その平和な学校が、ある朝突然大変なことになっていた。
「なにコレ……」
うちのシンボルでもあった学校をぐるりと取り囲む高い城壁に、細い足場がびっしりと組まれている。
「学校からの連絡見てないの?」
キジだ。
「老朽化が進んで、周辺住民からの苦情が多かったんだって。崩壊の危険があるって。それで解体工事が始まったらしいよ」
「壊されんの?」
「さぁ」
焦げ茶色のレンガにまとわりつくそれは、チョコレートを食べに来たシロアリみたい。
「来年度の共学スタートに合わせて、この壁も撤廃するんだって」
「……。シロアリはチョコ食べないか」
「工事のこと?」
「うん」
「私は分解者が蜘蛛の巣みたいに菌糸を張り巡らせたように見えるわ」
「……。え?」
「なんでもない。気にしないで」
崩れてゆく城壁の、その壁で守られたお城の中へ、登校してきた女生徒たちは次々と吸い込まれてゆく。
「おはよう」
いっちーも来た。
いっちーは日本刀をぶら下げた桃と一緒に立っている。
「おはよう」
こん棒のいっちーはいつになく妙に機嫌が悪い。
「どうかした?」
「別に。キジ、こないだの公園の女の子のこと、ありがとう」
「ねぇももちゃん。この辺りで鬼が出たって本当?」
真剣な表情で、桃はあたしに尋ねる。
「アプリに情報上がってて、びっくりした。こないだ俺たちが巡回した直後だよね」
あたしはチラリといっちーの顔色をうかがう。
「あぁ、……うん。それで……、心配して、いっちーについて来たの?」
彼は顔を真っ赤にした。
「べ、別にそういうわけじゃないんだけど、鬼が出たっていうから……」
ため息をついたのはキジだった。
「平気でしょ、いっちーだし。私たちもいたんだから」
キジは普段の柔らかで優雅な物腰とは全く違う、ガチガチに硬直したような冷淡な物言いで桃を突き放す。
「君も鬼退治サークルのメンバー?」
そう聞かれたキジは、桃を見上げた。
「……そうかもね。早く自分の学校行ったら?」
桃は「一花をよろしくね」と言い残し、いそいそと背を向けた。
いっちーは吐き捨てるようにつぶやく。
「アイツ、結局私を分かってないんだよ」
「どういうこと?」
「自分の見たいようにしか見てないってこと」
「誤解してるってこと?」
いっちーはそれには答えない。
校内に向かって歩き出した。
「そうだと思う」
そのいっちーの代わりに、キジが答える。
「あぁいうのは、大嫌い」
キジも歩き出した。
彼女の長い黒髪が風に揺れる。
「早く教室に入らないと、ホームルームが始まっちゃうよ」
その日のクラスでは、学園祭の話しになった。
「ももはどうすんの?」
「悪いけど、あたしは鬼退治サークルの方があるから、裏方で」
そうだ。
立ち上げたばかりでまだ認知すらされてないサークルを、おもいっきり宣伝しないと。
そんでもって来年度入学してくる新入生を集めないことには、せっかく起ち上げたこのサークルも、速攻でお終いになってしまう。
「いっちー。あたしたちもなんか考えよう」
「だね」
クラスのことはクラスに任せておいて、自分たちの作戦を練る。
出来るだけ目立つようにしたい。
あたしたちは考えに考えた末、学校敷地内の空きスペースを利用して、チャンバラ対決をすることにした。
対戦者はあたしかいっちーを選んで勝負する。
道具はこん棒のみ。
鬼退治サークルの校内周知と勧誘が最大の目的だ。
「今年は一般公開するんだって。文化祭」
「え? 在校生のみじゃないの?」
「来年度の共学化に向けて、転入生も受け入れるらしいから、当日は在校生の関係者や他校の生徒も入れるって」
毎年中学生の参加は認められてきた。
中学生相手の剣技ならといいと思ったのに……。
「もも、どうする?」
「それでも、やるしかないっしょ。適当にルール決めて、時間制限つけよう」
あたしたちはこれから鬼と対峙しようとしているんだ。
怖いものなんてない。
「いっちー。とにかく練習あるのみだよ」
「了解」
クラスの出し物はお祭り屋台。
ヨーヨー釣りに綿アメとチョコバナナだって。
