「……あたしの勝ち」
いっちーはそれでも動かなかった。
勝負はついた。
すぐにそれを脇に戻すとこん棒を下げる。
いっちーはもう、戦う気がなくなった?
あたしは床にひざを付いて座ると、姿勢を正した。
「お願いします。一緒に鬼退治をしてください」
指の先をきっちり丁寧に合わせ、深く頭を下げる。
彼女からの返答はない。
あたしはゆっくりと顔を上げ、彼女を見上げた。
いっちーは制服の上着に手をかけると、それを脱ぎ捨てた。
胸のリボンをほどき、シャツのボタンを外す。
はだけた胸から剥き出しの肩を晒して見せた。
「私のアザよ」
彼女の白い肌が光に透ける。
いっちーの背後から伸びた醜い手が、彼女の肩をつかんだ。
太く長い指が細い肩をわしづかみにし、鋭い爪は肌を貫き切り裂く。
「この痛みが、あんたにも分かるって?」
赤黒くくっきりと浮かぶその痕は今も鮮やかに、確かな痛みを持って彼女に疼き続けていた。
「私はね、いつもこの痛みを抱えてる。あんたと違って毎日毎日、朝起きたら、夜寝る時にも、何を見ても何を聞いても! 私のすぐ側にこいつらはいて、いつだって……『俺の存在を忘れるな』って……そうささやき続けて……」
いっちーの頬を涙が伝った。
「鬼退治なんて、本当に出来るなんて思えない。私にもあんたにも、誰にも」
「その傷の存在を知っても、あんたのお父さんやその道場の奴らは、やっぱりいっちーには自分たちの背中に隠れとけって言うの?」
あたしは立ち上がる。
彼女に近づき、その傷痕にそっと触れた。
「その傷を、今もまだ深くえぐり続けているものはなに?」
目を閉じる。
あたしは泣いているいっちーの額に自分の額をつける。
「大丈夫。あたしたちは戦える」
彼女のむき出しになった肌を覆うためのブラウスのボタンを、一つ一つとめてあげる。
「悔しくはないの? ムカつかない? それで鬼退治が終わったら、どんな顔して『ありがとう』って言うの?」
いっちーの涙は、いっちーだけの涙じゃない。
「あたしは弱くてマヌケでバカだから、殴られたら殴り返されても殴る。たとえ死んでもあいつらだけは許さない。あたしは自分の大切な人が誰かに殴られていたら、自分が死んでもやり返す」
床に落とされたブレザーを拾い、肩にかけてあげる。
あたしはいっちーを抱きしめた。
「悪いのは、あたしやいっちーに傷をつけさせた鬼よ」
「本当に勝てると思ってる?」
「死んでも戦う。そうしないと、自分が後悔するから」
あたしはいっちーに微笑んだ。
「あたしは自分のために戦うの。負け戦になるかもしれないけど、一緒に来てくれる?」
「頼りない」
「はは。いっちーが来てくれたら勝てるかも」
彼女の腕が肩に回って、一緒に泣いた。あたしたちは独りじゃない。
「このこん棒、いっちーのだよ」
差し出した鬼退治用のそれを、彼女は手に取った。
目と目が合って、彼女は静かに微笑む。
「全く。しょうがないな」
そんな彼女の顔はとってもきれいだなと、あたしは改めてそう思った。
いっちーと一緒に鬼退治サークルを作るとして、サークル認定されるためには部員が足りない。
いくら条例で『鬼退治をしようとする者は必要と認められた場合他に優先される』とはいえ、まぁそう簡単にいくもんでもない。
「ねぇ、一緒にベルト買いに行こうよ」
いっちーはあたしに自分のスマホ画面を見せた。
「もも、何だかんだでまだ買ってないっしょ」
「欲しいとは思ってんだけどねー」
「ほら、これなんかどう?」
いっちーが探してくれたのは、ピンクの細い革ベルトにお花やふわふわのついたかわいくてお洒落なやつ。
「かわいい」
「ね、いいよね!」
いっちーはうれしそうに画面をタップする。
「ネットで注文しちゃう? 同じの2個頼む?」
確定画面に進もうとして、指が止まった。
「やっば。これ5万もする! あームリムリムリ」
「いっちーんとこので、何かいい感じのないの?」
彼女はそのまま超高速タップでスマホ検索を続けている。
「あんなのやだ。かわいくないもん」
昼下がりの放課後はどこまでものんびりで暖かくて、あたしは学校を取り囲む高い城壁にもたれて、襲い来る眠気と激しい死闘を繰り広げている。
