「うまくいくと思うの?」

「そんなの、やってみないと分かんない!」

 水平に掲げたこん棒の先に、二人の姿が並ぶ。

あたしはこんなところで諦めるわけにはいかない! 

踏み込む勢いで斬りかかる。

キジは体が柔らかく横移動が多い。

さーちゃんは高い筋力で上からのジャンプ攻撃とポンポンを繰り出す。

攻撃パターンが読めてきた。

あたしがキジを避けている間に、さーちゃんは飛び上がる。

それに気をとられればポンポンは襲い、態勢を立て直したキジがその隙に攻撃を仕掛ける。

あたしはボッコボコにされながらも、じっと反撃のチャンスを狙っていた。

いくら連携のとれた二人にだって、スキや油断は生じる。

二人の立ち位置が、微妙にずれた。

「そこだ!」

 渾身の一撃を繰り出す。

さーちゃんの上に振り下ろしたそれを、割り込んだキジの扇子が受け止めた。

一瞬の静寂。

肩での荒い呼吸が演武場に響いている。

もう動く力の残っていないあたしは、その場に崩れ落ちた。

そんなあたしを、さーちゃんとキジは見下ろす。

「ふん。しょうがないわね、譲ってあげるわよ」

「そうだね。やる気は見せてもらったし」

 二人はくるりと顔を合わせた。

「てゆーか、私たちやっぱり息ぴったりじゃない?」

「ホントそう思う! 私の相方は、やっぱりさーちゃんじゃないと無理みたい」

「私も!」

 両方の手の平を合わせ、互いの指を絡める。

「ね、キジ。やっぱりバレエ部とチア部、合体させない?」

「そうだよね。その方がより高みを目指していけると思う」

「やっぱり? キジならそう言ってくれると思った」

「当たり前じゃない。私たちの表現に対する情熱は、どこまでも自由なのよ!」

 演武場の扉が開く。

「さすがね、あなたたち!」

「それでこそよ!」

「バンテ先輩!」

「チアちゃん先輩!」

 そう呼ばれた二人は、さーちゃんとキジ、互いの手を取った。

「演武場が大変なことになってるっていうから、駆けつけてみれば……」

「あなたたち二人なら、きっと大丈夫だって信じてたわ」

「先輩!」

「もう仲直りしたんですか?」

「えぇ。手の届かない尊い推しも大切だけど、目の前にいるリアルな関係はもっと大切でしょ」

「いつまでもそんなことでいがみ合う私たちじゃないし」

 歓喜と賞賛の声が辺りを包む。

あたしは起き上がろうとして、痛みに崩れ落ちた。

演武場はすっかり幸せに包まれている。

「もも。お疲れさま」

 目の前に差し出された、いっちーの手をつかんだ。

彼女はこん棒とあたしを抱き上げる。

「行こう」

「うん」

 よかった。

さーちゃんとキジが仲直り出来て。

いっちーも笑ってくれたし。

あたしはその微笑みに安心する。

肩をかしてもらい、いっちーに引きずられるようにしながら立ち去る。

「もも!」

 さーちゃんの声だ。

「演武場、チア部の時間をあんたたちに譲る」

 あたしたちは振り返った。

「ありがとう。もものおかげで助かった」

「そうね。これからよろしくね」

 その横でキジも微笑む。

「うん!」

 入って来た時には、果てしなく気で重かった扉を、晴れやかな気持ちで後にする。

保健室に運び込まれたあたしに、いっちーは手当をしてくれた。

慣れた手つきで軟膏を塗り、絆創膏を貼ってくれる。

「もう。無茶ばっかりして。今度から私も戦うからね」

「うん。次は一緒に頼むわ」

 夕焼けの日差しに、ミルクティー色の茶色の髪が透けている。

しばらくして、演武場使用に関する合意書が生徒会に届けられた。
 生徒会書記のはーちゃんとしーちゃんに見てもらいながら、最後の書類を整える。

設立許可証と人員名簿、施設使用許可書とそれに関する合意書に、学校のルールは守るという同意書などなど……。

「あぁ! 面倒くせぇ!」

「もも、ここが最後の難関よ」

 はーとしーがいてくれなかったら、本当に何にもなってなかったと思う。

あたしが二人の指示通りにあれこれ書き物をしている間に、いっちーは必要なハンコをあちこち走り回ってもらってきてくれた。

「ねぇ、まだ終わんないの?」

「ももの書き間違いが多すぎるから。やり直しの手間さえなければ、もうちょっと……ね」

 はーちゃんの言葉にぐうの音も出ない。

