ。

最近は何となく、部活に出てもキジと一緒にただ座っている。

 さーちゃんの髪がまた少し伸びて、前髪が出来た。

今は揃わない髪を頭のてっぺんで結び、他は伸びるがままに任せている。

彼女の金色の髪がやわらかなウェーブを描いているなんて、知らなかった。

 遅れていた工事もほぼ終わって、部活が再開された。

それに合わせて、勧誘も始まる。

金太郎の作ったポスターが壁に貼られ、在校生に限定して公開される部活アカウント運用解禁ももうすぐだ。

今日はそのタイムラインに流す画像の撮影に来ていた。

「だからなんで昼休み?」

「『お弁当も一緒に食べてます』みたいな?」

 桃はうれしそうに、いっちーと浦島の作った豪華弁当を広げた。

「『いつも』ってワケじゃないじゃん」

「だけど、特別な時にはいつもこうしてるよ」

 桃はレジャーシートを広げる。

あたしが『いつも』、という言葉に引っかかっていることにも、桃は気づかない。

「ほら、ももちゃんもキジも座って」

 金太郎がスマホのカメラを向けた。

「あたしはいいよ」

「ダメだよ。部長と幹部役員は写らないと」

 金太郎の爽やか王子スマイルには、きっと誰もあらがえないように出来ている。

あたしの隣に、いっちーが座った。

久しぶりに横に並んだ彼女からは、懐かしいシャンプーの匂いがする。

そんなことにも久しぶりすぎて、涙が出そう。

「ほら、キジとさるも並べ」

 浦島に促されて、2人もフレーム内に収まる。

大きなタッパーに入れられた、ピクニック仕様の豪華弁当を囲んで座った。

元は女子校だったから、そこには女の子しか入れない。

部活が再開されたとはいえ、入部手続きが始まっていない今は、桃たちはまだ正式な部員ではないのだ。

「なんか、弁当詐欺っぽくない? 全部浦島が作ったの?」

「これ作ったの、私だから」

 いっちーがつぶやく。

そっか。

いっちーはあたしと違ってお弁当作るのも得意だった。

浦島はあれこれと構図に文句をつけ、金太郎に要求されるがままポーズを取る。

いっちーは慣れっこなのか淡々と受け流し、さーちゃんは楽しそうだった。

キジはずっとムッと強ばっている。

「体調悪い?」

 一通りの撮影が終わって、ようやくご飯を食べられるようになったのに、あたしはガチガチに固まったままのキジに声をかけた。
「そんなんじゃないよ」

 キジはうつむいたまま小さくため息をつき、お茶を口にした。

生理前なのかなって思ったけど、そんなことをここでは聞けない。

金太郎は紙皿に乗せた卵焼きをキジに差し出した。

「はい。食べて」

 彼女はそれを受け取ると、すぐにあたしに向かって突き出す。

「私、いま卵焼きって気分じゃない」

 あたしだってそんな気分じゃないけど、出されたものは何だって食べるよ。

桃とさーちゃんは先を争うようにガッついていて、競争してんのかケンカしてんのか分かんない。

いっちーと浦島は、ちゃんとしっかり自分の分は確保している。

キジはすました顔でお茶だけすすって飲んでいて、あたしは仕方なくキジを素通りして金太郎から渡される、てんこ盛りのシイタケの肉詰めとかフキの煮物を口に詰め込んでいる。

