「つかまれた腕が今も時々痛む。その痛みを……いっちーも知ってるんじゃないかと思って」

「……。それがなに?」

 ようやく振り返ってくれた。

「鬼と戦ったことのない女の子なんていないでしょ。みんな誰かしら遭遇したことあるし、それなりに応戦してる。別に珍しいことでもなんでもないし、普通に騒いだりしてないだけでしょ」

「そうだよ。それは分かってるよ。だけどあたしは……」

「仲良しの、他の友達に頼めばいいじゃん」

 いっちーの目は、あたしの目を見ようとしていない。

「その方が楽しくやれるでしょ」

「いっちーなら、本気で戦ってくれそうな気がした」

 手に持つこん棒を握りしめる。

あたしはそれを正面に構えた。

「共感してくれる友達なら沢山いる。あたしがほしいのは、一緒に戦ってくれる人。あたしと勝負して、負けたら空手教えて」

「素手の私を相手に木刀まがいのもの振り上げて、なに言ってんの?」

「勝負!」

「……やんない」

 いっちーは再びあたしに背を向ける。

「じゃ、いっちーの負け。あたしの勝ち。教えて」

 彼女の膝がわずか曲がった。

その低い姿勢からの不意打ちの回し蹴り。

こん棒でなんとか防いだものの、それはあたしの手から弾き飛ばされた。

「わーお。カッコイイ」

「勝ったから教えない」

「あたしが負けたんじゃん。負けたから空手教えて」

 拳が飛んで来た。

それを避けたのに、続けての繰り出される足蹴り。

だけど、さっきの攻撃でいっちーの足の長さは分かったから大丈夫。

パッと脇へ避ける。

左からの突きを肘で受け止め、素早くそれをつかんだ。

「いっちーはさ、鬼、知ってるでしょ」

 すぐに振り払われる。

後ろに飛び退いた。

靴先が鼻をかすめる。

「だからみんな会ったことくらいあるって!」

 止まらない連続攻撃を受け止める衝撃で、手首から下の骨がビリビリと響く。

防戦一方では本当にこのまま押し切られそう。

間合いを見計らって距離を取る。

「ちょっと待った!」

 そう叫んでおいて、あたしは素早く制服のブレザーを脱ぐと床に投げ捨てた。

ブラウスの袖ボタンを外す。

「何? 本気でやんの?」

 身構えるいっちーの前で、その袖をめくった。

剥き出しになった腕を見た瞬間、彼女の動きはピタリと凍り付く。

「このアザがどういう意味か、分かるよね」

 左の二の腕は、あたしが昔鬼につかまれたところ。

その気配を感じると赤黒く浮かび上がる。

いまでも時折うずく痛みに、あたしは目を閉じた。

「鬼に会ったことがある人は沢山いても、このアザが浮かび上がる人は、そんなに多くはないんじゃない? あたしは同じ傷を持つ仲間を探してる」

 あたしはいっちーの目を見つめた。

「ねぇ、やっぱあたしと鬼退治に行かない?」

「そんなもん見せられたって、どうしようもないでしょう!」

 語気を強めそう吐き捨てる彼女は、また背を向けた。

「同情はするしかわいそうだとは思うけど、そんなもんで私を脅さないで」

「脅してない」

「私には出来ないの!」

 そう叫ぶ彼女はうつむいた。

窓からの夕陽が差し込む。

廊下の床に長い影が伸びていた。

「その傷のことは誰にも言わない。そんな卑怯なことはしないから安心して」

 いっちーは歩き出す。

「ねぇちょっと待ってよ、いっちーてばさ!」

 追いかけようとしたら、彼女は走り出した。

いっちーのくせにあたしより足が速い。

「待って! いっちーは何がダメなの?」

 階段を飛び降り、廊下を駆け巡る。

あちこちを探してみたけど、もう明るいミルクティー色の髪は見当たらなかった。

「くっそ……」

 絶対に彼女は仲間になってくれる。

てゆうか仲間になってもらう。

どうしてなのか分からないけど、あたしはそう感じているし、そうだと信じられる。