「デジタル対応……」

「早く出来るといいよねー」

 しーちゃんは出来上がった書類をチェックしている。

「うん。これでいいんじゃない。しめきりギリギリで、よく間に合ったわね」

 いっちーと同時に、ようやく安堵のため息をつく。

「ありがとう二人とも。助かった」

 生徒会室から職員室へ向かう。

書類の窓口になっているのは、あの堀川だ。

「先生、書類揃いました」

 散らかった机を前に、眼鏡の奥からあたしたちを見上げる。

堀川は無表情のままそれを受け取った。

「そ。じゃ、見せてもらうわね」

 全く興味ない仕草丸出しで順番にそれをめくる。

そのままバサリと机に投げ出した。

「で?」

「で? なんすか」

 堀川の言葉に、あたしたちは首をかしげる。

「書類は揃ってるようね。だけど、これは顧問の小田先生から提出してもらわないと」

「そうなんですか?」

「普通そうでしょ」

 大量に積まれた何かのプリントの山の上に、あたしたちの書類は再び放り投げられる。

「だって、あんたたちは小田先生に主任顧問をお願いしたんだから」

 堀川はペン先でボリボリと頭を掻くと、こっちには全くの無関心な状態のまま、自分の仕事を始めてしまった。

落ち着きのない職員室のざわめきの中で、あたしたちはぽつんと取り残されている。

仕方なく投げ捨てられたそれを手に取った。

「じゃ、小田先生にお願いしてきます」

 職員室を出る。

その瞬間、いっちーは舌を鳴らした。

「ちっ、なにあの態度」

「まぁまぁ。だから小田っちに頼んだんだし」

 放課後の体育科準備室は、部活指導に抜けた先生たちばかりで閑散としていた。

どこを見渡しても誰一人見当たらない。

「すみませーん」

 空っぽの部屋に何を言っても返事はない。

当たり前か。

「えー、どうするいっちー」

「どうするも何も……」

 小田っちの机はどこだっけ。

誰もいない準備室におずおずと入っていくと、ひょいと机の下から青白い顔が飛び出した。

「うわっ!」

 細木だ。

「お、お前ら……。こん、こんあなところで、何やってんだ……」

 この細木というのは、男性の新米体育教師だ。

共学化に合わせて採用されたとか何とかいう噂はあるけど、とにかく女子高生が怖くて仕方がない。

「小田先生は?」

「い、いませんけど!」

 そんな青ざめた顔でブルブル震えながらにらみつけられても、こっちだって困る。

ここへ来てもう二、三年にはなると思うのに、未だにうちらには慣れないようだ。

「いや、いないと困るんだけど……」

 細木は正面のホワイトボードを指さした。

綴じ紐でぶら下げられたメモ用紙の束が見える。

「メモ。して残せば。しらんけど」

「……」

 あたしたちは、まだ遠く机の向こうにしゃがみ込んだままの細木を見下ろす。

じっと観察していたら、その姿は再びゆっくりと机の下に消えていった。

「なにあれ」

「さぁ」

 不思議な生き物もいたもんだ。

だけどまぁこんなところに、いつまでもいるわけにもいかない。
「ここにメモ書きして置いとけばいいよね」

「そうだね。分かってくれるっしょ」

 細木に教えられた連絡用メモを引きちぎる。

その印刷ミスの裏側に、『サークル設立の書類が出来ました。提出をお願いします。花田もも 犬山一花』と書いた。

「これでよし!」

 今日はもうこれで帰ろう。

あたしはいっちーと目を合わせ、ニッと微笑む。

いっちーも同じ笑顔を向けた。

「ね、アイス食べて帰ろう」

「うん」

 学校を出る。

まだまだ明るい空は気持ちよく晴れていて、爽やかな風も吹き抜ける。

いつものように駅前に陣取る駅バァは、今日も元気に暴言を吐く。

「まだそんなモン振り回しとったんか! 野蛮な女なんてもんはロクなもんじゃない。さっさとやめちまえぇ!」

 だけどそんなことも気にならないくらい、今は気分がいい。

「ね、もっとちゃんと練習メニューも考えよう」

「そうだね、今から相談しない?」

「いいね!」

 放課後のフードコートほど、あたしたちにふさわしい場所なんてこの世にはなくって、とにかくサークル活動の始まるのが、今は楽しみで楽しみで仕方がない。

夕方の混雑した小さな丸テーブルにいっちーと二人ノートを広げ、あれやこれやとこれからの活動計画を立てた。

