「なんで?」

 堀川は最高にイライラしている。

「集めたじゃん」

「やり直し!」

 ムッとしたあたしに、堀川は言った。

「創立時のメンバーは専属部員が必要です! こんなの、あんたら以外全員他の部活入ってるじゃない」

 まぁそう言われればそうだけど、そんな話は聞いたことがない。

「でも、他にも掛け持ちしてる子なんて、普通にいるし」

「起ち上げの時は別なの!」

「んだよ、それ」

 堀川は鼻息荒く腕を組む。

「とにかく、このメンバーでは認められません! 名簿は処分します」

 目の前でみんなの名前がシュレッダーにかけられる。

せっかくの思いが、小刻みに震えながら機械に消えてゆく。

「もっと真面目にやってちょうだい」

 結局、振り出しに戻された。

あたしはイラついたまま芝生の上に寝転がる。

「くっそ、なんだよアイツ! めっちゃ腹立つんだけど」

 いっちーは渡された紙切れをじっと眺めていた。

「もも。これよく見たらさ、メンバー集めただけじゃダメだよ。設備とか備品の使用許可もとらないといけないから、そう簡単にはいかないよ。演武場使いたかったら、バレエ部とチア部に使用時間の交渉しないと」

「あいつらか……」

 バレエ部とチア部は、めちゃくちゃ仲が悪いので有名だ。

伝統ある女子校には、踊る方のバレエ部がなければいけないらしい。

いや、しらんけど。

学校創立時から存在するというバレエ部はうちの名物といえば聞こえはいいが、いまや名前が残されているだけの、幽霊部員受け入れ箱だ。

 そのバレエ部に対抗するようにチアリーディング部が出来たらしいが、これもまた遙か昔の話し。

チア部にいたっては何をやっているのか分からない、正体不明の集団に成り下がっている。

「不定期で軽音と演劇部も割り込んでるよ。そこにうちらも入り込める?」

「あー」

 体育館はガチな運動部が占拠しているから絶対に無理だし、吹奏楽部みたいに廊下で筋トレ……は、主な活動場所として音楽室があるから許されている特別使用許可だ。

「鬼退治」のメインで使用するのが通常教室というのは、言い訳だとしても難しい。

「どっか他に練習出来そうな場所あるかな?」

 今いるところは校舎と壁の隙間みたいなところで、屋根もない。

「こん棒も何本かは欲しいし、ロッカーとかもあったらいいよね」

「それも創立許可が下りないことにはどうにも……」

 ここでウダウダ考えていても仕方がない。

あたしはヨッっと立ち上がった。

「とりあえず、活動できそうな場所を校内に探してみよっか」

 いっちーと2人、放課後の校内を巡回してみる。

正門前の広場では、運動場の割り当て曜日から外れた野球部がキャッチボールをしているし、その校庭ではサッカー部が走り回っている。

テニスコートはテニス部だけのものだし、競争率の激しい体育館の使用日程に、割り込む隙なんて見当たらない。

中庭と校内に残っているわずかな隙間に至っては、完全に陸上部が占拠していた。

「うちの学校って、こんなに部活盛んだったっけ」

 ついそんな言葉を漏らす。

いっちーもため息をついた。

「まぁね。あたしも陸部に誘われたことあったし……」

 あたしもいっちーも、運動神経は悪い方ではない。

うろちょろしてたら、「入部するなら歓迎するよー」とか言われてますます困る。

「『鬼退治』って言うと、全部譲らないといけないと思ってるからさ。部活やってる子には嫌がられてるかもね」

「あぁ、それか」

 ため息をつく。

『鬼退治をしようとする者は必要と認められた場合他に優先される』か。

あたしは持っていたこん棒を肩に担いだ。

「仕方ないよ。後から始めようってんだから、こんなもんだよ」

 体育館横にある体育準備室が見えた。

そこにはうちの体育教師5人の席がおかれている。

今は放課後部活の時間で、中には誰も見当たらない。

「おぉ。こん棒担いで相変わらず威勢がいいのぉ」

 小田ティーチャーだ。

体育科所属の最高齢先生。

ぽっちゃり体型の白髪のおじいちゃんは、体育準備室横の花壇のお手入れをしている以外に、他で姿を見たことはない。
「小田せんせー。聞いてよー」

「なんじゃこん棒担いで。ベルトはどうした?」

 おじいちゃん先生は基本的に、自分の興味があることにしか興味はない。

「鬼退治サークル作りたいんだけどさー。メンバーが集まんないのー」

「は? 鬼退治か。よし。ちょっとそこで待ってろ」

 腰にぶら下げた鍵の束から、体育科倉庫を開ける。

「うちにも昔は鬼退治部があってなぁ。それがまだ残っとるんじゃあ」

 小田ティーチャーが取り出したのは、校章入りの立派なベルトだった。

「ホレ、お前らにやる」

「マジで! いいの?」

「かまんじゃろ」

 そう言って先生は笑った。

あたしといっちーはそそくさとそれを装備する。