「ねぇもも。コレは? あ、待って。もっと安いの探す」
「いっちーがいいなら何でもいいよ……」
寝落ちしそうだ。
横を向こうと片膝を立てると、スカートの裾は太ももを滑った。
芝生の絨毯を踏むわずかな足音が聞こえて、いっちーもそれに反応する。
「うわ。マジだ」
猿木沢さんだ。
「バカが増えてる」
彼女は仁王立ちであたしたちを見下ろした。
おっぱいが大きすぎて顔が全部見えない。
「誰がバカ? お前?」
「何その棒」
いっちーは彼女をにらみ上げる。
猿木沢さんはフンと鼻を鳴らした。
「堂々とこん棒担いで歩いてるバカが現れたと思ったら、早速感化されたバカが増えたって聞いてさ。信じられなくて見に来たの」
猿木沢さんは呆れたようにため息をついた。
「マジでガッカリ」
「じゃあわざわざ話しかけてくんなよ。サルが」
「脳筋のくせに口答えしてくんなや」
いっちーはこん棒をつかんだ。
立ち上がろうとするその腕をつかむ。
「いっちーやめな」
「あんたが、ももね」
猿木沢さんはあたしを見下ろす。
「同じ学校にいるのも恥ずかしいから、さっさとやめてよね」
その一言だけを残して、彼女は立ち去った。
金色の短すぎる髪が日の光を反射する。
なんでそんなことをわざわざ言いに来たんだろ。
いっちーはその背中に向かって吠えた。
「なにアレ? それを言うためだけにうちらを探して来たの? そっちの方がバカじゃない?」
「あの子知ってるの?」
「知らん!」
「えらい絡まれるじゃん。いつも」
「知らないよ。知らないけど、何かいっつも喧嘩売られてる」
あたしはいっちーを見つめた。
「好きなんじゃない?」
「なんでだよ!」
このままここに居ても仕方がないので、あたしたちは学校を出た。
もういっそ近くのどっか売ってる店でベルトを買ってしまおうかという話になって、そこへ向かう。
大型ショッピングモールはいつだって賑やかで、ここにくればとりあえず一番最初にアイスを買うのはお約束。
「ももはなに?」
「コーヒーショコラアーモンド」
「いつものやつだ」
「いっちーは?」
「ベリーベリーベリー」
アプリの期間限定ポイントが余ってるとかで、それを使って30円引きになった。
「あれ? ももじゃん」
「むーちゃん?」
振り返ると、むーちゃんと猿木沢さん、他に知らない子が二人。
「ももは相変わらずソレなんだね」
むっちゃんにアイスを差し出す。
彼女はそれを一口かじった。
「買いに来た?」
「うん。ポイント使いに」
「余ってるよ」
「あ、欲しい」
スマホを取り出す。
あたしといっちーの周りをむーちゃんたちが取り囲んだ。
猿木沢さんは何でもないみたいな顔をして、少し離れた位置から横を向いている。
「名前は? なんて呼ばれてんの?」
あたしはむーちゃんに聞く。
「猿木沢、さーちゃんだよ」
「さーちゃんはいいの?」
あたしがそう呼んだら、彼女はムッとした顔をした。
「スマホ出しなよ。ID交換しよ」
「あ、そのスマホケースかわいい」
いっちーがそう言うと、さーちゃんは彼女をギロリとにらみ上げる。
あたしはいっちーが舌打ちしたのを聞き逃していない。
そのむーちゃんたちと別れて先に座っていたテーブルに、むーちゃんたちは当然のようにやってきて腰を下ろした。
「あ、ココナッツパイン?」
「ピーチオレンジ買ってみた」
「ミルクキャラメル塩バター!」
無言のさーちゃんが食べてるのは、きっとバニラバニラバニラだ。
女子高生が6人集まれば、みんなそれぞれに違う味を買って、一口もらったり交換したりとかもする。
まず学校と先生の悪口が始まって、やがてそれはゲームとか動画の話題に移る。
テーブルに立てかけてあったあたしのこん棒に、何かが当たった。
「こんなところにこんなモンが置いてあったら、危ないだろうが! 周りのこともちょっとは考えろ!」
四十過ぎくらいのおっさんだ。
あたしたちのテーブルをギロリと見下ろす。
こん棒はちゃんと邪魔にならないように立てかけてあったから、このおっさんがわざわざ近寄ってきて足を出さない限りはぶつからない。
「なんだ? こんなところで女子高生だけで集まって、鬼退治の相談か?」
その顔に気色悪い笑みを浮かべた。