 それから2、3日が過ぎた。

はーとしーの二人があたしたちに声をかける。

「ねぇ、サークル設立の書類、ちゃんと提出した?」

 昼休み、あたしはいっちーと協力してスマホゲームのラスボス攻略に忙しくて、今はそれどころじゃない。

「えぇ? こないだいっちーと一緒に小田っちんとこ持ってったよ」

「そうだけど、生徒会にまだ連絡が来てないよ」

「新サークルの設立書類って、そんなしょっちゅうあるもんなの?」

「いや、ないでしょ」

「ちょっとくらい時間かかんじゃないの? 校長の許可とかいるみたいだったし」

 だけどそれは提出期限を翌日に迎えても、まだ受理されていなかった。

はーとしーからの連絡を受け、あたしたちは職員室に乗り込む。

「どういうことですか!」

「どういうこともなにも、まだ書類だされてないんだもの、審査のしようがないじゃない」

「は?」

 堀川はすました顔で言い放つ。

「小田先生からなんにももらってなーい」

 あたしといっちーは速攻で体育科準備室へ向かった。

確かに提出をお願いしておいたはずなのに……。

無人の準備室の、その小田先生の机には、あたしが数日前に置いた状態そのままに書類とメモ書きが残されていた。

「ちょ、どういうこと?」

 遠くでガタリと音がする。

パッと振り返っても誰もいない。

あたしはいっちーとアイコンタクトを取る。

足音を忍ばせ音のした場所にそっと近寄ると、机の下をのぞき込んだ。

そこに隠れていた細木を捕まえる。

「小田先生は、いまどこにいますか!」

「い、いまはしっ……で……」

「はい?」

 声が小さすぎて、なんて言ってんのか目の前にいても聞こえない。

「……だから出張でいないって……」

「は?」

「指導員研修に行ってて、戻ってくるのは来週だし」

 おどおどと答え、震える指先でホワイトボードを指さした。

そこにはあたしたちがメモ書きを置いた日の二日前から、明後日土曜日までの二週間不在の文字があった。

「え……じゃあ、小田先生が学校に戻って来るのは……」

「つ、次の月曜日ですけど……」

「この書類、明日がしめきりなんですけど!」

「いや、そんなこと言われても……」

「今どこ!」

「き、キビヤマ市……」

「隣じゃん!」

 顧問の欄には、小田先生直筆のサインがある。

これで何とかならないものか。

もう一度職員室へ向かう。

「確かにサインはあるけど、肝心の小田先生に直接確認出来ないことには、承認出来ないでしょ」

「なんで?」

 その問いに、堀川は無言で見上げている。

「そ、そこは電話とか……」

 あたしたちがどれだけモジモジ言い訳しても、その表情は一切変わらない。

「期限はちゃんとあったはずよ。それに間に合わせることが出来ないようじゃ、所詮無理だったってことなんじゃない?」

 あたしは堀川を見下ろす。

怒りで全身が震えるのを、押さえつけるのも難しい。

「それは言いがかりみたいなもんじゃないんですか?」

「だってさ、それは本当に決まりなんだから、しょうがないじゃない。変なサークルをむやみやたらに乱立させないための決まりなんだから、当然でしょ」

 生徒手帳のページを見せられる。

そこには確かに、設立申請が受理されたのち、設立の許可を改めてとるようにと書かれてある。

「チャレンジは認める。だけど、実際に出来るかどうかは別ってことよ。期限は明日。どうするつもり?」

 あたしはない頭を使ってぐるぐる考える。

方法はいくつか思いつく。

だけど……。

職員室特有のざわめきのなか、堀川のついた軽すぎるため息と横を向いたキィという椅子の音が、あたしの何かを邪魔している。

堀川は生徒の提出したノートのチェックを始めていた。
「明日までに考えてきます」

 職員室を飛び出す。

「もも、どうするの!」

 廊下を走り出したあたしのうしろを、いっちーは追いかけてくる。

「いっそ堀川に土下座して、顧問頼もうかとも思ったけど、やめた」

 いっちーの顔色が曇る。

小田先生が顧問になってくれるのはかまわない。

だけど書類の提出が間に合わないっていうのなら、他の先生に今から頼めばいいと思った。

それで顧問欄に署名してもらえれば、そのまま出せばいいんだ。