準備はお手伝いして、当日の当番はいっちーと時間を合わせてもらう。
学祭までの空いた時間はずっと剣術の稽古をして、当日のチャンバラ対決の時間も決めた。
「細木せんせーい」
顧問の先生に許可を取ってからじゃないと、何事も出来ないことになっているので、書き上げた書類を持って行く。
細木は相変わらず、誰もいない体育科準備室の机の下に隠れていた。
「な、なんだ。お前らか」
もぞもぞと這い出してくるのを、あたしといっちーは大人しく待っている。
「学祭の出し物決めたから許可して」
紙を突き出しても直接受け取ろうとはしない。
机をトントンと指で指すから、そこに置く。
一息入れてからようやく拾い上げ、目を通した。
「なんで俺がこんなこと……」
ブツブツと文句を言いながらも、顧問の承認印を押す。
「どうでもいいけど、俺に迷惑かけるなよ。問題起こしたら速攻解散だからな」
「はーい」
ハンコさえもらえれば、コイツにもう用はない。
あたしたちはひたすら練習をして、学園祭当日を迎えた。
今年の学祭は、去年までと随分雰囲気が違っている。
共学化に伴う、数十年ぶりといかいう一般公開も話題になって、とにかく人の数が多い。
鬼退治サークルのチャンバラ対決場には、小さな立て看板を一つ置いていた。
そこに開催時間が書いてある。
それまではクラスのお手伝い。
「いらっしゃいませー」
あたしといっちーは裏方で、ひたすらヨーヨー釣りの風船を膨らましていた。
おまけでついてきたエアポンプなんて、ほとんど役に立たない。
膨らました風船を、ゴム紐でぐるぐる巻き付けてクリップで綴じたらお終い。
隣のクラスが自分たちの宣伝にやって来た。
「お疲れ~。うちにも遊びに来てねー!」
隣の三組はコスプレ喫茶だ。
派手な格好をした連中の間に交じって、見慣れない奴がいる。
「え、さーちゃん?」
「そうだよー」
いつもの金髪坊主の上に、黒髪のふんわり縦巻きカールのカツラをかぶっている。
白雪姫の衣装が、背の低い彼女によく似合う。
「かっわい~!」
「でしょ!」
一緒に来ていたむーちゃんは、得意げにさーちゃんの肩に手を置いた。
「うちの最高傑作なんだから」
真っ白な肌にツンと高い鼻は、ハーフっぽいとは思ってたけど、青いカラコンを入れたら本当に異世界から転生してきたお姫さまみたいだ。
しかも巨乳。
「まぁね」
さーちゃんもそのふんわり巻いた髪をさらりと後ろに流す。
「私って、実はこんなにかわいいって知らなかった?」
「あー、はいはいはいはい。カワイーデスヨー」
笑い声があふれる。
さーちゃんも楽しそうに笑った。
「ねぇ、貴重な姿だから、一緒に写真撮ろう」
「いいよ」
さーちゃんがそう言うと、あっという間にみんなが彼女の周りに群がった。
「ねぇ、後で一人だけのサービスショットとツーショットほしい」
「いいけど、ちゃんとうちのクラスにも遊びに来てね」
なぜ自分たちのクラスでやらないのかとか、そんなことは誰も思わない。
他クラスのお祭り屋台の会場で始まった、身内だけの撮影会だ。
一般参加の人たちはまだ体育館や野外の出し物に引きつけられていて、校舎の中には少ない。
さーちゃんは大きな顔でニッと笑ったり、一緒に写る友達と合わせてポーズをとったり、とにかくはしゃいでいた。
「ねぇ、あたしも、あたしも!」
「いいよ。もも」
さーちゃんと、こんな風に過ごせるのが楽しい。
なんだかんだでいっちーも、さーちゃんをパシャパシャ撮りまくっている。
だって、かわいいものはかわいいんだから仕方がない。
「いやー。いいもん見させてもらったわ」
「うん。アレにしては上出来だった」
普段はあんまり仲良くないくせに、いっちーまでさーちゃんと写真撮ってるのに、あたしはバレないようにこっそり笑ってる。
チャンバラ対決まではまだ時間があるから、あたしたちはヨーヨー釣りの水槽の前で接客のお手伝い。
来てくれた小さな男の子に、彼が挑戦して取れなかった風船を、代わりにすくってプレゼントしてあげる。
「一花! やっと見つけたぁ~」
桃だ。金太郎と浦島もいる。