むせたあたしに、キジはお茶を差し出した。

「ありがと」

 あたしはそれを素直に受け取り、飲み干した。

「いいなー。俺も誰かにお茶いれてほしい……」

 金太郎がボソリとつぶやいたその瞬間、サッとあたしとキジは2リットルのペットボトルを指さし、それを見た浦島は紙コップを手に取る。

「ほら」

「はい」

 金太郎は、浦島から受け取ったそれに口をつけた。

弁当の中身が空っぽになったタイミングで、キジは立ち上がる。

「消しゴムないから、購買に行って買ってくる」

「あ、あたしも行く」

 立ち上がったあたしとキジに、金太郎と浦島は手を振った。

「2人とも、放課後も来てくれるとうれしいな」

「部活の紹介動画撮るから」

 ふと見下ろしたあたしは、いっちーと目が合う。

横を向いたら、今度はキジと目が合った。

桃が「じゃ!」と手を振ったから、あたしとキジは校庭の芝生を抜け、校舎の陰に入る。

「どうしてついてきたの」

 キジは怒っているみたいだ。あたしの目の前で、長く真っ直ぐな黒髪が揺れている。

「ねぇ、お腹空かない?」

 あたしはこっそり持ってきていた、ママのクッキーを取り出す。

「一緒に食べよう」

 ずっと早足で歩いていた彼女の足が止まった。

「……それは、本当は、今日みんなで食べるために持ってきてたんじゃないの?」

 キジがこんなにも苦しそうにしているのを、あたしは初めて見たような気がする。

「ううん。そんなことないよ」

 あたしたちは誰にも見つからないように、非常階段踊り場という透け透け見え見えの秘密基地に潜り込む。

キジと同じ甘い紅茶を買って、並んで食べた。

「美味しぃ~!」

 いつもさーちゃんと負けないくらい、いっぱい食べるキジを知っている。

あたしの方はもう、本当にお腹いっぱいだった。

「全部食べちゃっていいの?」

「うん」

 非常階段から見える遙か足の下に、まだレジャーシートを広げているいっちーとさーちゃん、桃たちの姿が見えた。

どうしてあたしたちは、こんなところに追いやられているんだろう。

「それは……鬼のせい?」

 あたしは隣のキジに、そっと声をかける。

キジの横顔は、ふっと笑った。

「別に何かされたとか、嫌な事があったとかってわけじゃないんだけど、どうしても見たり聞いたりしちゃうことってあるじゃない? それに対して、何にも出来ない自分が嫌だし、かといってどうしていいのかも分からないし、自分が嫌な思いをするかもって分かってるところに、わざわざ行く気にならないだけなんだよね。分かる?」

「分かるよ」

 あたしはキジの長い黒髪の、風に吹かれているのを見ている。

「キライなのよ。何となくでしかないんだけど。自分とは全く違う生き物のような気がして。怖いっていうか、わかり合えない、混じり合えないっていうか、なんかそういうの……。とにかく嫌なの」

 サクッと乾いた音がして、キジの口の端から見えないくらい細かなクッキーの欠片がこぼれる。

「知らない人に対して、どう思うかってのがあるじゃない? 少しでも同じところとか、似たような部分があると安心できるけど、生物としての共通点が何にも思いつかないのよ。分かる? この感じ」

 あたしはそっとうなずいた。

足元ではいっちーとさーちゃんが、桃たちと普通にランチしてる。

「単純にね、もう動きとか動作とか、しゃべってる内容とか全く理解不能なのよ。全部意味不明。同じ空間にすらいたくないし、自分の世界に入ってこられるのも嫌なの。全てが悪人ってわけじゃないって、もちろん頭では分かってるんだけど、そんなのは簡単に感情が否定してくる。『本当に大丈夫?』『信用していいの?』『関わったら、後で面倒なことにならない?』って、そんなことを考えてたら、もう近寄りたくもない」