「だけどやっぱり……」

「だけどなに?」

 全速力で教室の角を曲がり、外へ飛び出す。

「ベルトくれた小田っちがいい!」

「そりゃそうでしょ! それが出来ないから……」

「だったら泣きつく!」

「どうやって!」

 体育科準備室の扉を勢いよく開けた。

やっぱり机の下に隠れていた細木を引きずり出す。

「先生! 小田先生の携帯番号教えてください!」

 いくら出張中の研修中だからって、休み時間くらいはあるだろう。

携帯に学校からの履歴が残っていれば、折り返しの連絡くらいあるだろう。

先生のいる場所は学校から電車で30分圏内だ。

帰りにちょっと寄ってもらうくらいなら、頼めるかもしれない。

「生徒に先生のケー番教えるとか、そんなのダメに決まってんだろ! ありえねぇ!」

「じゃあ細木先生から連絡してください!」

「ヤだよ」

「なんで」

「なんでって……」

 そのタイミングで、都合よく細木の腰辺りから着信音が鳴り始める。

「先生。先生の携帯、鳴ってますよ」

「いま勤務中だし」

「学校や生徒からの重要な連絡だったらどうするんですか?」

 あたしといっちー、細木以外にここには誰もいない。

ふっと呼び出し音は鳴り止んだ。

「履歴、確認しないんですか?」

「お前らの前ではしない」

 コノ野郎! 

って思う間もなく、準備室の固定電話が鳴り始める。

「……先生。電話鳴ってるよ」

「それがどうした」

「他の体育の先生、細木先生がココにいるの、知ってますよ」

 返事はない。

あたしはさらに細木に迫る。

「電話、出ないと不味いんじゃないんですか? 留守番の仕事、サボってると思われますよ」

 それでも細木に動く気配はない。

三人しかいない空間に、呼び出し音は響き続ける。

「あー、先生、いまここにいないっていう設定なんだ。知らないよー。後で何か言われても……」

 電話が切れるかと思った瞬間、細木はパッと受話器を取り上げた。

「はい! 瑶林高校体育科準備室です!」

 すかさず耳を寄せる。

「うわぁ!」

 びっくりした細木は、受話器を落っことした。

「おう! 細木先生か、ちょっと頼み事があるんですけどね……」

「小田先生!」

 すぐさまそれを奪いとる。

細木は男性体育教師、女子高生には怖くて触れない。

いっちーは両手を大きく広げ、あたしと細木の間に立ち塞がった。

「おい、返せ!」

「先生! あの、お願いが……」

「おー花田か、ちょうどいいところに出てきたな。鬼退治の書類は出来たか?」

「出来ました!」

「よし。そのことよ。細木先生近くにいる?」

「います」

 いっちーの向こうでソイツはぶるぶる震えている。

あたしは受話器を突き出した。

「小田っちが代われって」

 細木は速攻であたしたちに背を向け、隠れるように丸く縮こまる。

こっちには絶対に会話を聞かれないようにするつもりだったらしいけど、それは一瞬で自分からなかったことにしていた。

「は? 嫌ですよそんなの!」

 初めて聞くような大声だったのに、それはすぐに声をひそめた。

小田っちと細木が揉めている。

何かぼそぼそと文句言っているのは分かるけど、その内容までは聞き取れない。
「ほ、ホントですか……絶対に約束ですよ……。男子の方の受け持ちは……えぇ、ま……!」

 突然切れたらしい電話に、細木はおもいっきり顔をしかめ受話器をにらんだ。

が、すぐに我に返って、あたしたちを振り返る。

細木は視線を横にずらすと、決まり悪そうにそっと受話器を戻した。

静寂が訪れる。

体育科準備室にはあたしたち三人しかいなくて、学校の高い城壁で守られた放課後の校庭はどこまでも穏やかで、差し込む夕日とのんきな女子高生たちの声が響いている。

ふいに、細木がサークルの書類を握りしめた。

「ちょ、何すんのよ!」

 全力で走り出す。

「待て!」

 準備室を飛び出した細木を、あたしといっちーは追いかけた。

「うるせー! 俺はこんなことをしたくてやってるわけじゃないんだ!」

 廊下を全力ダッシュする細木は、普段のビクつきた様子からは想像できないほど足が速い。

「くそっ! ムダに体育教師してやがる!」

 階段を駆け上がった。

向かっているのは職員室? 