制服じゃないから少し幼く見える彼らの腰には、やっぱり鬼退治用の日本刀がぶら下がっていた。
「来なくていいって言ったのに……」
いっちーはぼそりとそうつぶやいたけど、きっと桃たちには聞こえていない。
桃は水槽をはさんであたしたちの前にしゃがみ込んだ。
「俺もヨーヨー釣りする」
いっちーはムッとしたままで、釣り紐を桃に渡した。
金太郎と浦島は教室内の他の屋台をのぞいている。
「どれが取りやすいとかある?」
「ない」
いっちーは相変わらずぶっきらぼうだけど、桃はうきうきしていた。
「ね、このあと時間ある? 金太郎と浦島も来てるからさ、ももちゃんも一緒に回ろうよ」
桃はあたしを見つめると、ニッと笑った。
その無邪気過ぎる笑顔に、もうなんて言っていいのか分かんない。
「いっちー、行っといでよ」
「あたしはいい。ももとじゃないと嫌だ」
あたしはため息をつく。
いっちーが本音のところでどう思ってるのかとか、あえて聞かないけど……。
「ももといっちーお疲れー。交代時間だからもう行って大丈夫だよー」
そう声をかけてくれたのは、気を利かしてくれたのか、そうじゃないのか。
でも交代の時間は本当だから仕方がない。
勝手に待ち構えている桃たちと一緒に、あたしといっちーは歩き出した。
こん棒と日本刀という劣等感、というよりも、あたしたちのサークルがこの桃たちによって支えられているメンバーだと、見に来ている人たちにそう思われたくなかった。
あたしといっちーは、桃たちを順番に案内して回る。
焼きそばを食べたり、ダーツしたり。
桃たちが楽しむ様子を、腕組みしながら後ろで見ていた。
「ね、次はどこ行く?」
「あぁ、そうだね……」
金太郎にそう言われて、あたしは困ってしまった。
次と言っても思いつく場所がもうない。
いっちーはどうやら、考えることも放棄してしまってるようだ。
浦島はそんなあたしたちを見てフッと笑った。
「いつもどこで昼飯とか食ってんの? 二人が普段、どこでどんなことをしてるのか知りたいな」
「そう! それ。そういうの」
桃は急に振り返って、笑顔を振りまく。
「教室の席とか、いつも通る廊下とか、階段の手すりとか、校庭の思い出の場所に行きたい。いつも、一花とももちゃんが見ている風景が見たい」
あたしはいっちーをチラリと観察する。
いっちーはムッとしたまま動かない。
仕方なくため息をついた。
「今は学祭だから、普段とは全然違うけど……」
あたしは桃に話してあげる。
いつもお弁当を食べてる場所、サッカーしてた校庭、保健室、いっちーとあたしがいつも……。
「いつも、練習はどこでやってんの?」
「練習? あぁ、鬼退治サークルの? それは……」
さーちゃんとむーちゃんが歩いている。
さーちゃんはかわいい白雪姫で、むーちゃんは赤ずきんの狼だ。
その二人が見知らぬ男二人に絡まれていた。
「ちょっ……。待って」
あたしがそう言ったら、桃たちもさーちゃんたちの様子に気づいた。
嫌がるむーちゃんに執拗に男が迫っている。
もう一人の男は、さーちゃんの髪に触れようと手を伸ばした。
「これ、カツラだから触んないでくれる?」
さーちゃんは自分で頭を取った。
正体を見せた金髪坊主のさーちゃんに、男たちの動きは止まる。
「あんたたち、邪魔だからどっか行ってくんない?」
ナンパ男たちは驚いて、さーちゃんを見下ろす。
彼らはバカみたいに笑い始めた。
「ちょ、なにその頭? それで個性とか思ってんの?」
「女の子でそれはかわいくないよ~。せっかくのおっぱいが台無し」
さーちゃんの右手が拳を固める。
彼女の半身が一歩後ろに下がった。
「もうちょっとさ、男ウケとか考えた方が……」
さーちゃんの目標が、ナンパ男の腹に定まった。
「この子たちの知り合い? そうじゃないなら、迷惑してると思うよ」
その手を先につかんだのは、桃だった。
桃はさーちゃんを見下ろす。
「ね、そうじゃない?」
「……。迷惑だね」
さーちゃんは握りしめていたその拳をほどいた。
あたしが飛びだそうとした肩を、抑えたのは金太郎だった。
浦島は桃のすぐ後ろに立つ。
「邪魔だと言われたんだ。早めに引いとけよ」