 崩れた学校の城壁は、もう何にもなくなっていて、見通しはすっかりよくなったけど、もうあたしたちを守ってくれるものは、何にもない。

「あの人たちは違うって、ちゃんと頭では分かってるんだけどね」

 あたしはキジの肩に頭を寄せた。

彼女の温かな体温が、じんわりと伝わってくる。

「分かるよ。あたしも基本的に嫌いだもん」

「私はまだ……。あの人たちには、さーちゃんがいていっちーがいて、もももいるから大丈夫なだけで……」

 いつの間にかママのクッキーは、残り少なくなっていた。

「……ねぇ。あたし、鬼退治続けてていいと思う?」

 吹き上げる上昇気流は、スカートを巻き上げた。

「いいと思う」

 キジの髪からは、いっちーとはまた違ういい匂いがする。

「私も……頑張る。負けないように……」

 キジと目が合って、あたしが笑ったら、彼女も笑った。

「あたしもクッキー食べていい?」

「もともと、もものじゃない」

 キジは笑った。

お腹はいっぱいだったけど、一緒に食べたクッキーはとても美味しかった。
 新入部員の勧誘は、思いのほか手こずっていた。

そもそも「鬼退治」という行為自体が、すでに流行っていないのだから仕方がない。

腰にぶら下がる刀もこん棒も、興味のない人たちから見れば、ただ邪魔で迷惑なものでしかないようだ。

「まぁ確かに、そう言われればそうなんだけどねー」

 家庭科の調理実習中でも、その状況は変わらない。

「だったら外せよ」

 同じクラスの男子、中くらいのは、わざとなのか特にそういうつもりでもないのか、小さく舌打ちする。

「は? なに? 文句でもあんの?」

「……。いや、別に……」

 あたしがにらみつけたら、中くらいのはムッとして静かになった。

まぁそう言いたくなる気持ちも、分からなくはない。

だってあたしといっちーとさーちゃんとキジが、4人揃って同じ調理実習グループだ。

最近はさーちゃんもキジも普通にこん棒を差してるから、そりゃ邪魔だわな。

中くらいのといつも一緒にいる、細いのと丸いのも同じグループだ。

「えっと、煮干しの量って、これでいいのかな」

 細いのがいっちーに尋ねる。

どうして高校の家庭科で、ご飯に味噌汁、ポテトサラダとオムライスを作らなくてはならないのか。

しかも出汁は市販の粉じゃないなんて。

「うん、いいと思う」

「そっか。ありがと」

 さーちゃんは鼻歌交じりでジャカジャカ米を研ぐと、炊飯器にセットした。

「だけどさぁ、土鍋で米炊けとか言われなくてよかったよねー」

「それはやりすぎでしょ」

 あたしはため息をつく。

丸いのがジャガイモの皮をむくのに苦戦している横で、キジはキュウリを切っている。

丸いのが小さな声で「うわっ」とか「あれっ?」とか言う度に、彼女はいちいち、体をビクビクと震わせていた。

「あ、雉沼さん。ジャガイモの芽って、こんくらい取ったんでいいかな」

 そうやって見せられただけなのに、キジは丸いのをにらみつける。

「は? 何か用?」

「よ、用っていうか何ていうか……」

「私に話しかけないでくれる?」

「え? えっ? えっと、その、ジャガイモの芽が……」

 キジの振り上げた包丁が、まな板の上のキュウリを一刀両断して弾き飛ばす。

「……。話しかけないでって言ったよね……」

 丸いのは明らかに動揺し困惑している。

まぁ気持ちは分かるが、どうしようもない。

彼には自分がなぜこんなにも嫌われているのか、それが分からないのだろう。

いや、むしろキミは何も悪くなくって、キジは個人としてのキミが嫌いなのではなく、とにかくそこに属している全てのものが気に入らないってだけで、それはキジ自身の個人的な感情で、だから丸いのがキジの態度を気にする必要はないのだけど……。

そんなコト、言われてもねぇ?