細木はガンとそこへ飛び込むと、堀川の前にそれを叩きつけた。

「え、なに?」

「……小田先生からの伝言です。コレを必ず今日中に通すようにって……」

 細木は机に転がるペンを手に取った。

その場で自らの名前を顧問欄に書き殴る。

「はい。これで問題ないでしょう。よろしくお願いしますよ、堀川先生」

 細木の顔が怖い。

「絶対に、よろしくお願いします」

 堀川はくしゃくしゃになった紙を広げる。

その一枚一枚に恐る恐る目を通した。

その様子を細木は能面のような表情で見下ろしていた。

「た、確かに受理いたしました」

「ここにもサインを」

 細木は書類の一部を指さした。

「先生も同罪ですよ。この件には一緒に関わってもらいます」

 堀川は書類に視線を落とす。

細木の迫力に押されて、ペンを手に取った。

震える手で自らのサインを顧問欄に加える。

それを見届けた細木はボソリとつぶやいた。

「よかった。これで何とかなる」

 振り返った細木と目が合う。

ギロリと見下ろしたあたしたちの横をそのまま通り過ぎ、職員室から出て行く。

ふらふらとよろけながら立ち上がった堀川は、書類を校長決裁の箱に入れた。

「あなたたちの勝ちよ。おめでとう」

 それはそのまま、サークル創立が承認されたことを意味する。

「あ、ありがとうございました」

 職員室を出る。

あたしといっちーの背後で、ガラガラと扉の閉まる音が聞こえた。

「ねぇ、いっちー……」

「うん。もも……」

 あたしの手といっちーの手が重なった。

「やったー!」

「出来たー!」

 その場でぴょんぴょん飛び跳ねてぐるぐる回る。

あんまりはしゃぎすぎたから、通りかかった他の先生に注意された。

だけどそんなことも全く気にならない。

部室はないから自分たちの教室に駆け込む。

窓から外に向かって思い切り叫んだ。

「やったよー!」

「出来たねー!」

 あたしたちの鬼退治サークルは、ここに成立した。
 無事校長決裁も下り、ようやくサークルとしての活動が正式に認められた。

体育科準備室に細木から呼び出される。

その細木は腹の底から深く長く重いため息をついた。

「ねぇ、なんで俺?」

「知らないよ」

「それはうちらのセリフだっつーの」

 細木の顔はどこまでも暗く青く沈んでいる。

「サークルとして認められはしたけど、まだまだ課題は山積です。活動実績がないと、予算はつかないよ」

「予算っているの?」

「金とか別によくない?」

「お前らは二人だけで、一生この調子でやっていく気か」

「いや一生って」

「高校生何年やる気だよ」

 細木の周囲の空気だけは、いつだってどんよりと曇っている。

咳払いをした。

「予算がないと、せっかく新設が認められても続きません。来年3月、いや2月までに実績つくって予算つけてもらわないと、事実上の自然消滅だね。別に俺はそれでいいんだけど」

 あたしは青白いやせっぽちの細木をギロリと見下ろす。

いっちーだって負けてない。

細木はまた咳払いをした。

「先生風邪引いてんの?」

「顔色悪いのはいつもじゃね?」

「うちの学校にはかつて鬼退治部があったし、昔その顧問をやってたのが小田先生で、この学校の卒業生で元主将の堀川先生がいたから、スムーズに許可されたけど……」

「堀川先生が?」

「そんなことも知らなかったのかよ」

 また重く長いため息をつく。

「この先は本当にお前ら自身の問題だよ。部員もこんな確定幽霊部員ばっかでさ。本気で鬼の首一つでもとってこないと、冗談とか意地悪とかじゃなくて、マジで無理だから。そもそもお前ら、ホンモノの鬼を見たことあんのかよ? 鬼退治なんて言ってんの、何年前の話だ。今はもう時代が違うんだって」