「昔はどこの学校にもあったんだけどなぁ。今はもう流行らんからなぁ」

「めっちゃカッコよ!」

「先生ありがとう!」

 やった。

本気でうれしい。

まさかこの学校の校章入りベルトが存在するなんて、思いもしなかった。

「サークルじゃなくて正式な部活みたい!」

「やばい、やる気出てきた」

 黒革のしっかりとしたベルトは、少し古風なデザインが逆に今っぽくてとてもよい。

何より制服によく似合う。

「おぉ、よく似合うな。頑張れよ」

「小田先生ありがとう!」

 あたしといっちーは走り出す。

何かもうこれだけで満足しちゃいそう。

職員室前の廊下にある、大きな鏡の前に立つ。

あれこれポーズをとって騒いでいたら、堀川が顔を出した。

「……。なにそれ。どっから持ってきたのよ」

「小田先生からもらった」

「まだいっぱい体育科倉庫にあったよ」

 堀川の視線は、じっと制服の上のベルトに注がれる。

深く息を吐いてから、眉間を押さえた。

「ま、いいわ。メンバーは集まったの? どうせまだなんでしょ。やれるもんならやってみなさい」

 堀川はあたしたちを鏡の前から追いやると、どこかへ行ってしまった。

「なんだ? アレ」

「感じワル」

 仕方なく教室に戻る。

堀川から渡されたサークル新規起ち上げ条件を、じっくりと読み返した。

「なんの部活にもサークルにも所属してない子って、知ってる?」

「完全な帰宅部ってことでしょ。そういう子って、大概他に名義貸したりしてるからなぁ」

「ねぇ。もも待って」

 いっちーが紙面を指さした。

「コレ。顧問の予定が堀川になってるよ」

「うっそ。それはない」

 堀川自身は別に好きでも嫌いでもなんともないけど、顧問となると話は別だ。

「誰が決めた?」

「校長? それとも堀川自身?」

 顔を見合わせる。

「確か顧問の先生って、こっちから頼めば誰でもよかったよね」

 生まれて初めて高校の生徒手帳、校則のページを開く。

「ほら、やっぱそうだ」

「登録許可書、堀川に内緒で新しいのもらってこよう」

 いま持っている書類は、あたしの机に突っ込んだ。

顧問のアテは決まっている。

生徒手帳によると、部活やサークルの管理は生徒会の所属になっている。

生徒会室なんて学校のどこにあるのか知らなかったけど、それも生徒手帳に書いてあった。

とても便利な手帳だ。

「失礼します」

 返事がして中に入る。

はーとしーの双子がいた。

「おいっす」

「ももじゃん。どうしたの?」

 あたしは事情を説明した。

「あぁ、そういうことなら、新しい書類あげる」

「で、メンバーは集まりそうなの?」

「掛け持ちはダメって言われて、ちょっと苦戦してる」

「掛け持ち?」

 はーとしーは同時に首をかしげた。

「そんな規則はないと思ったけど」

 はーちゃんは生徒会室の棚から、何かの冊子を取り出した。

「顧問の先生は生徒自身の依頼と許可でオッケーだし、メンバーも5人は必要だけど、掛け持ちかどうかは規定にないよ。主な活動場所の確保は必要だけど」

「ホントに? じゃあなんで堀川は、あんなことを言ったんだろ」

「さぁね」

「邪魔するつもり?」

 はーちゃんからしーちゃんの手に渡った何かの冊子は、ポンと元の位置に戻ってその棚の扉は閉じられる。

「つーかこのベルトなに? どうしたの?」

「めっちゃカッコイイ」

 あたしはいっちーと目を合わせ、ニッと微笑む。

「まぁね」

「小田っちからもらったんだ」

「いいね!」

「うん、いい!」

 はーとしーも一緒に笑う。

「頑張って」

「うまくいきますように!」

 新しい書類を手にしてしまえば、なんの問題ない。

小田っちを落とし込む計画も完璧だ。

あたしたちは廊下を猛ダッシュして、まっすぐに体育科倉庫へ向かう。

小田っちはやっぱり花壇の草むしりをしていた。

「先生! あたしたちの顧問になってください!」

 麦わら帽子のおじいちゃん先生は、くるりと振り返る。

「そりゃ知っとるぞ。確か顧問に国語の堀川先生がなっとったじゃろが」

「あたしたちは、先生に顧問になってほしいんです!」

 小田っちはじっとあたしたちを見つめる。

いっちーは真っ赤な顔をして、もじもじと秘密兵器を取り出した。

「あ、あの……これ。入部希望者のみんなから、やっぱり小田先生に顧問やってほしいって、寄せ書きしたんです」

 さっき購買部で買ってきたばかりの色紙だ。

名前を借りるついでに、こっちも書いてもらった。

製作時間正味15分の即席アイテム。

それを見た小田っちの顔がビシッと強ばる。

「先生、やっぱりみんな、小田先生がいいよねって」

「堀川先生も素敵なんですけど、いつもお世話になってる小田先生の方が、頼もしいかなって……」

「あ、あの……迷惑でしたか?」

 小田っちは動かない。

失敗だったか? 