目つきが鋭く背も高い浦島に言われて、男たちはあっという間に姿を消す。
さーちゃんは桃たちを見あげてから、あたしといっちーもいることを確認した。
もう一度視線を桃たちに戻す。
「……。ありがとう」
さーちゃんはカツラをかぶり直した。
「さーちゃん、ありがとう! やーん、ちょっと怖かったぁ~」
むーちゃんはさーちゃんに抱きつく。
そんなむーちゃんぎゅっと抱きしめてから、さーちゃんは改めて桃たちを見た。
「ももといっちーの知り合い?」
「お、鬼退治仲間だから。貴重な!」
桃は何でか慌てふためいている。
浦島はカツラをかぶったさーちゃんをじっと見つめた。
「それは学祭用の衣装なのか?」
そう言った浦島を、さーちゃんは見上げる。
「どっちもよく似合っている」
「そうかな、そうでもないんじゃない」
彼女はため息をつく。
「ま、なんだっていいけどね。こんな格好するのも、今日だけだし」
桃と金太郎も、順番にさーちゃんを褒める。
「どっちだって可愛いよ!」
「髪と実際の顔の作りは無関係だって証明されたね」
きっとこれがさっきまでの教室みたいに、女の子だけの会話だったら、さーちゃんはニッと得意げに笑って、いつものように「まぁね。自分がかわいいの知ってるし」とか「今さら気づいた?」とか言ってたんだろうな。
「ももはこれから、その人たちと鬼退治?」
目も合わせずにそう言ったさーちゃんの、そんな言葉に傷つく。
あたしはそれに答えられない。
いっちーが代わりに答えた。
「ううん。この人たちは関係ないよ」
そのまま彼らを振り返る。
「私たちはこれから用事があるから、悪いけどこっからは自分たちで楽しんできて」
「分かった」
桃はにこにこと笑って、素直にいっちーに手を振った。
去りゆく三つの背に、あたしは腰のこん棒をぎゅっと握りしめる。
同じように見送るいっちーの横顔も、暗く沈んでいた。
「行こっか」
対決の時間は近い。
「そろそろ演武の時間だし」
「うん。気持ち切り替えて行こ」
いっちーの横顔はいつだって凜々しいのに、今はそれがなんだか寂しく見える。
あたしは身を引き締めた。
自分たちで出来ることは、やっぱり自分たちでやりたいしやらなくちゃいけない。
桃たちには悪いけど、この先は来てほしくないんだ。
そうやってやって来たチャンバラ会場には、誰もいなかった。
周囲に立ち並ぶ他の部活のブースには、それなりの人だかりが出来ているのに……。
そんな知っていたはずのことにまで、ちょっぴりショックを受ける。
「マジでもうみんな、鬼退治とか興味ないのかな」
あたしたちの立つ看板の横には、対戦者用のこん棒も用意していた。
腕には巡回中の正式な腕章もしたし、その下には『模擬中』の白い腕章もつけている。
これはちゃんとしたルールだ。
「……。こんなんで、新入部員集まるのかな」
いっちーからの返事はない。
ここでは外の世界みたいに、こん棒をぶら下げて腕組みするあたしたちを笑うような人間はいない。
だけど、だからといって全てを認め受け入れられているワケでもない。
「呼び込みしよう」
こんなこともあろうかと、あらかじめ借りていたプラスチックのメガホンが役に立った。
あたしは大声を張り上げる。
それでもやるって決めたことに、変わりはないのだから。
「鬼退治サークルで、挑戦者を受け付けておりまーす!」
いっちーも大声を張り上げた。
「ももかいっちーの、好きは方を選んでチャンバラ対決出来ますよー!」
呼び込みにも来場者の反応は薄い。
4歳くらいの女の子がこん棒に興味を持ってくれたけど、大きすぎて持ちきれなかった。
中学校の制服を着た男の子数人は、こん棒を手にするまではしてくれたけど、打ち合いまでは至らない。
30代くらいの女の人が一人、「私も昔、本当はやってみたかったのよねー」とか言いながら、話しかけて来てくれた。
数回カツカツと打ち合わせただけで、すぐに「ありがとう」と退散してしまう。
この企画は失敗だったのかな? そんな不安や焦りがピークに達した時だった。
「これは、誰が挑戦してもいいの?」