「俺もな、昔やってたんだよ鬼退治。ちょこっとだけどな。教えてやろうか?」
手を左右に振っている。席を空けろとのサイン。
「え、頼んでませんけど」
いっちーが言った。
「誰ですか?」
あたしはぼんやりと、ここでこん棒振るには狭すぎるなー、どうしよっかなーとか考えている。
「は? なに? このオ、レ、が! 教えてやろうかって言ってんの。分かる? ありがたい話しだろうが」
男は急にぐにゃりと表情を変えた。
自分では「優しい笑顔」のつもりらしい。
「君たちだけじゃ不安でしょ? 俺が付いてちゃんと教えてやるからさ」
「いらねーよバーカ。さっさと帰れや」
あたしの言葉に、男の顔色は変わった。
「あ、それ、私の彼氏のです。今トイレ行ってるんですけど」
金髪坊主のさーちゃんが、男の蹴ったこん棒を指さした。
男の視線はパッと彼女に移る。
さーちゃんはにっこりと微笑んだ。
「私の彼氏、つい最近鬼退治始めたんで」
「あぁあぁそうかそうか。じゃ、そっちに聞けばいっか」
驚くほどの猛スピードで男は消える。
人間、あんな機敏な動きが出来るものなのかと逆に感心した。
「え、彼氏いたの?」
いっちーは小声で尋ねた。
さーちゃんの眉間に思いっきりしわが寄る。
「んなもん、いるわけねーだろ」
どっと周りにいた三組メンバーは笑った。
「いつものワザだよね。さーちゃんの妄想彼氏」
「男は男だせば引っ込む説の証明」
「ムカつくよねー」
さーちゃんはフンと鼻を鳴らす。
「こんなところでこん棒振り回そうとか、頭おかしいだろ。だから鬼退治してる奴はバカにされんだよ」
いっちーがガタリと立ち上がった。
完全に頭に血が上っている。
「やめなよ。アイス溶ける」
いっちーは何かを言いたげにあたしをにらんできたけど、本当にアイスが溶けちゃう。
「これからベルト買いに行くんだ」
「そっか。好きにしなよ」
金髪坊主の美少女はにっこりと微笑んだ。
「じゃ。私たちもう行くね」
さーちゃんたちと別れて鬼退治関連グッズ売り場に移動してきても、いっちーはまだ腹を立てていた。
「何なのアイツ! あの金ザル! あっちの方が頭おかしいんじゃない?」
雑貨屋さんの一角にもうけられた鬼退治関連グッズコーナーには、わずかな商品しか置いてなくて、置いてあるのも鬼避けのお守りとか防犯ブザーみたいなのばっかりだ。
「あ、この根付け同じのにしようよ」
「かわいい」
こん棒や柄につけるアクセサリーばかりで、探していたベルトはすぐにちぎれてしまいそうなファッション性の高いものしかない。
あたしはふと帯刀したいっちーの男友達の姿を思い浮かべた。
重い真剣を一日中ぶら下げて、実戦に耐える実用性重視のしっかりした作り。
あの刀は誰から譲り受けたんだろう。
「ねぇ……」
「ん? なに」
「……あ、やっぱなんでもない」
それを聞いてはいけないような気がした。
それを彼女に聞けるようになるのは、少なくともあたしたちが帯刀者並みに認められてからだ。
こん棒すら握らせてもらったことがないといういっちーに、そんなことはまだ聞けない。
ビニール製のすぐにすり切れてしまいそうな帯刀用ベルトは、重いこん棒をぶら下げるには余りにも頼りない。
それを手に取ったいっちーの横顔も沈んでいる。
そうだよね。
あたしたちの望んでいるものは、こういうものじゃないんだ。
「あんまりいいのないね」
「……帰ろっか」
「うん」
一番に望んでいるものは、実は自分たちの間近にあって、本当はそれを分かっているけど何にも言えないのは、やっぱり自分たちにはふさわしくないんじゃないかとか、頑張っても無理なんじゃないかとか、そんなふうに迷っているから。
本当にやり遂げられるんだろうかとか、それで出来なかったらどうしようとか、そしたらでかい口叩いたくせに周りに迷惑かけちゃうなとか、そんなことばかりを気にしている。
駅まで戻ると、いつものように駅バァがいた。
「またそんなもん持ちまわりよって! ろくになぁーんにも出来ん奴ほど、下らんことにばっかり手を出しよる!」
くしゃくしゃのつまらない婆さんのクセに、声だけは誰よりもでかい。
「いつまでもフラフラふらふら遊び歩かんと、やることせんか!」