そう思った瞬間、その頬に涙が流れた。

「……そうか。分かった。お前らがそんなに言うなら、ワシが顧問になっちゃる」

 しわしわの手で豪快に涙を拭う。

「しっかり頑張れよ!」

 やった! おだっちのピカピカ笑顔だ!

「はい!」

「全部書類が埋まったら、最後に持って来い。ワシがサインして提出しておくからな」

 笑顔で手を振られる。

あたしたちも思いっきり手を振った。

先生の姿が視界から消え、息を止めてワザと真っ赤にしていた顔から、ようやく深呼吸する。

「ちっ、やっぱ活動場所の確保まではしてくれないか」

「仕方ないね。ヘンに口出しされるよりかはマシだと思わないと」

 いっちーと目を合わせる。

勝負はこれからだ。
 日を改めて、もう一度校内を見て回る。

鬼退治サークルの活動場所としてふさわしいのは、どう考えても演武場以外ありえない。

「やっぱここか」

「だよね」

 体育館横に立つ円形に近い建物。

正面には昔書道の先生が書いたという看板が掲げられる。

「どうする?」

「聞かれても」

 あたしの隣には、いっちーが立ってくれている。

方法はこれしか思いつかない。

チア部とバレエ部が仲悪いとか、考えてみればうちらとは何の関係もないし。

体育館半分くらいの広さの、さほど大きくはない演武場だ。

「行くか」

「だね」

 あたしは演武場正面の扉を突き破った。

「たのもう!」

 入り込んだそこには、バレエ部とチア部の部員ほぼ全員が集合していた。

両者対面しギリギリとにらみ合う。

「うっ……」

 その緊迫した雰囲気に、あたしといっちーは固まった。

「あんたたちが最初にこんなことしたんでしょう!」

「どうして自分たちのせいにできるの?」

「話し合って決めたことくらい、ちゃんと守ってほしいんだけど!」

 今にも暴動に発展しそうな勢いだ。

「あ、あの……。スミマセン……」

「何の用?」

 チアの2年生だ。

「もも。もしかしてあんた、またここを借りたいって言ってくるんじゃないでしょうね」

 バレエ部の方からも声がかかる。

「悪いんだけど、今そんなことに構ってられる余裕ないから」

「あ……えっと……」

 その最悪過ぎる雰囲気に、あたしといっちーは完全に怖じ気づいた。

「し、失礼しましたぁ!」

 即座に退散。扉が閉まったとたん、その向こうから罵詈雑言の応酬が響き渡る。

これは予想以上に酷い。

困った。

「話合いどころじゃないじゃん」

 扉を見ながら、いっちーもため息をつく。

「誰かチアかバレエ部に知り合いいない? どうなっているのか、もっと正確な状況を把握しないと……」

 校庭からこちらに走ってくる金髪坊主頭が見えた。

階段にさしかかったところで、あたしたちを見上げる。

「何?」

「さーちゃん、チア部だっけ?」

「チアの部長」

 そう言って、あたしたちがさっき閉め出されたばかりの扉に手をかける。

「あぁ……」

 あたしといっちーから絶望のため息が漏れた。

そんなあたしたちをさーちゃんはにらみつける。

「何よ、見学? 鬼退治はどうした」

 フンと鼻息を残して、乱闘騒ぎの続く渦中へと消えた。

とたんに中が静まり返る。

「あー」

 状況は非常によろしくない。

「どうする?」

「今日のところは一旦引こう」

「いいの?」

「作戦立てた方がいいよ。このまま突っ込んでも、いいことないだろうし」

「……。分かった」

 それからいつもの校舎裏に戻って、2人で剣の練習をする。

完全下校を知らせるチャイムが鳴り、あたしたちは外へ出た。

 快速の止まらない小さな駅前広場でも、夕方の帰宅ラッシュ帯にはそれなりの人手がある。

ビルの谷間に傾いた太陽は、徐々に赤みを帯び始めた。

いっちーはため息をつく。

「で、どうするよ、もも」

「向こうの事情がどうなってんのかは分かんないけど、それとこれとは話が別だから。あたしたちはあたしたちのことをやんないと」

 いっちーと今後の方針について話し合う。

まずは最終目標をはっきりさせること。

その実現のためには、手段を選ばないこと。

たとえどんな行動を互いにとったとしても、それは全て鬼退治サークル設立のためだと信じること。

「あんたたち、なにやってんの?」

 さーちゃんの声がして、振り返る。

「いま帰り?」

 彼女はためいきをついた。

「こんなところで制服に木刀ぶら下げてた厳つい女子高生同士が、腕組みしながらなにを真剣に話し合ってんのよ」

 あたしは覚悟を決める。