傘立てに立てかけたこん棒の、一本が引き抜かれる。
「じゃあ、相手してくれる?」
まっすぐにそれを構えたのは、桃だった。
腰には鬼退治専用の公式刀がぶら下がる。
「桃が?」
「ダメ?」
「ダメじゃないよ」
桃の目は、今までに見たこともないほど真剣だった。
あたしは腰のこん棒に手を置く。
「じゃあ、あたしが対戦をお願いしてもいいかな。いっちーの強さは知ってるんでしょ」
「そうだね。お互い手の内やクセを知ってる」
桃はこん棒を構えたまま、ゆっくりと間合いをとる。
こんなところで挑戦を受けて、引き下がれるハズがない。
「じゃ、お願いします」
「こちらこそ」
これがオフザケだとか一時の気の迷いだとか、そんな簡単なものじゃないってことを、知らしめないと。
あたしはこん棒を抜くタイミングを見計らっている。
きっと桃も踏み込むチャンスを見ている。
互いにじっと合わせた視線から、深く集中してゆく。
辺りが急に静かになった。
あたしは腰のこん棒を抜いた。
「ちょっと待ったぁっ!」
ガツンと3本のこん棒が重なり合う。
あたしと桃の間に割り込んできたのは、細木だった。
「何だよ、邪魔すんな!」
あたしは2本のこん棒を真横になぎ払う。
桃と細木は飛び退いた。
細木に向かって振り下ろしたそれは、ガツンと受け止められる。
「くっ……」
やっぱりパワーじゃ敵わない?
そう思った瞬間、細木はあっさりとこん棒を投げ捨てた。
「キミ! その腰の刀は?」
クソダサジャージの細木は、桃に向かって両腕を広げる。
「え? これは鬼退治の……」
「やっぱりそうだよね!」
細木は桃に近寄ると、ガッツリと桃の両手を握りしめた。
「僕はここで鬼退治サークルの顧問をしていてね。もしかして君はこの学校に興味があるのかな?」
「え? えぇ、まぁ……」
「そっか!」
細木が熱い。
「もしよかったら入学案内があるから僕がそこまで案内してあげよう。いやぜひ案内させてくれないか!」
桃からの返事を待たずして、細木はくるりと背を向けた。
「よし、じゃあ行こう!」
「細木!」
あたしはこん棒を振り上げる。
「本当は鬼退治になんか、興味ないくせに!」
振り下ろしたそれを、細木はパッと避ける。
そのまま落ちていたこん棒を拾い上げた。
構わす攻撃を仕掛けるあたしを、奴はガツンと受け止める。
「当たり前だ! 小田先生に言われてやってるだけだ!」
「じゃあなんで割り込んでくるんだよ!」
距離をとる。
間髪入れず踏み込んだあたしに、細木はこん棒で応戦する。
「誰がお前らなんかと鬼退治するか!」
刀身と刀身がぶつかり合う。
交差するそれを挟んで、あたしと細木はギリギリとにらみ合った。
「俺はなぁ、この学校が共学化して、男子が入ってくることだけを生きがいに頑張ってんだよ」
「何だよそれ……」
「お前こそ俺の邪魔をするな。鬼退治サークルが存続するなら、お前にとっても悪い話しじゃないだろ」
力で押し戻される。
あたしが後ろに引いたとたん、細木はやっぱりこん棒を投げ捨てパッと背を向けた。
「おぉ! よく見ればここにもお友達が!」
金太郎と浦島に駆け寄り、勝手に手を取るとぶんぶんと握手でそれを振り回す。
「君も! 君も! 名前は?」
「おいっ! 勝負のじゃなすんな!」
「お前こそ俺の勝負の邪魔すんな!」
細木の大声に、びっくりする。
コイツが今までにこんな大きな声を出したのを、聞いたことがない。
つーかこんな声出せたんだ。
細木は落ちていたこん棒をあたしに突きつけた。
「君たちはここで、サークル部員の勧誘を続けていなさい。僕は彼らを案内してくるから」
細木は持っていたこん棒を横にすると、ぐいぐい押しつけてくる。
その異様な気迫に押されて、あたしはついそれを受け取ってしまった。
「じゃ。余計な問題起こすなよ」
背を向けたとたん、突然の上機嫌に戻った細木は、桃たち三人を引き連れてどこかへ行ってしまった。
きっと転入案内のコーナーにでも行くんだろう。
「なんだあいつ!」
あたしは最高にイライラしていた。
普段の練習とかには、全く興味ないクセに!