知っている人にとってはいつもの風景だし、ランダムテロだって分かってるけど、初めて聞くような人たちはすんごいびっくりしたような顔をして、あたしたちを見てくる。
その群衆の中にさーちゃんの姿があった。
「何よ。結局ベルト買ってないんじゃん」
彼女を見た駅バァは、急に大声で笑い始めた。
「出たな黄ザル! お前はまたヘマをやらかして坊主にされたんか! いつまでたっても成長せんのぉ!」
下品な笑い声が小さな広場に響き渡る。
彼女は駅バァをチラリと見ただけで、全く気にしていない。
「買わなかったの?」
「いいのがなくて」
「かわいいの?」
さーちゃんのその挑発的な物言いに、いっちーの眉がピクリと動く。
「残念だったね!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
「黄ザルは今度は何をやらかしたんじゃ! 相変わらず成長せんヤツじゃのう! 頭悪いんか!」
さーちゃんはあたしたちに向かって大きく手を振るふと、ホームに姿を消す。
「何なのアイツ!」
「あたしもちゃんと探してみるね、ベルト。明日からはちゃんと練習もしよう」
そう言ったら、いっちーは大人しくうなずいた。
「私もちょっと勉強してくる」
「うん」
「バカはバカ同士でつるんどんか! 腐っとる!」
その場で別れる。
あたしはこれからのことを色々と考えなから、前へと踏み出した。
やりたいことのある放課後というやつは、どうしてこうも来るのが遅いのだろう。
終業のチャイムが鳴ると同時に、あたしは立ち上がった。
いっちーと肩を並べて進む廊下は、走っているのか踊っているのか分からないくらい。
「ねぇ、昨日送った動画、いいでしょ?」
「見た見た。一緒にアレ、やってみよう!」
鬼と対峙したときの剣の使い方、振り方とその立ち回り。
昔と違って鬼退治をしようとする人は随分減ってしまったけど、それでも居なくなったわけじゃない。
鬼はいる。
姿は見えなくても、まだあちこちに。
鬼退治サークル創立の申請はしているけど、まだ許可が下りているわけじゃない。
創立のための活動許可が下りたら規定に沿ってメンバーを5人以上集め、顧問の先生を探さなければならない。
全ての条件が整ってから再び審査を受け、それに合格してからようやくスタートだ。
校舎裏の芝生に入り込むと、制服を脱ぎ捨てた。
スカートの下に元々半パンを着ていたから大丈夫。
3分で着替え終えたあたしたちは向かい合った。
「動画の初級編、その壱?」
「そっからだね」
こん棒を振り下ろす。
ぶつかり合ったそれはカツンと小気味よい音をたてた。
空高くまで響き渡る。
「やだ、ゆっくりやらないと、ももに当てちゃいそう」
「寸止め寸止め」
いっちーは空手ばかりでこん棒を持ったことはないって言ってたけど、道場でずっと練習している人たちを見ていたから、それなりに上手い。
基礎体力もかなりある。
あたしのはどれも独学の見よう見まねで、なんともならなかった。
すぐに腕もだるくなって、その場に座り込む。
「疲れるー」
校内をぐるりと取り囲む赤茶色の高い壁は、いつでもあたしたちを守ってくれている。
もたれるとひんやりと冷たくて気持ちいい。
「見て。新発売のレモン炭酸」
いっちーはペットボトルの新商品を取り出す。
蓋を開けると爽やかな炭酸が耳に弾けた。
あたしはリュックの中からお気に入りのミルクティーを取り出す。
「あ、うちから持って来たクッキーもあるよ。食べる?」
「ももんちの?」
鬼退治の仲間が出来たってママに言ったら、一緒に食べなさいって持たせてくれた。
「わ、やった!」
袋を開けたら、すぐに甘い匂いが漂う。
「おいしい」
「でしょ?」
こうなってしまったら、もう誰にも止められない。
美味しいお菓子と気の合う友達がいれば、おしゃべりはどこまでも続く。
そっちに夢中になりすぎて、あたしたちは近づいてくる他の人の気配に気づいていなかった。
「ねぇ、サボってんのなら、ちょっと貸してよ」
転がっていたこん棒を取り上げたのは、さーちゃんだ。
いっちーの舌がチッとなる。
「あんた鬼退治に興味ないんでしょ。だったら……」
「いっちー、ストップ」
あたしはいっちーの次の言葉を遮る。