「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 バレエ部とチア部のいざこざについて聞いてみる。

「……。別に、たいした理由じゃないんだけどね……」

 金髪坊主のさーちゃんは、駅前花壇の縁石に腰を掛けた。

あたしといっちーもその隣に座る。

「昔は仲良くてさ。そもそもチアもバレエ部もたいした活動なんてしてないじゃない? 互いに行ったり来たりしながら、何となく仲良くやってたんだよね。練習も今みたいに別々にしてなくて、バレエ部とチア部とには分かれてるけど、ずっと一緒に使ってて……」

 昨年現役を引退した今の3年生部員は、特にバレエ部とチア部で仲がよかった。

両者の混成チームでチア部最後の大会に出場し、有終の美を飾るはずだった。

その試合中、最後の見所となる総決算のタワーが崩れ落ち、助っ人参加していたバレエ部のエースは足を捻挫してしまう。

そのためにバレエ部は目指していた最後の大会に出られず、それぞれの活動は終了してしまった。

「大変なことじゃん!」

 いっちーが口を開いた。

「そりゃ根に持つって」

「問題はそこからよ」

 さーちゃんは続ける。

「何だかんだ言ってもね、うちの学校って基本的に、部活も何もかも生徒任せじゃない? 強いところは強いけど、バレエ部とチア部ってねぇ……ほら、それなりだから」

 存続すら危ういバレエ部と、部員数減少の一途をたどるチア部。

「その一件で決裂したの?」

「逆よ、逆」

 怪我を負わせてしまったチア部部長は部の解散を決めた。

部員たちも納得し、チア部はそのまま解散、バレエ部に全てを明け渡す予定だった。

「ち。そうしてくれればよかったのに」

 あたしは舌打ちをする。

いっちーは両目に思いっきり感動の涙を浮かべ、さーちゃんの話に聞き入っていた。

「そんなことは許されないって、去年のバレエ部部長がチア部部長を説得して、それで円満解決よ。最後の打ち上げは合同でやってすっごい盛り上がって、今後も仲良くやっていきましょうって……」

 暗く沈み込むさーちゃんの横顔に、あたしはため息をつく。

「で、結局なにが問題なの?」

「その打ち上げはね、カラオケボックスの大部屋借りてやったのよ。そしたら人気アイドルの推し被りが発覚して……」

「は?」

 前年度バレエ部部長の万上さんことバンジョウ先輩と、チア部前部長の千愛ちゃんことチア先輩が、絶対同担拒否の推し被りだったことが発覚した。

「もう最悪よ。感動のお別れ会のはずが、2人のカラオケバトルから殴り合いの喧嘩にまで発展しちゃって……」

 さーちゃんは大きくため息をついた。

「私ももう、どうしていいか分かんない。2人とも大好きだしそれぞれの部員はみんなそれぞれの部長側についてるし……。『愛』ってホント罪だよね……」

「なるほど。状況はよぉーく理解した」

 あたしはスカートの裾を振り払い立ち上がる。

ギリギリと奥歯をかみしめた。

「任しとけ。そんなのあたしがガッツリあっさり綺麗さっぱり解決してやんよ!」

「そう簡単にはいかない」

 さーちゃんも立ち上がる。

「うちらの問題はうちらで片をつける。そういうもんでしょ」

「今ですらどうにもなってないのに、どうすんのよ」

「それでも、どうにか……する……」

 珍しく、おどおどと彼女の視線は下に下がった。

さーちゃんはとぼとぼと歩き出す。

その背中はただ見送るしか出来なくって、あたしは隣にいるいっちーに向かって言った。

「コレを何とかしてみるか」

「そうだね。チアの部長がさーちゃんなら、バレエ部の部長も当たってみよう」
 翌日、生徒会のはーとしーに尋ねてみれば、そのバレエ部新部長は三組の雉沼さんだった。

三組にはさーちゃんもいる。

「キジ、呼び出したりしてゴメンね」

 一年の時にいっちーとキジは同じクラスだったらしい。

いっちーの呼び出しに応じたキジは、昼休みの中庭にやって来た。

「あら。珍しいこともあるもんだと思ってたら、なんの用?」

 キジと呼ばれた彼女は長い黒髪を泳がせ、仕草までとっても優雅で気品がある。

スラリと背の高いいっちーと彼女が並ぶと、長髪の騎士とどっかのお姫さまみたいだ。

「あのさ、バレエ部のことなんだけど……」

 一通り事情を説明した後で、キジはため息をついた。

「で、私たちのこととあなたたちになんの関係があるの?」

 キジは切れ長の目を冷たく光らせる。

「鬼退治サークルを作るのはどうぞご自由に。だけどそれとこれとは話しが別よ」

 彼女は立ち上がる。

「この話しはさーちゃんにも?」

 あたしはゴクリと唾を飲み込む。

この二人の関係をコントロールしたいなら、どうすればいい? 