 どうせコイツには分からないのだろう。

あたしといっちーの体についた傷の痛みを。

先生はまたため息をついた。

「なんにせよ、サークルのままじゃあやりにくいよ。学校の支援が少ないからね。部に昇格させたかったら、自分たちで頑張れ。俺は知らん。以上」

 突然呼び出されてそんなことを一方的にまくし立てられても、どうしろって言うんだ。

そもそもコイツにあれこれ言われる筋合いはない。

あたしはじっと細木を見下ろした。

「問題起こしても責任は取らないからな! こんなサークル、すぐにぶっ潰してやる!」

 なぜかキレられる。

「はーい。分かりましたー」

「じゃあ失礼しまーす」

 あたしといっちーは体育科準備室を出た。

分厚い扉で仕切られたから、もう大丈夫。

「なんなのアイツ?」

 いっちーはブツブツと文句を言い始めた。

「イヤなら顧問辞めるか黙って放っとけばいいのに。なんでイチイチ言ってくるかな」

「文句言ってもしょうがないよ」

 細木の言うことも一理はある。

「間違ったことは言ってないもん。自分たちでどうにかするしかないよ」

 今日は演武場を使える日じゃない。

結局自分たちの教室に戻る。

窓からは秋の空が高く澄んでいた。

「鬼退治行くか」

 気は重い。

いっちーの顔にも陰りが浮かぶ。

「鬼検索アプリ、もう今月末で運用が終わるんだよね。元々死んでたけど」

 書き込みは半年に一度あるかないかのペースになってしまっている。

それも出没情報などではなく、「頑張って鬼退治を続けましょう」的な励ましの言葉が並ぶだけ。

たまに降って湧いたように勢いだけいいのが入ってくるけど、タイムラインをちょっぴり荒らすくらいですぐに消えていなくなる。

「最近、いっちーの傷は痛んでる?」

「……そんなの、なくなるわけないじゃん」

 熱を少し下げた風は校舎の外を吹き抜ける。

「じゃ、行こっか。鬼退治」

 顔を上げると、彼女はニッと微笑んで見せた。

「よし。腕章つけて行こうぜ」

 それでもあたしたちは、まだ鬼はこの世界にいることを知っている。

小田っちが倉庫に保管していた段ボールから、かつて鬼退治巡回中につけていた腕章も見つけた。

それを制服の袖に通す。

「なんかカッコよくない?」

「うん! すっごくいい!」

 腰にはこん棒がぶら下がる。

先のことは気にしたって仕方がない。

いまやれることをやるしかないんだ。

正門に並んだあたしたちは、ビシッとそろって腕組みをする。

外をにらみつけた。

「よし、行くか!」

「おう!」
 スマホの地図アプリを起ち上げ、巡回ルートを話合いながら歩く。

放課後に解放される大きな門扉はその口を開いたままで、午後3時という時間はあたしたちが鬼退治をするには平和過ぎたみたいだ。

すれ違うオバさんは眉をひそめたりプッと吹き出したりで、小学生の群れはこっちを指さしてヤジを飛ばし続け、違う制服の女子高生は声を上げて笑った。

駅前に出ると、道行く人たちの視線をそれまで以上により多く集めているのが分かる。

人々はあたしたちをチラリと見てすぐに視線を外した。

駅バァは大声を上げる。

「まーたお前らは、悪いこと考えてるんか! なんじゃあ汚い目ぇしくさって!」

 あたしはため息をつく。

「駅バァは今日も元気だな」

「そんなはしたない薄汚い格好までして恥ずかしい! なにが鬼退治じゃバカモンが!」

 クスクスという笑い声がすぐ側から聞こえてくる。

大学生っぽい男女のクループが、チラチラと視線を投げかける。

「もも……」

 いっちーはあたしの肩に手を置いた。

「私は、私たちがこうやってここに立っていることに、意味のあるんだと思ってる」

「うん。あたしもそう思ってるよ」

 あたしより少し背の高いいっちーのミルクティー色の髪が、まっすぐさらさらと流れる。

「ね、もう少しまわ……」

 いっちーの視線がピタリと止まった。

駅の改札から広場へ降りてくる階段に、日本刀をぶら下げた男の子たちの姿が見える。

「一花」

 三人組の一人がいっちーに手を振った。

いっちーの眉がピクリと動く。

「本当に鬼退治始めたんだね」

 うれしそうに駆け寄ったこの男には見覚えがある。

「あ、自分が一花を誘ってくれた友達?」

「ももよ」

「俺も桃、桃太郎」

 にこっと笑った黒髪のその笑顔は、人なつっこいだけじゃなくて、かわいげまである。

「いっちーの道場の人?」

「そうだよ」

 金髪サラサラ肩までロングの王子キャラは金太郎で、一番背の高いつり目は浦島だって。

「いっちーの仲間か」

「なんでこんな所まで来たの?」

 彼女の問いかけに、桃は答える。

「気になったからだよ。一花が鬼退治始めたって言うし。確か前にもここで会ったよね。この辺りは俺たちの巡回地域なんだ」