校内で会っても目も合わさないクセに!
そもそも細木の顔を見るのは、学祭の許可をもらいに行って以来だ。
「いっちー! あたしと模擬戦しよう!」
彼女はすらりと腰のこん棒を抜いた。
あたしが打ちかかると、それに応じる。
いつも以上に熱が入った。
流暢な剣さばきに、結んだ彼女の長い髪がなびく。
ガツガツと腕に伝わる振動に、あたし自身がしびれていた。
何に対して腹が立つのか、どうしてこんなにイライラしているのか、そんなことを今だけは考えたくもない。
いっちーの繰り出す素早い剣さばきに、無心で合わせる。
繰り出される剣先を避け、また打ち付ける。
踏み込む動きに一切の無駄なんてない。
ぶつかっては離れ、離れてはまたぶつかり合う。
あたしはただただいっちーと打ち合っている。
一呼吸置いた時、ふいに拍手が沸き起こった。
いつの間にか辺りには人だかりが出来ていて、あたしたちを取り囲んでいた。
それに気づいて、急に恥ずかしくなる。
いっちーの顔も真っ赤だ。
「あ、ありがとうございました!」
二人で一礼をしてから、あわててその場を逃げ出した。
「なんか突然で、びっくりしちゃった」
「私も」
どこへ逃げ込もうか。
校舎内に駆け込んで、ようやく一息つく。
「なんか飲む?」
「う、うん。ももは?」
「あたしもなんか飲みたい」
目の前の教室で屋台が出ていた、よく分からないミックスジュースを買う。
正義のイエローダイヤと愛のレッドルビーってなんだ?
どうやら黄色系と赤系の市販のジュースをいくつかミックスしたものらしい。
「あ、知らない味だけど悪くないよ」
「うん。不味くはないね。むしろアレとアレを混ぜたらこんな感じになるんだって感じ」
見慣れた校内を行き交う沢山の見知らぬ人たちの前で、あたしたちは色んなものがごちゃ混ぜになった不思議なジュースを流し込む。
ようやく落ち着いたところで、生徒会本部役員のはーちゃんとしーちゃんに出くわした。
「もも!」
「どうしたの? そんなに慌てて」
はーとしーは慎重に辺りを見渡すと、小声でささやく。
「鬼が出たっぽい」
マジな感じの様子に、空気が凍りつく。
「ホントに?」
二人はうなずいた。
「先生たちも巡回してるけど、ももたちもお願いできるかな」
「分かった」
「いっちーと二人でね。絶対一人になっちゃダメだよ」
深く息を吸ってから、ゆっくりとそれを吐き出した。
あたしはこん棒の位置を確認する。
いっちーと目を合わせた。
「よし。行こう」
「任せろ」
ウォーミングアップは出来ている。
さっきまでの緊張とは、全く意味が違う。
あたしは巡回中の腕章に手を触れた。
この校内でそんなこと、絶対に許さない。
賑わう教室一つ一つを、丁寧に見て回る。
あたしの傷は疼いていなかった。
出入りの激しい学祭の最中で騒ぎ立てるわけにもいかず、笑顔を振りまきながら慎重に見て回る。
「あれ? どうしたの、二人とも」
さーちゃんとキジだ。
さーちゃんの頭が坊主に戻ってるから、今は休憩中らしい。
「鬼が入り込んだって」
声を潜めて、そうささやく。
さーちゃんとキジの顔色も変わった。
「その巡回中の腕章はもうないの? あるなら貸してくれない?」
キジが言う。
あたしはポケットから余っていたそれを取り出した。
「あるけど、いいの?」
「仕方ないじゃない。鬼が出たと聞いて、黙ってはいられない」
キジは腕に腕章を通した。
「ベルトとこん棒は?」
「体育科準備室横の倉庫に入ってる」
鍵も渡す。
さーちゃんは食べていたパイナップルを平らげた。
「しょうがないな」
その串をくわえたまま、ニッと笑った。
「協力してやんよ」
「腕章つけてれば、他の人も分かってくれると思う」
「了解」
さーちゃんとキジが味方になってくれるなら、心強い。
はーちゃんとしーちゃんだけでなく、あたしの見知らぬ生徒の腕にも『巡回中』の腕章がついている。