だけどこんなところで、つまらないウソをついても仕方がない。

「さーちゃんから聞いた。彼女も何とかしたいと思ってる」

「そう」

 キジの艶やかな黒髪が揺れる。

「申し訳ないけど、あなたたちの助けはいらない」

 昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。

去りゆく彼女の背中に、昨日見たさーちゃんの寂しそうな背中が重なる。

あたしは覚悟を決める。

やっぱりなんとかしなくちゃ。

それは鬼退治のためってだけじゃない。

放課後になった。

「頼もう!」

 勢いよく演武場の扉を開けた。

さーちゃんとキジはそれぞれの仲間を引き連れ、やっぱり向かい合っている。

「来たね、もも!」

 さーちゃんは手刀を構えた。

「ここにあんたたちの居場所はないって言ったよね!」

 その手にはチアのポンポンが握られている。

キジは派手なバレエ用の扇子を手にしていた。

「口出しは無用って、確かに伝えたはずだけど?」

「くっだらない喧嘩してるくらいなら、うちらに場所譲れ!」

「悪いけど、それは無理!」

 あたしは腰のこん棒に手を置いた。

さーちゃんの高いジャンプからの跳び蹴り。

チア部部長の彼女は、身軽さが最大の武器だ。

着地と同時に床を擦るような素早いリーチからの回し蹴り。

飛び退いたあたしの落下予測地点に、渾身の拳を突く。

その拳を避けたはずのあたしの頬を、ポンポンのヒダがかすめた。

レインボーラメのそれは薄い刃のように肌を裂く。

空中で自在に弧を描くポンポンは、さーちゃんの手に戻った。

「キジ、ここは一時休戦ってことで」

「そうね。まずはももたちをなんとかしないと」

 元々は仲良く同じチームを組んでいた相手同士だ。

手強いのは分かってる。

「どっからでもかかって来い!」

 さーちゃんは両手に大きくポンポンを掲げ大の字ポーズを決める。

その前でキジはバレエダンサーらしく扇子を片手にしなやかなポーズと取った。

「邪魔はさせない!」

 腰のこん棒を抜いた。

「望むところよ!」

 あたしが踏み込むと同時に、2つの影は動いた。

ポンポンは手裏剣のように交錯する。

その1つをたたき落とした。

その隙をついた死角からキジの足蹴りが伸びる。

あたしは床にこん棒突き、それを支点に真上に伸び上がった。

ポンポンは空を斬る。

手の甲に赤い血筋が走った。
「やるわね」

 着地したあたしは、こん棒を握る手の甲を舐める。

2対1では分が悪い。

「わたしも手伝う」

 いっちーがこん棒の柄に手をかけた。

「ダメよ。これはあたし1人でやる。だから見てて」

 優雅かつ無駄な動きのないバレエ部キジは、ルルヴェのつま先立ちから、右手を挙げ左膝を折り曲げたパッセの姿勢へ変わった。

手足を水平に伸ばしたアラベスクからの、腰を落とした前屈レヴェランスで落ちていたポンポンを拾う。

それを高く空中に放り投げた。

受け取ったさーちゃんは、そのポンポン二つを縦にして上下に激しく振る。

「さぁ、今度はどこへ飛ばそうか」

 キジの軽やかなステップがスタッカートを刻む。

あたしはこん棒を正眼に構え、ゆっくりと間合いをとる。

「鬼退治サークルを作りたいの。場所を貸してほしい」

「鬼退治なんて、特別にサークル作るほどのことでもないって言ったよね」

 さーちゃんが動いた。

両手を床につき倒立からの跳び蹴り。

すかさずポンポンは舞う。

「私たちはいつだって、鬼と戦ってる」

 飛び交うポンポンの影でキジは動く。

遮られた視界で、その動きは読みにくい。

「こん棒ぶら下げてる人間だけが、戦ってるわけじゃないし」

「それでも!」

 神経を研ぎ澄ます。

「こうしてこん棒ぶら下げて歩くことに意味があると思ってる。あたしは、『あたちたちは戦っています』っていう証明がほしい」

 左斜め前からさーちゃんの手刀が下りてくる! 