キジは丸いのを無視して、無心にキュウリを刻み始めた。

あっという間にその作業を終えると、今度はタマネギに取りかかる。

丸いのはどうしていいのか分からず、困っていた。

見かねたさーちゃんが丸いのとキジの間に入り込む。

「ゴメンね、キジは人見知りが激しいから」

「う、うん。なんかいつもそんな感じだよね」

 丸いのが放った何気ない言葉に、キジはさらにイラついてしまった。

「は? どういうこと? いっつもこっち見てんの?」

 ケンカ腰のキジがにらみつける。

「ジロジロ見てんじゃねーよ、キモ……」

「あぁ! ジャガイモの皮って、むくの慣れないと難しいよね! ピーラーってどこ?」

 キジの言ってはならない言葉を、さーちゃんがギリギリで封じ込めた。

いっちーに助けを求めるように見上げる。

「実習中は、ピーラー禁止なんだってさ」

「は? マジで」

「どうしよっか……」

 雰囲気を察したいっちーは、ジャガイモを手にとった。

「じゃ、みんなでまとめてやろう」

 いっちーとさーちゃんとキジと、丸いのと細いのが作業しているのを、あたしと中くらいのは並んで眺めている。

中くらいのがつぶやいた。

「お前も手伝えよ」

「あんたもね」

「俺は食べるの専門だから」

「あたしもだっつーの」

 いっちーはそんなあたしたちを、上からにらみつける。

「お前らも、やれ」

「あ、あたしは火起こしと片付け専門です!」

「今回は火起こしないけど」

「じゃ、洗いものはする」

 いっちーは黙って、一つうなずいた。

あたしは中くらいのを、肘で一発ドカリとぶつ。

「お前もそうだからな」

 その衝撃が強すぎたのか、中くらいのはやたらめったら大げさに痛がっていた。

「そんな乱暴にする必要ないだろ」

「してねーって」

「痛いから」

「お前も片付けな」

「ちっ。分かってるよ」

 そんな中くらいのを、キジは異界の生物でも見ているような、嫌悪感満載の目でにらむ。

中くらいのは、そんなキジにすっかりどん引いてしまった。
「俺ら、なんか悪いことした?」

「してないよ。気にすんな」

 キジはまだ遠くからにらんでいる。

「なんで?」

「だから何でもないんだって」

 キジはフライパンに油を引くと、火をつけた。

「あ、オムライスの卵で包むのになったら、自分でやるから」

 中くらいのはそんな空気を和ませるつもりで言ったんだろうけど、キジの眼光は逆に鋭さを増した。

「は? まさかやってもらえるとでも思ってたわけ?」

「そ、そういう意味ではなかったんだけど……」

 とにかくキジの顔が怖い。

中くらいのはすっかりふてくされて、小さくなってしまった。

何だかずっと隣でブツブツ言っている。

あたしはそんな中くらいのを見ながら親切心で教えてあげる。

「自分の分は自分でやれって」

「分かってるよ!」

 その後も作業は順調に進み、あたしと中くらいのは、とんでもなく退屈していた。

そもそもいっちーが料理慣れしているうえに、さーちゃんも何だかんだで、そつなくこなしている。

キジは周りの空気を悪くさせまくってるけど、作業の手は止まらない。

細いのと丸いのは、キジの悪態にめげずに一生懸命参加している。

手の上で豆腐を切るのは初めてとかいう細いのの挑戦に、キジ以外は笑っていた。

ある意味平和な世界だ。

「お前も手伝えよ」

 あたしはさっき言われたのと同じように、やっぱり退屈している中くらいのに言ってみた。

「お前に言われたくないんだけど」

 同じような返事が返ってきたのに、ちょっとウケる。

「だからこういうの、苦手ってゆうか、興味わかないんだって」

「俺もだし」

「そっか。なら仕方ねぇな」

「うん」

 ご飯の炊けるいい匂いが漂ってきた。

味噌汁は出来たみたいだし、ポテトサラダに投入された具材とマヨネーズは、丸いのが一生懸命混ぜている。

いっちーが炊き上がったご飯をフライパンに移した。