 彼らの腰には正式な鬼退治専用の刀がぶら下がる。

「協会に認められてるってことだよね」

「もう絶滅危惧種って言われてるけど」

 桃は腰の刀に手を置いた。

「だけど、俺はそれでいいと思ってるよ。俺たちの出番がなくなることが、ゴールだと思ってるから」

 金太郎と浦島もうなずいた。

「瑶林は女子校でしょ。鬼は自分より弱い者に狙いをつけるからね。この周辺を警戒するのは、正解だと思う」

 桃といっちーは並んで歩き出す。

どうやら一緒に回ってくれるらしい。

金太郎と浦島はあたしを真ん中に挟んだ。

「桃はね、一花ちゃんが心配で来てたんだよ。この辺で不審者情報もあるし」

「アイツ、見たまんまの不器用だからな」

 ヘンな距離感を保ちながら、二人の背中に先導されるように歩く。

あたしは不思議と気分が重くなってくる。

「瑶林って、来年度から共学になるって本当?」

 金太郎は言った。

「だったら俺、転入したいな」

「新入生募集の案内が入試情報にでてたな」

 そんな噂は前からあった。

少子化の中、いつまでも女子校のままでいるのは難しい。

あたしより随分と背の高い二人を見上げる。

「どうして鬼退治始めたの?」

 そう尋ねたら、浦島が答えた。

「俺は、どんなものにも負けない強さが欲しかった。鬼、あんたも見たことあんだろ?」

 うなずくあたしに、浦島は前を向いたまま続ける。

「もう誰にも、俺自身にも、あんな思いはさせたくない」

 金太郎はあたしをのぞき込む。

「泣いている女の子って、ほっとけないでしょ? 俺にとっての理由はそれだけ。桃も浦ちゃんも真面目だからね」

 笑った金太郎のその声に、桃といっちーは振り返った。

「なに? 何の話し?」

「俺らが鬼退治をやってる理由!」

「そんなの決まってる。仲間を守りたいからだ」

 桃の真っ直ぐで何一つ曇りない姿に、あたしはくらくらする。

小学生の男の子たちが彼らを見上げた。

「鬼退治してんの? すっげぇかっこいい!」

「頑張ってください」

 彼らはペコリと頭を下げた。

すれ違うオバさんはにこっと微笑んで会釈をする。

サラリーマンのおじさんは道を譲った。

こうして並んで歩いているだけなのに、見ている人たちの視線はまるで違う。
「一花はこのあとどうするの?」

 正門前まで戻ってきた。

桃はいっちーに尋ねる。

「どうって……。一度学校に戻って……片付けとかあるから……」

「そっか」

 桃の指先はいっちーのブレザーの裾に触れると、それをそっと引いた。

「こん棒、よく似合ってる……から、よかった」

「先に帰っていいから」

「う、うん」

 開かれた境界線を乗り越える。

桃の指先はいっちーの制服から離された。

ここからはあたしたちの世界で、彼らは立ち入ることは出来ない。

手を振る彼らに別れを告げると、いっちーはうつむいたまま校内を進んだ。

その足取りは速い。

「ねぇ、いっちーさぁ……」

 あたしはそんな彼女の背中を見ながらこん棒を肩に担ぐ。

「いっちーがあたしに付き合ってくれるのはうれしいんだけど、無理はしなくていいよ」

 何でこのタイミングって言われれば、分からない。

だけど、一度は確認しておきたいことだったのかもしれない。

「いっちー、元々あんま乗り気でもなかったし。環境とか立場ってのもあるし……。気持ちは……、分かるから」

 いっちーは背を向けたまま歩き続ける。

だって別に、一緒に鬼退治するのはあたしじゃなくてもいいわけだし。

もっと強くていい人がいるのならば、あたしだってそっちの人と行動したい。

変な同情してるとか、つまんないとか、思われてるんじゃないかって、そんなことは思ってないけど……。

「あんたは別に……いや、変な意味じゃなくてだよ。ちゃんとした人がいるんだから、無理にこんなことしなくっても……。いっちーにはいっちーのやり方があっていいわけだし。それはそれで全然……。応援とか、誰かの助けをするってのも、それはそれで……」

 振り返った彼女の手は、あたしの胸ぐらを掴んだ。

「大人しく黙ってていいのかって、言ったのあんただし!」

 いっちーの表情に、あたしの傷がうずき始める。

「やっぱり私にはなにも出来ないって? やってもらった方がラク? 確かにそうだよね、奥に引っ込んで笑ってりゃいいんだし」

 あたしをドンと突き放した。

「ももって名前の奴って、やっぱマジでムカつく。あんたまでそんなこと言うんだったら、私はもうやめる」

 いっちーはこん棒を投げ捨てると、着けていたベルトまで地面に叩きつけた。

「ああいうのはイヤだって、ずっと思ってるのに! にこにこ笑って誰かの手伝いか手助けばかりで。誰も私自身の気持ちになんて興味なくて、ただ便利で邪魔にならないのがやっぱり一番だって?」