「ふん。あんたたちの頭が悪すぎるから興味あんのよ」
彼女はこん棒を肩に担いだ。
「重た! 何コレ」
そう言ってうれしそうに笑う。
「こんなの担いで振り回したって、体力じゃ鬼に勝てないよ」
さーちゃんはニッとあたしたちを見下ろした。
「鬼のこと、ホントに知ってんの?」
「あたしはさ……」
「うるっさいな、興味ないなら来んなよ!」
いっちーが吠えた。
「テメーに言われる筋合いはねぇ!」
あたしはため息をつく。
それは彼女が一番言われたくない言葉。
「そうやってすぐに吠えるクセ、直しなって言ったよね」
さーちゃんの挑発に、あっさり乗っかってしまう。
いっちーはこん棒を握りしめた。
「私は世界最強女子になるんだから!」
「あはは、なにそれ、おもしろーい」
「いっちー、あたしも! あたしも世界最強女子になる!」
「ももが世界最強になったら、私が世界最強になれないじゃん」
「えぇ、そこは一緒になろうよ」
「う……」
顔を赤らめたいっちーは小さくうなずいた。
「うん。いいよ……」
「なに言ってんの、一番は私よ!」
さーちゃんはこん棒を振り回す。
「あんたたちなんかに、絶対負けないんだから!」
彼女はバトンのようにこん棒をくるくると回転させると、パッと脇に挟んでポーズを決めた。
「なによ、あんたやっぱり鬼退治に興味あるんじゃない」
「ないって。チアでバトントワリングやってるからだし」
さーちゃんはあたしのこん棒を構えている。
「あんたたちみたいなハンパなのが、鬼退治するとか言ってるのが、ムカついてるだけ」
「やっぱあんたには負けらんない」
さーちゃんといっちーは互いにこん棒を構え向き合う。
あっという間に打ち合いが始まった。
何だかんだ言っても、この二人は仲良しなんだと思う。
あたしはママのクッキーをかじりながら、二人の様子を見ていた。
まっすぐに突っ込んでいくタイプのいっちーに対して、さーちゃんは柔らかな体の特徴を生かし、ひらひらと身軽にそれを交わしてゆく。
ぶつかり合うこん棒の音は、どこまでも軽やかで新鮮だった。
カツン!
一段と高く、乾いた木のぶつかる音が響いた。
二人の手から同時にこん棒が弾けとぶ。
丸腰になってしまったいっちーとさーちゃんは、にらみ合い、手刀を構えたまま動けない。
「ね、一緒にクッキー食べよう」
あたしは相変わらずママのクッキーをかじっている。
「おいしいよ。たくさんあるから、ね」
その言葉に、ようやく二人は腰を下ろした。
今日はお日さまぽかぽかいい天気。
ケンカをするにはもったいないような日には、仲良くした方がいい。
そのまま芝生の上で三人でクッキーを食べ終えたら、すっかり日の傾いた道を駅まで歩く。
あたしの右側にはいっちーがいて、左にはさーちゃんがいた。
「ね、あたしたちもID交換しようよ」
「好きにすれば」
放課後はたこ焼きを食べるのがいつものお約束。
フードコートの空いていた席を見つけてそこに座った。
「さーちゃんはなんでそんなに鬼退治を嫌がるの?」
「別に。嫌がってはないよ」
熱々のたこ焼きの上でかつお節が踊る。
あたしたちはパック詰めのソースを一つ一つのたこ焼きに丁寧にかけている。
「こん棒が恥ずかしいだけ」
結局まだベルトは買えていなくって、それは未だ丸テーブルの横に立てかけられている。
「別に持ってたって恥ずかしくはないよ。これは決意表明だから。負けませんっていう、証」
さーちゃんはマヨネーズを端っこにまとめて出すタイプ。
竹串でそれをすくってソースの上にのっけると、プスリと突き刺した。
「そんなもんが決意表明になるんだったら、ラクでいいよね」
大きなたこ焼きをあーんと一口。
熱かったのか両手で口を覆ってはふはふしてる。
放課後の時間帯のフードコートは、いつだって人でいっぱいだ。
「なぁあのコ、何か食べ方ヤらしくない?」
すぐ隣に座る男子高校生のグループからだ。
さーちゃんを見て笑っている。
「なにあの頭。丸坊主だし」
「だっせー。かっこつけてるつもりなわけ?」
「胸でかいのにもったいねー」
「あんなんで鬼退治とかマジ?」
こちらにわざと聞こえるようにしているのはバレバレだ。