「おい。そこの2人。ケチャップご飯くらい作る?」

 そう言われたあたしと中くらいのは、同時に首を左右に振る。

その動作までシンクロしていた。

やる気の出ないものは出ないのだから、仕方がない。

「……。ま、だよな」

「だな」

 いよいよ最後の仕上げに入った。

ケチャップご飯のたまご包み。

いっちーとさーちゃんはフライパンの上で綺麗にご飯を包むと、それを皿に移した。

そんな高度なテクニックを持ち合わせていないキジと丸いのと細いのは、出来上がった薄焼きたまごを皿に盛ったチャーハンの上にかぶせる。

「ほら、お前らの番だぞ」

「俺が先にやる」

 中くらいのは立ち上がって、ボウルに卵を割った。

菜箸でそれをかき混ぜると、フライパンに流す。

ジワュッと音を立てて、卵の表面が泡だった。

「わっ、コレどうすんだ?」

 中くらいのは慌ててひっくり返そうとして、フライ返しでたまごを破ってしまった。

「クソッ」

 そのままぐちゃぐちゃにかき混ぜようとする腕を、いっちーが掴む。

「待って。そういう時は一旦火を止めてから、卵を追加して挽回すればいいから」

 崩れたたまご焼きの上に、新たな卵液が流し込まれる。

「これで回復は出来た。後はうまくやって」

 いっちーが言うと単なる調理実習の料理じゃなくって、どっかの騎士団の極秘任務みたいだ。

「ちゃんとたまごが固まってから、丁寧にフライ返しを入れたら上手くいくから」

 さーちゃんからもアドバイスが入る。

作業を終えた細いのと丸いのも集まってきた。

中くらいのはぎごちない手つきながらも、何とかたまごを皿に移し、自分のオムライスを完成させた。

「おぉっ」

 細いのと丸いのは、ささやかながら盛大に拍手を送っている。

中くらいのは汗なんかかいていないのに、額の汗を拭った。

「なんとかなった」

 顔が真っ赤だ。照れてんのか。

「次はももね」

 いっちーから卵液の入ったボウルを渡される。

流した玉子が焼き上がっても、うまくフライパンから卵がはがれなかった。

「あれ? なんで?」

「かして。やってあげる」

 キジはあたしからフライパンを奪いとると、くるっと手首を返した。

薄焼きたまごは宙を舞う。

それはいい感じでふわりと皿に舞い降り、菜箸とフライ返しの二刀流で、オムライスはオムライスしたオムライスな楕円形に丸められる。

「わーい。やったぁ! キジ、ありがとう」

 キジは満足したように、得意げな笑みを浮かべた。

中くらいのはそれに舌打ちする。

「んだよ、ソレ。ずりー」

「ま、仕方ないよね」

 あたしは中くらいのに向かって、ニッと笑ってやる。

食べ終わった後の片付けは、何だかんだであたしと中くらいのだけじゃなくて全員で協力して、さっさと終わらせる。

これで調理実習も終わり。

解散。

「お前らって、まだ鬼退治続けんの?」

 家庭科室を出たあたしたちの、腰に差したこん棒を見ながら中くらいのは言った。
「続けるよ」

「ふーん……。そうなんだ」

 中くらいのは中くらいだから、あたしとあまり身長は変わらない。

「え? あんたも入部する?」

「しねーよ。三年だし」

 次の授業は化学だ。

早く教室に戻らないと。

「もう卒業だろ。部活なんてなぁ」

 中くらいのは中くらいらしく、細いのと丸いのの後について、そのまま行ってしまった。

「……。引き留めた方がよかったのかな」

「さぁ、どうだろう」

 いつの間にかいっちーが隣にいて、あたしたちは目を合わせた。

確かにうちの学校では、もうとっくに三年生は引退していて、ただ下級生のいないうちらだけが、部の存続のために活動しているだけだった。

勧誘するなら、三年生ではない。

「部員、増やさないといけないんだけどね」

 あたしは部長だし。

「大丈夫だよ。なんとかなる」

 いっちーはそういうと、そのまま階段を上り始めた。

その横顔に、あたしの傷がチクリと痛む。

なんとかなるって、誰が何をなんとかするの? 