それをこん棒で受け止めた瞬間、ポンポンは耳を切り裂いた。

飛んでくるもう一つを避けようとするあたしに、容赦なく飛び交うキジの扇子が襲う。

「いらないでしょ。そんなの」

 さーちゃんからの回し蹴りが脇腹にクリーンヒット。

その衝撃に片膝をつく。

2人はあたしを見下ろした。

「誰にだって、知られたくない傷の1つや2つ、あるでしょ」

「それを晒してどうするの」

「こん棒も鬼退治サークルも、いらなくない。絶対!」

 水平に斬る。

パッと飛び退いたキジに、あたしはすかさず斬りかかる。

「自分は1人じゃないって、遠くからでも見てくれる子がいればそれでいい」

 彼女は身軽なステップと身のこなしで、華麗に剣先を避ける。

「こっちを忘れてない?」

 さーちゃんの倒立から振り下ろされた蹴りを、まともに食らった。

手からこん棒が吹き飛ぶ。

倒れ込み床に這いつくばったあたしは、傷だらけの拳を握りしめた。

「あたしは、その旗印になる。たとえ燃やされ、落とされ、汚されても、それでも一度は自分たち自身で戦ったんだって、証がほしいの」

「くだらないね」

「なんの役にも立たないじゃない」

 さーちゃんはこん棒を踏みつけた。

「意味ないね」

「同じ女の子なのに、そんなことを言うんだ……」

 腹の底が熱くなる。

あたしが戦わないといけないのは、本物の鬼だけじゃない。

もっと違う何かとも戦わなければいけないんだ。

 起き上がる勢いでの体当たり。

さーちゃんとキジはパッと避けた。

瞬時に拾い上げたこん棒へ向かってポンポンは飛ぶ。

弧を描き襲いかかるそれを、こん棒で叩き落とした。

滑るように光るそれは、カシャリと乾いた音を立て動きを止める。
「うまくいくと思うの?」

「そんなの、やってみないと分かんない!」

 水平に掲げたこん棒の先に、二人の姿が並ぶ。

あたしはこんなところで諦めるわけにはいかない! 