気にしても仕方がないので放置している。
そのうちに話題も変わるかと思っていたのに、向こうにそんな気はないらしい。
かまって欲しいのなら、もうちょっとやり方考えろよとは思う。
言い返そうと振り返ったあたしの腕を、さーちゃんはつかんだ。
「おいしい! こんな熱々でおいしいたこ焼き食べたの久しぶり。病院じゃ出てこないから」
彼女は目尻を拭う。
「抗がん剤の副作用が強くて、髪も胸もこんなになっちゃったけど、外でものが食べられるってだけでなんか幸せ」
さーちゃんは微笑む。
いっちーは彼女を見つめた。
「え……。そうだったの?」
「うん。だから……いつも無理言ってゴメンね」
見つめ合う金髪の坊主頭とミルクティー色の長い髪。
いっちーはさーちゃんの手を取った。
「ご、ゴメン。私、そんなこと全然知らなくって……。それで、それで……」
いっちーはさーちゃんの手を握りしめたまま涙ぐむ。
あたしは分かりやすく背を反らし、隣のテーブルをのぞき込んだ。
「たこ焼き、おいしいね!」
そう言ってにらみつけると、ヤジを飛ばしてきた連中はコソコソと立ち上がり、すぐに視界から消えた。
本当に面倒くさい。
「ゴメンね。さーちゃん。私も猿木沢さんじゃなくって、さーちゃんって呼んでもいい?」
いっちーの頬に涙が流れた。
「わた……、私も、さーちゃんとID交換したい」
ぽろぽろと涙をこぼすいっちーの手を、ふいにさーちゃんは振り払った。
「って、そんなのウソに決まってんじゃん、あんた本気でバカ?」
「え?」
あたしはもうどうしていいのか、半分分かんない。
「まぁ、ホントじゃないのは分かるよね。だってさーちゃん元気だし、毎日学校来てるし」
いっちーはあたしを見下ろす。
その本気でびっくりしている表情に、なんだか申し訳なくなって、無言になってしまった。
いっちーの体は怒りに震えている。
「あんたってのは、本当にいつもいつも……」
「アホか」
さーちゃんは、いっちーの胸ぐらをグッとつかんで引き寄せた。
「私がこんな頭にしてんのはね、バカにされないためよ。ふわっふわのくるくる長い髪だとね、どんなにカッコつけてたって相手にされない。バカにされるだけ。分かるでしょ? 私みたいなチビの巨乳はね、絶対まともに扱ってもらえないの。話しすら聞こうとしない」
さーちゃんはドカリと椅子に腰を下ろした。
「いつもニコニコ笑って周囲のイメージ通り、頭の悪いフリしてんのはもう飽きたから。だからね、思い切って頭を坊主にしてみたのよ」
彼女は笑っていた。
「そしたらね、本当の私を知っている人以外、誰も寄りつかなくなった。便利じゃない? 私はようやく自由になれたのよ。ラクすぎちゃってさー」
少し冷めたたこ焼きを、彼女はまた一口で放り込む。
今度は美味しそうにもぐもぐと食べた。
「だからね、こん棒なんていらないの」
いっちーのまっすぐな長い髪と、あたしのくるくる天パショート。
さーちゃんが髪を伸ばしたら、どんなふうになるんだろう。
「たこ焼き、食べないの?」
さーちゃんにそう言われて、いっちーは串を手に取った。
「食べる」
まだ温かいそれを、口に放り込む。
さーちゃんは学校ではいつも元気で明るくて、友達もいっぱいいて、楽しそうに過ごしている。
いっちーは浅く長いため息をついた。
「あんたが鬼退治に興味ないってのならいいけど」
いっちーはさーちゃんを見つめる。
「私は別に、嫌いじゃないよ」
「あはははは! やっぱ真面目だね」
さーちゃんは腹を抱えて笑う。
目尻にあふれる涙を拭った。
「私はあんたのそういうトコ、面倒くさいって思ってるよ」
いっちーは静かに闘志を燃やしていて、さーちゃんはニヤニヤ笑ってるから、あたしはもう何だかどうしようもない。
「早く食べないと、あたしが全部食べちゃうよー」
いっちーのたこ焼きにぷすりと串をさす。
それを目の前でひらひらさせたら、いっちーの口が開いた。
そこへ放り込む。
最初はちゃんといっちーね。
意外と何でも自分が一番じゃないと気に入らない、真面目でお堅い性格。
次はさーちゃん。
お友達になった記念にやっぱりあーんしてパクリ。
チャラチャラしてるように見えるけど、中身はすっごいしっかりしてる。