あたしはこん棒の柄を、もう一度しっかりと握りしめた。
「絶対にぶっ殺す」
イベント会場になっている校舎の中は全部見た。
あとは屋外会場だけだ。
一旦校舎の外に出る。
遠くに見かけたクソダサ青ジャージの細木も、腕に腕章をつけていた。
まぁ先生ならみんなつけてるか。
ぐるりと一周してみたけど、特に気になるところもない。
「もう一回校舎に戻って、トイレとか見て回る?」
いっちーはスマホをとりだした。
「あ、ダメだ。鬼検索アプリ、終わってたわ」
中庭から校舎を見上げた。
賑やかに飾り付けられた、いつもとは全く違う落ち着かない校内に、あたしの胸も騒ぐ。
「もう一回全体を回ろう」
鬼の気配を探っている。
嗅覚を働かせるように、感性を研ぎ澄ます。
人の多すぎるせいか、腕の傷はなにも教えてはくれない。
「一花! ももちゃん」
桃たちがやって来た。
彼らの顔にも緊張が見られる。
鬼退治の公認刀をぶら下げているんだ。
連絡は入ってるか。
「見つけた?」
桃は首を横に振った。
「こればっかりは、対面しないとどうしようもない」
時計を見上げる。
一般公開の時間は3時までだ。
間もなく2時半になろうとしていた。
「それまでに見つかるかな」
「出来れば何事もなく、退散してくれることを願うね」
巡回のため桃たちと別れる。
すぐに一般公開終了を知らせるアナウンスが入った。
それと同時に、人々の波は引き始める。
屋台や出し物の片付けも始まった。
本当にこのまま退いてくれるかな。
「後で被害の報告がなければいいんだけど」
いっちーのスマホに連絡が入った。
桃たちは学園を後にしたらしい。
在校生だけの後夜祭準備が慌ただしく始まっている。
疼かない傷に、あたしは少しほっとしている。
一般公開が終了して、在校生以外は全員が外に出た。
正門の高い鋼鉄門が閉じられるのを見届けると、ようやくその緊張を一段階解く。
腕章をつけた先生や生徒会メンバーも、全員がそこに集まっていた。
小田っちがあたしたちに声をかける。
「よっ。無事だったか?」
「せんせ~い!」
うっかり涙声になってしまった。
「もう大丈夫だ。俺が保証する」
あたしは鼻水をすする。
「だけどな、このこん棒ぶら下げている以上、いつでも気ぃ引き締めとけよ」
「はーい」
ぞろぞろと引き上げていく先生たちの間に、細木と堀川の姿もあった。
あたしはなぜだかそれに、またちょっとだけ不安と安心を覚える。
「もも。後夜祭行こう」
だけど、いっちーにも笑顔が戻ったし、ヘンな心配はさせたくない。
あたしは元気よくそれに笑顔を返した。
「うん! さーちゃんとキジも誘おう」
屋外の特設ステージに先生たちが上がった。
そこには細木の姿もあって、相変わらず生徒からヘンな笑いを奪っている。
湧き上がる会場のなかで、なんだか言葉にならない不安と緊張を抱えていることに、あたしは気づいた。
高校の二年生というヤツは、学祭が終わってしまえば本当にすることがない。
だらだら学校に通って部活やって友達とおやつ食べてるくらいしか、本当にすることがない。
あたしは教室で退屈を持て余していた。
「あーひまー」
もう今日の更新分の漫画は読んだし、ゲームのデイリーミッションもクリアしてしまった。
昼休み明けの体育からの国語。
これはもうそんな時間割を組んだ先生たちが悪い。
さっさと着替えて次の授業になんて、備えられるワケがない。
「だりーの極みだな」
いくら女子校といえども、運動の後の体臭は気になるのだ。
流れる汗を拭き取って、ボディケアの真っ最中。
「こないだ見つけたの。ブリリアントパールの香り~」
「もはや何の匂いか分からねぇ!」
とかいいながら、鼻を近づける。
さっぱりとした爽やかで上品な香りがする。
「高そうな匂いだな」
「ブリリアントパールだけに」
「ウケる」
高らかな笑い声が響く。