踏み込む勢いで斬りかかる。

キジは体が柔らかく横移動が多い。

さーちゃんは高い筋力で上からのジャンプ攻撃とポンポンを繰り出す。

攻撃パターンが読めてきた。

あたしがキジを避けている間に、さーちゃんは飛び上がる。

それに気をとられればポンポンは襲い、態勢を立て直したキジがその隙に攻撃を仕掛ける。

あたしはボッコボコにされながらも、じっと反撃のチャンスを狙っていた。

いくら連携のとれた二人にだって、スキや油断は生じる。

二人の立ち位置が、微妙にずれた。

「そこだ!」

 渾身の一撃を繰り出す。

さーちゃんの上に振り下ろしたそれを、割り込んだキジの扇子が受け止めた。

一瞬の静寂。

肩での荒い呼吸が演武場に響いている。

もう動く力の残っていないあたしは、その場に崩れ落ちた。

そんなあたしを、さーちゃんとキジは見下ろす。

「ふん。しょうがないわね、譲ってあげるわよ」

「そうだね。やる気は見せてもらったし」

 二人はくるりと顔を合わせた。

「てゆーか、私たちやっぱり息ぴったりじゃない?」

「ホントそう思う! 私の相方は、やっぱりさーちゃんじゃないと無理みたい」

「私も!」

 両方の手の平を合わせ、互いの指を絡める。

「ね、キジ。やっぱりバレエ部とチア部、合体させない?」

「そうだよね。その方がより高みを目指していけると思う」

「やっぱり? キジならそう言ってくれると思った」

「当たり前じゃない。私たちの表現に対する情熱は、どこまでも自由なのよ!」

 演武場の扉が開く。

「さすがね、あなたたち!」

「それでこそよ!」

「バンテ先輩!」

「チアちゃん先輩!」

 そう呼ばれた二人は、さーちゃんとキジ、互いの手を取った。

「演武場が大変なことになってるっていうから、駆けつけてみれば……」

「あなたたち二人なら、きっと大丈夫だって信じてたわ」

「先輩!」

「もう仲直りしたんですか?」

「えぇ。手の届かない尊い推しも大切だけど、目の前にいるリアルな関係はもっと大切でしょ」

「いつまでもそんなことでいがみ合う私たちじゃないし」

 歓喜と賞賛の声が辺りを包む。

あたしは起き上がろうとして、痛みに崩れ落ちた。

演武場はすっかり幸せに包まれている。

「もも。お疲れさま」

 目の前に差し出された、いっちーの手をつかんだ。

彼女はこん棒とあたしを抱き上げる。

「行こう」

「うん」

 よかった。

さーちゃんとキジが仲直り出来て。

いっちーも笑ってくれたし。

あたしはその微笑みに安心する。

肩をかしてもらい、いっちーに引きずられるようにしながら立ち去る。

「もも!」

 さーちゃんの声だ。

「演武場、チア部の時間をあんたたちに譲る」

 あたしたちは振り返った。

「ありがとう。もものおかげで助かった」

「そうね。これからよろしくね」

 その横でキジも微笑む。

「うん!」

 入って来た時には、果てしなく気で重かった扉を、晴れやかな気持ちで後にする。

保健室に運び込まれたあたしに、いっちーは手当をしてくれた。

慣れた手つきで軟膏を塗り、絆創膏を貼ってくれる。

「もう。無茶ばっかりして。今度から私も戦うからね」

「うん。次は一緒に頼むわ」

 夕焼けの日差しに、ミルクティー色の茶色の髪が透けている。

しばらくして、演武場使用に関する合意書が生徒会に届けられた。
 生徒会書記のはーちゃんとしーちゃんに見てもらいながら、最後の書類を整える。

設立許可証と人員名簿、施設使用許可書とそれに関する合意書に、学校のルールは守るという同意書などなど……。

「あぁ! 面倒くせぇ!」

「もも、ここが最後の難関よ」

 はーとしーがいてくれなかったら、本当に何にもなってなかったと思う。

あたしが二人の指示通りにあれこれ書き物をしている間に、いっちーは必要なハンコをあちこち走り回ってもらってきてくれた。

「ねぇ、まだ終わんないの?」

「ももの書き間違いが多すぎるから。やり直しの手間さえなければ、もうちょっと……ね」

 はーちゃんの言葉にぐうの音も出ない。

「デジタル対応……」

「早く出来るといいよねー」

 しーちゃんは出来上がった書類をチェックしている。

「うん。これでいいんじゃない。しめきりギリギリで、よく間に合ったわね」

 いっちーと同時に、ようやく安堵のため息をつく。

「ありがとう二人とも。助かった」

 生徒会室から職員室へ向かう。

書類の窓口になっているのは、あの堀川だ。

「先生、書類揃いました」

 散らかった机を前に、眼鏡の奥からあたしたちを見上げる。

堀川は無表情のままそれを受け取った。

「そ。じゃ、見せてもらうわね」

 全く興味ない仕草丸出しで順番にそれをめくる。

そのままバサリと机に投げ出した。

「で?」

「で? なんすか」

 堀川の言葉に、あたしたちは首をかしげる。

「書類は揃ってるようね。だけど、これは顧問の小田先生から提出してもらわないと」

「そうなんですか?」

「普通そうでしょ」

 大量に積まれた何かのプリントの山の上に、あたしたちの書類は再び放り投げられる。

「だって、あんたたちは小田先生に主任顧問をお願いしたんだから」

 堀川はペン先でボリボリと頭を掻くと、こっちには全くの無関心な状態のまま、自分の仕事を始めてしまった。

落ち着きのない職員室のざわめきの中で、あたしたちはぽつんと取り残されている。

仕方なく投げ捨てられたそれを手に取った。

「じゃ、小田先生にお願いしてきます」

 職員室を出る。

その瞬間、いっちーは舌を鳴らした。

「ちっ、なにあの態度」

「まぁまぁ。だから小田っちに頼んだんだし」

 放課後の体育科準備室は、部活指導に抜けた先生たちばかりで閑散としていた。

どこを見渡しても誰一人見当たらない。

「すみませーん」

 空っぽの部屋に何を言っても返事はない。

当たり前か。

「えー、どうするいっちー」

「どうするも何も……」

 小田っちの机はどこだっけ。

誰もいない準備室におずおずと入っていくと、ひょいと机の下から青白い顔が飛び出した。