あたしは串に刺したたこ焼きを、そんな二人に一つずつ食べさせてあげる。
「みんなで食べるとおいしいね!」
二人はムッとした顔のまま、もぐもぐしていたけど、たこ焼きはおいしいから大丈夫。
「ね、やっぱりベルト、いっちーの道場で使ってるやつを買えないかな。親には相談できない?」
いっちーはたこ焼きをゴクリと飲み込んだ。
「分かんない。親は私に何も言わないから。こん棒とベルトくらいはあると思うけど……」
いっちーはうつむいてしまった。
空っぽになったたこ焼きの舟の上には、青のりとかつお節の残骸が散らばる。
「私はいつも手伝いっていうか、雑用ばっかりで……。そういうのは何ていうか……」
「鬼退治が悪いとかは、全然思ってないけど」
さーちゃんは立ち上がった。
「あんたたちにそれなりの覚悟があるってとこを見せないと、誰も助けてはくれないと思うよ」
彼女はリュックを肩に担ぐと、空っぽになった三人分の舟を持ち上げる。
「みんなそれなりに自分たちのやり方で、鬼とは戦ってるんだから」
彼女のその言葉に、あたしが笑みを浮かべたら、いっちーはムッとした顔をする。
さーちゃんはフンと鼻息一つだけを返して行ってしまった。
すっかり静かになってしまったままのいっちーと駅前で別れる。
また明日も学校で会えるってのは、とっても幸せなことだと思った。
職員室への呼び出しがかかったのは、その日の昼休みだった。
あたしはいっちーとそこへ向かう。
「失礼しまーす。なんっすかー」
堀川は国語教師で、典型的によくある派手なオバさんだ。
いつもでも短すぎるピチピチのタイトスカートに、ボタンがはちきれんばかりの巨乳をブラウスから振りかざし、眼鏡をかけた厚化粧はS系イヤミ教師そのもの。
「コレ、あんたたち?」
見せられたのは、鬼退治サークルの創立申請書だ。
「え? 先生が顧問やってくれんの?」
バン! と、堀川はそれをテーブルに叩きつけた。
「冗談じゃないわよ。なんで私がこんなことしなくちゃいけないの」
肩までの髪をさらりとかき上げる。
「面倒なこと言ってないで、さっさと諦めなさい。あんたね? 最近木刀持って校内うろついてるってのは」
職員室の事務的な椅子がキィと鳴った。
そのままあたしといっちーを見上げる。
「今更なんなの? こんなことにこだわってるのなんて、時代遅れもいいとこじゃない」
堀川の視線はあたしたちをくまなく観察していた。
「今だってこん棒持ってないじゃない。なによ。そんなんで本当にサークル起ち上げる気?」
「今は学校だから。鬼は出ないし……」
「ふざけんじゃないわよ。帯刀者ってのはね、寝る時以外はずっと肌身離さず身につけているものなのよ」
盛大にため息をつかれる。
「ま、所詮そんなもんよね、あんたたちなんて。どうせメンバー5人も集まらないでしょ。創立許可は下りたけど、期限は一ヶ月よ。その間にメンバー集まらなかったら、取り消しになるから」
眼鏡の奥の大きな目が、キッとあたしたちをにらんだ。
「じゃ、せいぜい頑張って」
職員室を出る。さっきまでの賑やかな昼休みが、まるで異次元の喧噪みたい。
いっちーは不安そうにつぶやいた。
「どういうこと? 一ヶ月以内にメンバー集めないといけないなんて、知らなかった」
堀川の話によると、どんなサークルを作りたいのか、生徒が出した申請書を審査して、まず学校がそこに許可をだす。
作っていいよって言われてから、実際に作る準備を始めて、条件を整えたところでまた審査する。
それで通れば晴れて成立ということになるらしい。
「ま、なんとかなるっしょ。うちらの他に3人集めればいいだけだし」
ふと顔を上げれば、廊下を歩いているクラスメイトが目に入る。
「ねぇねぇ、ちょいとそこの素敵なお嬢さん?」
あたしは通りすがりのしーちゃんの肩に、腕を置いた。
「サークル起ち上げのメンバーにさ、名前だけ貸してもらいたいんだけど、どう?」
「あはは、ももの鬼退治ぃ?」
「そ」
堀川から渡された、真っ白なサークル名簿を見せる。
「いいよー。もも頑張ってー」
その様子を見ていた周りの連中も、わらわらと近寄ってきた。
「なになに? 鬼退治サークル本当に作るんだ」
「名義貸し?」
「別にいいよー」