すぐにそれは教室中に連鎖して、愛用するフレグランスご披露大会の始まり。
「これ、なっちゃんが使ってるやつだって」
どこからか次のボトルが回ってくる。
「フレッシュローズガーデンの朝露の香り」
朝露に香りがあるかどうかはおいといて、確かにバラ園の朝っぽい。
あたしは少量を手に取って肌に滑らせる。
「これもいいよ」
今度はマンダリンブルーの深海の香り。
濃すぎるフルーハワイみたいな、甘い匂いがする。
さっきとは反対の腕につけてみた。
休み時間終了を告げるチャイムが鳴る。
廊下の向こうから、特徴のある足音が聞こえてきた。
その足音だけで何者かが分かる。
敵の接近を知らせる「ウグイス張り」の廊下をもじって「堀川張り」。
略して、ただ「バリ」と呼ばれている足音だ。
「バリ来たよ」
その瞬間、勢いよく教室の扉が開いた。
「ほら! いつまでもダラけてないで、さっさと席につく!」
秋も終わりの季節とはいえ、今日は暖かい。
冷暖房の行き届いた教室で、誰がまともに着替えなんかしてるかっつーの。
「さっさと服を着なさい! なんなの制服忘れてきたの? てゆーか、なによこの教室、あんたたち色々つけすぎ! 凄いよ今この部屋の匂い!」
あたしは手にあったボトルを見た。
「先生、これ『ボタニカルエンジェルハート』だって」
「は? 植物性天使の心? 意味不明だし」
とか言いつつも、やっぱり鼻先を近づける。
チョコレートのようでただのチョコレートではない、激烈に甘い匂いがする。
「この場合、ハートは『心』じゃなくて『気持ち』じゃない? 天使だし」
それを左の太股にすり込む。
揮発する成分で、そこだけが少しひんやりとした。
「やかましいわ。さっさと着替えなさい」
「国語の先生じゃん!」
堀川は教卓に置かれてあったボトルを手に取った。
「やだ、これ誰の? ちょっともらっていい?」
ソルティレモンバームの香りを手に取ると、堀川はその巨乳ではち切れんばかりのブラウスのボタンを外した。
「おぉっ!」
チラ見えするブラは、総レースの如何にも高そうなもの。
寄せて上げてしっかり胸の谷間を形成している。
「そのブラどこで買ったの? なんていうやつ?」
クラス中の視線が集まる。
「あんたたちには絶対に教えないから、安心して」
「なんだよそれー!」
「教室の窓全開にして、冷気を入れられたくなかったら、さっさと着替えなさい」
この時点でも、まだ誰一人としてまともに着替えていない。
「はーい。ここテストに出すよー」
堀川はそんな教師ならではの権力を行使しながら、無理矢理授業を始めた。
教科書のページを読み上げ始めた堀川に、その数字を聞き逃さないようあたしたちは声を潜め、必死にメモを取る。
「つーかソレ、結局テスト範囲全部じゃね?」
「全員席についた? じゃあ授業を始めます」
そんな日常を繰り返しながら、やがて冬になった。
冬にはサツマイモ星からやって来た、芋しか食べられないサツマイモ星人のように、焼き芋ばかりを食べて過ごす。
今日は特に寒くって、空に小雪が舞っていた。
「今日の芋もうまいな」
「焼き芋に外れはないよ」
演武場前の階段に並んで腰を下ろしたその目の前には、取り崩されたレンガの残骸が山となって積まれている。
それはこの学校のシンボルでもあった、あたしたちを取り囲むぐるり高い城壁で、もうあたしたちを守るその壁は存在しない。
取り壊されたチョコレート色のレンガの後には、細い針金のフェンスが取り付けられていた。
そのあみあみの向こうには、今まで見えなかった外の世界が見える。
冬のお日さまは信じられないくらいのスピードで沈んでいって、まだ明るくてもいいはずに時間にもう辺りは薄暗い。
「体動かした後の芋は、最高だね」
「間違いないね」
焼き芋の熱と吐く息とが混ざり合い白く濁る。
新学期が間近に迫っていた。
「……。やっぱ芋うまいな」
「最高だよ」
春が来た。