 振り返った彼女の目に涙が浮かぶ。

「それを分かってくれてるのは、ももだと思ってた。なのにやっぱりそんなふうに言うんだったら、無理」

「いっちー、ごめん!」

「私はそんな自分が嫌いで変えたいと思った」

「だからゴメンって!」

 伸ばした手は、すぐに振り払われた。

「来ないで。今日は一人で帰る」

 遠くなるいっちーの背を見送りながら、気がつけばあたしは声を上げて泣いていた。

わんわん大声で泣きながらいっちーの捨てたものを拾い、演武場に借りた倉庫まで独りで片付けに行く。

あんまり派手に泣き続けていたから、ジロジロ見られてたのは知ってるけど、今はそれどころじゃない。

いくら泣いても泣いても泣ききれなくて、どうしようもなく止まらなくなった声を張り上げて泣いている。
「……なんだよ、なにがあった?」

 さーちゃんとキジだ。

あたしはぐずぐずと鼻水をすすりながら訴えた。

「失敗したぁ! 絶対いっちーに嫌われたぁ!」

「あらまぁ」

 キジはポケットティッシュを出してあたしに渡してくれる。

それで思い切り鼻をかんだ。

「で、いっちーとどうしたって?」

「あたし、絶対に言っちゃダメなこと言った。今まで散々言われてきて、あたしが一番嫌だったのと同じことを、いっちーに言っちゃった!」

「なにそれ」

 さーちゃんのスマホが鳴る。

そこには男女5人で歩くさっきまでの隠し撮りの画像が送られていた。

「原因はコレ? まさか男関係でケンカしたの?」

 激しく首を横に振る。

いつまでたっても涙があふれてくる。

「違うの。いっちーにはちゃんと守ってくれる人たちがいるんだから、別に鬼退治とかしなくていいんじゃないのかって。あたしなんかといるより、この人たちと一緒の方がいいんじゃないかって」

「それは傷つけちゃったね」

 キジはため息をつく。

「きっと道場のなかで、いつも彼女が言われていたことよ。だからいっちーは、ずっと我慢してこん棒を握らずにいたのに」

「ももから『いらない』って言われたのと同じじゃない」

 いっちーは強いけど女の子だからって、いつも一番後ろにやられることが、座って見ているだけにされることが、なによりも苦しかったのに……。

「あたしもそういうの、一番嫌い」

 自分より他に、もっと強くて上手い人がいたって、やりたいものはやりたいし、ヘタでもヘタなりに頑張りたい。

どんなに笑われたってバカにされたって、あきらめきれないものはあきらめられない。

「だからね、鬼退治サークル作ったの」

「うん。出来たじゃない」

「おめでとう。活動はこれからでしょ」

 鼻水が止まらない。

「ちゃんと謝ったら、許してくれるかな」

 いっちーを探しに行こう。

もう帰っちゃったかな。

また一緒にアイス食べにいきたい。

「電話してみたら?」

 さーちゃんに言われて、スマホを取り出す。

かけた電話はすぐにつながった。

「いっちー……あたしね……」

「もも」

 いっちーの声がする。

「いまどこにいるの?」

「蔵前公園」

 すぐ近くの公園だ。

「今から行ってもいい?」

「うん」

 それだけで通信はプツリと切れた。

「やっぱり怒ってるのかな」

 あたしはまた泣きそうな声になる。

「ねぇ、一緒についてきてくんない?」

 あたしのお願いに、さーちゃんとキジは顔を見合わせた。

「もう、仕方ないな」

 キジの方がさーちゃんより先に立ち上がった。

「もも。鼻をかんだ後のティッシュはちゃんと持ち帰って」

 あたしはいっちーのこん棒とベルトを手にとる。

「これ、持っていってもいいかな」

「いいんじゃない」

 さーちゃんはため息をついた。

「全く。それでなんであんたが泣いてんのよ」

 さーちゃんは体育科倉庫に押し込められていたこん棒を手にした。

「で、どうやってつけんの? これ」

 段ボールの山にあったベルトを装着し、腕に腕章も通す。

「さーちゃん、いいの?」

「実はコレ、ちょっといいなーって思ってたんだよね」

 彼女の制服に、校章入りのベルトとこん棒がぶら下がった。

坊主頭の彼女は腰に手を当て、くるりと回ってから意気込んで見せる。

「カッコよくない?」

「うん。いいと思う」

 キジはさーちゃんの制服のしわを伸ばし、さらにそれを整えた。

あたしは泣きながらもう一度鼻をかむ。

「いっちーを迎えに行こう」