それが出来ないから困ってるんじゃない。

 化学の先生が黒板に書く反応式は、矢印一つで簡単に変化してしまうけど、あたしにそんなことは出来ない。

反応式って、何に反応して変化するんだろ。

放課後がきてもまだぼんやりと机に身を投げ出したまま、じっと動けずにいる。

「ねぇ、金太郎が勧誘のポスター出来たって言ってたけど」

 さーちゃんは机に突っ伏したままのあたしをのぞき込む。

「うん。適当に張っといて」

「はぁ~。ダメだこりゃ。いっちー、コイツなんとかしてよ」

 いっちーのくすんだような茶色の目は、あたしを見下ろした。

「ももは平気でしょ」

 いっちーの手には、その完成したポスターがある。

「いいよ、さーちゃん。私たちは私たちで、出来ることをしよう」

 キジが心配そうにあたしをのぞき込んだ。

それにニッと笑って見せる。

「もうすぐ工事も終わって、部活が解禁されるよ」

「うん」

「今日はもう何にもしないの?」

「うん」

 伏せた腕の中に、再び顔を埋める。

これ以上なんか言われたら、あたしはまた爆発してしまいそうだ。

そうやってあたしの周囲からみんながいなくなるのを待っているのに、誰も動く気配はない。

え、ポスター早く貼りにいかなくていいの?

「今日は先に帰るね。後は任せた」

 パッと立ち上がり、後ろを振り返りもせず教室を飛び出す。

任せたって、何を任せるつもりなんだろう。

自分で言っといて意味がわかんない。

 周囲と取り囲む高い壁がなくなって、スッカスカになった校内に未だ慣れない。

風の通りがよすぎるせいだ。

あたしにとっての校門はただ一つだったのに、今は3ヶ所に穴が空いている。

男子の聞き慣れない低い声には、違和感しかない。

この世界と外は区別されているはずだったのに、もうそんな違いなんてない。

「お姉ちゃん」

 すっかり大人しくなってしまった駅バァの、その目の前で小さな女の子に声をかけられた。

この子には見覚えがある。

「もう鬼退治は、しなくてもいいの?」

 学校周りを巡回していた時に、助けを求めてきた子だ。

「元気だった?」

「ねぇ、本当にもう鬼退治やめちゃったの?」

「や、やめてないよ。……。そ、そんなの、やめるワケないじゃん!」

 あたしは腰のこん棒に手を置く。

「これからも、バンバン鬼退治していくから!」

 それなのに、彼女の顔はゆっくりと重く暗く沈んでゆく。

「あの時はありがとう。今度からは、遅い時間に独りで歩いたり、知らない人に近寄ったりしないし、分かってることも、知ってることも、全部興味ないとか知らないフリして、イイコにしています」

 つぶやく声はとても小さくて、まるで誰かから指導され、そう言わされるために覚えてきたセリフみたい。

「余計な手間をかけさせちゃって、ゴメンなさい。もう自分勝手なことはしません」

 ペコリと頭を下げると、彼女はそっと歩き出す。

「ありゃ可愛らしい、ええ子じゃねぇ~」

 ふいに隣にいた駅バァが口を開いた。

もごもごと口を動かし、彼女を褒め続ける。

「きっといい親御さんに育てられたんだよ。ちゃんと躾が行き届いとる。人間ちゅーのはやっぱり、あぁじゃないといかん」

 駅バァの目は、遠く離れてしまった自分の姿を見ているようだった。

「じゃないとヒトは、幸せにはなれんからなぁ」

 歩いていった女の子は、あたしの知らない誰かと手をつなぎ、人混みの中に消えていった。腕の傷が痛みだす。

「あんたも誰か他のヒトの言うことは、ちゃんと聞いていきんさいよ。自分の考えなんて、ちぃ~っともアテにはならん。人間素直が一番なんやから」

 駅前の濁った空は、春の訪れを告げる。

生暖かい空気が駅前広場を吹き抜けてゆく。

そのニュースが飛び込んできたのは、それから数日が経ったあとだった。