「うわっ!」

 細木だ。

「お、お前ら……。こん、こんあなところで、何やってんだ……」

 この細木というのは、男性の新米体育教師だ。

共学化に合わせて採用されたとか何とかいう噂はあるけど、とにかく女子高生が怖くて仕方がない。

「小田先生は?」

「い、いませんけど!」

 そんな青ざめた顔でブルブル震えながらにらみつけられても、こっちだって困る。

ここへ来てもう二、三年にはなると思うのに、未だにうちらには慣れないようだ。

「いや、いないと困るんだけど……」

 細木は正面のホワイトボードを指さした。

綴じ紐でぶら下げられたメモ用紙の束が見える。

「メモ。して残せば。しらんけど」

「……」

 あたしたちは、まだ遠く机の向こうにしゃがみ込んだままの細木を見下ろす。

じっと観察していたら、その姿は再びゆっくりと机の下に消えていった。

「なにあれ」

「さぁ」

 不思議な生き物もいたもんだ。

だけどまぁこんなところに、いつまでもいるわけにもいかない。
「ここにメモ書きして置いとけばいいよね」

「そうだね。分かってくれるっしょ」

 細木に教えられた連絡用メモを引きちぎる。

その印刷ミスの裏側に、『サークル設立の書類が出来ました。提出をお願いします。花田もも 犬山一花』と書いた。

「これでよし!」

 今日はもうこれで帰ろう。

あたしはいっちーと目を合わせ、ニッと微笑む。

いっちーも同じ笑顔を向けた。

「ね、アイス食べて帰ろう」

「うん」

 学校を出る。

まだまだ明るい空は気持ちよく晴れていて、爽やかな風も吹き抜ける。

いつものように駅前に陣取る駅バァは、今日も元気に暴言を吐く。

「まだそんなモン振り回しとったんか! 野蛮な女なんてもんはロクなもんじゃない。さっさとやめちまえぇ!」

 だけどそんなことも気にならないくらい、今は気分がいい。

「ね、もっとちゃんと練習メニューも考えよう」

「そうだね、今から相談しない?」

「いいね!」

 放課後のフードコートほど、あたしたちにふさわしい場所なんてこの世にはなくって、とにかくサークル活動の始まるのが、今は楽しみで楽しみで仕方がない。

夕方の混雑した小さな丸テーブルにいっちーと二人ノートを広げ、あれやこれやとこれからの活動計画を立てた。

 それから2、3日が過ぎた。

はーとしーの二人があたしたちに声をかける。

「ねぇ、サークル設立の書類、ちゃんと提出した?」

 昼休み、あたしはいっちーと協力してスマホゲームのラスボス攻略に忙しくて、今はそれどころじゃない。

「えぇ? こないだいっちーと一緒に小田っちんとこ持ってったよ」

「そうだけど、生徒会にまだ連絡が来てないよ」

「新サークルの設立書類って、そんなしょっちゅうあるもんなの?」

「いや、ないでしょ」

「ちょっとくらい時間かかんじゃないの? 校長の許可とかいるみたいだったし」

 だけどそれは提出期限を翌日に迎えても、まだ受理されていなかった。

はーとしーからの連絡を受け、あたしたちは職員室に乗り込む。

「どういうことですか!」

「どういうこともなにも、まだ書類だされてないんだもの、審査のしようがないじゃない」

「は?」

 堀川はすました顔で言い放つ。

「小田先生からなんにももらってなーい」

 あたしといっちーは速攻で体育科準備室へ向かった。

確かに提出をお願いしておいたはずなのに……。

無人の準備室の、その小田先生の机には、あたしが数日前に置いた状態そのままに書類とメモ書きが残されていた。

「ちょ、どういうこと?」

 遠くでガタリと音がする。

パッと振り返っても誰もいない。

あたしはいっちーとアイコンタクトを取る。

足音を忍ばせ音のした場所にそっと近寄ると、机の下をのぞき込んだ。

そこに隠れていた細木を捕まえる。

「小田先生は、いまどこにいますか!」

「い、いまはしっ……で……」

「はい?」

 声が小さすぎて、なんて言ってんのか目の前にいても聞こえない。

「……だから出張でいないって……」

「は?」

「指導員研修に行ってて、戻ってくるのは来週だし」

 おどおどと答え、震える指先でホワイトボードを指さした。

そこにはあたしたちがメモ書きを置いた日の二日前から、明後日土曜日までの二週間不在の文字があった。

「え……じゃあ、小田先生が学校に戻って来るのは……」

「つ、次の月曜日ですけど……」

「この書類、明日がしめきりなんですけど!」

「いや、そんなこと言われても……」

「今どこ!」

「き、キビヤマ市……」

「隣じゃん!」

 顧問の欄には、小田先生直筆のサインがある。

これで何とかならないものか。

もう一度職員室へ向かう。

「確かにサインはあるけど、肝心の小田先生に直接確認出来ないことには、承認出来ないでしょ」

「なんで?」

 その問いに、堀川は無言で見上げている。

「そ、そこは電話とか……」

 あたしたちがどれだけモジモジ言い訳しても、その表情は一切変わらない。

「期限はちゃんとあったはずよ。それに間に合わせることが出来ないようじゃ、所詮無理だったってことなんじゃない?」

 あたしは堀川を見下ろす。

怒りで全身が震えるのを、押さえつけるのも難しい。

「それは言いがかりみたいなもんじゃないんですか?」

「だってさ、それは本当に決まりなんだから、しょうがないじゃない。変なサークルをむやみやたらに乱立させないための決まりなんだから、当然でしょ」

 生徒手帳のページを見せられる。

そこには確かに、設立申請が受理されたのち、設立の許可を改めてとるようにと書かれてある。

「チャレンジは認める。だけど、実際に出来るかどうかは別ってことよ。期限は明日。どうするつもり?」

 あたしはない頭を使ってぐるぐる考える。

方法はいくつか思いつく。

だけど……。

職員室特有のざわめきのなか、堀川のついた軽すぎるため息と横を向いたキィという椅子の音が、あたしの何かを邪魔している。

堀川は生徒の提出したノートのチェックを始めていた。