約10分足らずで、あたしといっちーを含めた7人の署名が集まる。
職員室へ向かった。
「こんなもん、認められる訳がないでしょう!」
「なんで?」
堀川は最高にイライラしている。
「集めたじゃん」
「やり直し!」
ムッとしたあたしに、堀川は言った。
「創立時のメンバーは専属部員が必要です! こんなの、あんたら以外全員他の部活入ってるじゃない」
まぁそう言われればそうだけど、そんな話は聞いたことがない。
「でも、他にも掛け持ちしてる子なんて、普通にいるし」
「起ち上げの時は別なの!」
「んだよ、それ」
堀川は鼻息荒く腕を組む。
「とにかく、このメンバーでは認められません! 名簿は処分します」
目の前でみんなの名前がシュレッダーにかけられる。
せっかくの思いが、小刻みに震えながら機械に消えてゆく。
「もっと真面目にやってちょうだい」
結局、振り出しに戻された。
あたしはイラついたまま芝生の上に寝転がる。
「くっそ、なんだよアイツ! めっちゃ腹立つんだけど」
いっちーは渡された紙切れをじっと眺めていた。
「もも。これよく見たらさ、メンバー集めただけじゃダメだよ。設備とか備品の使用許可もとらないといけないから、そう簡単にはいかないよ。演武場使いたかったら、バレエ部とチア部に使用時間の交渉しないと」
「あいつらか……」
バレエ部とチア部は、めちゃくちゃ仲が悪いので有名だ。
伝統ある女子校には、踊る方のバレエ部がなければいけないらしい。
いや、しらんけど。
学校創立時から存在するというバレエ部はうちの名物といえば聞こえはいいが、いまや名前が残されているだけの、幽霊部員受け入れ箱だ。
そのバレエ部に対抗するようにチアリーディング部が出来たらしいが、これもまた遙か昔の話し。
チア部にいたっては何をやっているのか分からない、正体不明の集団に成り下がっている。
「不定期で軽音と演劇部も割り込んでるよ。そこにうちらも入り込める?」
「あー」
体育館はガチな運動部が占拠しているから絶対に無理だし、吹奏楽部みたいに廊下で筋トレ……は、主な活動場所として音楽室があるから許されている特別使用許可だ。
「鬼退治」のメインで使用するのが通常教室というのは、言い訳だとしても難しい。
「どっか他に練習出来そうな場所あるかな?」
今いるところは校舎と壁の隙間みたいなところで、屋根もない。
「こん棒も何本かは欲しいし、ロッカーとかもあったらいいよね」
「それも創立許可が下りないことにはどうにも……」
ここでウダウダ考えていても仕方がない。
あたしはヨッっと立ち上がった。
「とりあえず、活動できそうな場所を校内に探してみよっか」
いっちーと2人、放課後の校内を巡回してみる。
正門前の広場では、運動場の割り当て曜日から外れた野球部がキャッチボールをしているし、その校庭ではサッカー部が走り回っている。
テニスコートはテニス部だけのものだし、競争率の激しい体育館の使用日程に、割り込む隙なんて見当たらない。
中庭と校内に残っているわずかな隙間に至っては、完全に陸上部が占拠していた。
「うちの学校って、こんなに部活盛んだったっけ」
ついそんな言葉を漏らす。
いっちーもため息をついた。
「まぁね。あたしも陸部に誘われたことあったし……」
あたしもいっちーも、運動神経は悪い方ではない。
うろちょろしてたら、「入部するなら歓迎するよー」とか言われてますます困る。
「『鬼退治』って言うと、全部譲らないといけないと思ってるからさ。部活やってる子には嫌がられてるかもね」
「あぁ、それか」
ため息をつく。
『鬼退治をしようとする者は必要と認められた場合他に優先される』か。
あたしは持っていたこん棒を肩に担いだ。
「仕方ないよ。後から始めようってんだから、こんなもんだよ」
体育館横にある体育準備室が見えた。
そこにはうちの体育教師5人の席がおかれている。
今は放課後部活の時間で、中には誰も見当たらない。
「おぉ。こん棒担いで相変わらず威勢がいいのぉ」
小田ティーチャーだ。
体育科所属の最高齢先生。
ぽっちゃり体型の白髪のおじいちゃんは、体育準備室横の花壇のお手入れをしている以外に、他で姿を見たことはない。