なのになぜかふと、教室でいつも独りでいる彼女の横顔を思い出す。

いっちーを悪く言う奴なんて、ここにはいない。

本当に心からいい子だって、みんな知ってる。

それなのにどうして、彼女は独りでいることを望むのだろう。
 翌朝、いつもより早く起きて学校に行った。

いっちーを待ち伏せするつもりだったのに、すぐ見つかって逃げられる。

休み時間にも昼休みにも、授業中だって手紙回してもらったりなんかしてみたのに、いっちーは届いた手紙をそのまんまポケットにねじ込んで見てくれない。

こうなったらもう、出待ちを決め込むより仕方がない。

あたしは放課後の始まりを知らせるチャイムと同時に、リュックを背負い校門へ走った。

高い城壁に囲まれたこの学校に、門は一つしかない。

「お、正解」

 入り口が一つなら出口も一つ。

あたしに気づいたいっちーは、露骨にイヤな顔をした。

「仕方ないじゃん、見つかっちゃうのは。ここしかないんだもん」

「ついてくんな」

「それは無理」

 駅までの一直線の道を歩く。

風は少し冷たくて、目の前で揺れるいっちーの淡いミルクティー色の髪はサラサラしすぎていて、あたしはいっちーにつけられた傷のことを思う。

「まーた瑶林の生徒か! お前らはいっつもいっつもうるさいのぉ!」

 駅バァだ。

うちの学校の制服を見ると、すぐ絡んでくる駅前の有名人。

私服で通ると何も言わない時もあるらしいから、別に誰か個人を特定してやってるわけでもないらしい。

とにかく目の前をうろつく他の女が大嫌いなバァさんだ。

「あんたらの散らかすゴミで、どれだけ周りが迷惑してると思ってんだ!」

 いや、あたしら今ゴミとか捨ててないし。

どこに住んでいるのかとか、名前とかも誰も知らない。

ただいつも駅前広場の決まった場所に陣取り、引いてきた椅子型キャリアバックに腰掛け、目についた女を罵倒し続ける白髪のヨボヨボ婆さんだ。

「なんじゃその目は! 汚い足晒しよって!」

 しわくちゃの拳を振り上げる。

カーッと喉を鳴らし、ペッと唾を吐いて威嚇してくる。

あたしたちはただ通りかかっただけなのに、その罵声のおかげで一身に注目を集めてしまう。

この世にいて迷惑なだけの婆さんだ。

「相変わらずウザいな」

「相手する方が負けだよ」

 駅前広場の人だかりから、ふいに声がかかった。

「あれ、一花?」

 一花とはいっちーの下の名前だ。

「あ、そっか。瑶林だもんね、高校」

 そう言った声の主は、恥ずかしそうに頭をボリボリと掻いた。

鬼退治の刀だ! 

腰に刀をぶら下げている。

漆の鞘に収まり、彫られた紋章は本物の証。

腰の柄に手を置くと、彼はそれをグッと押し下げた。

「お友達?」

 あたしを見下ろす。

いっちーは慌てて首を横に振った。

「違う! ただ近くを歩いてただけの人だから」

「何それ、いっちーひどーい」

 黒髪の背の高い彼は、にこっと軽やかな笑みを浮かべた。

その後ろにまた別の男の子が二人いる。

「お友達、鬼退治やってんの?」

 そう言ったのは金髪ロン毛。

「何だ。やっぱり一花も興味あったんじゃん」

 こっちは切れ長の目に細めの長身。

三人とも腰に刀がぶら下がる。

「いっちーの知り合い?」

 最初に声をかけてきた黒髪の彼は、変わらぬ優しい笑みを浮かべていた。

「そうだよ。俺らの師匠の娘さんだから」

 あたしはいっちーを振り返った。

何それ。

いっちーんとこは空手の道場かと思ってたけど、そうじゃないんだ。

「いっちー、鬼退治してんじゃん」

「あんたたちは黙ってて!」

 彼女はあたしではなく、その男の子たちをにらみつけた。

「一花は学校で『いっちー』って呼ばれてんの?」

「帰る!」

 いっちーは怒っている。

でもあたしは、もう少し話しがしたい。

「待って」

 彼女の袖をつかんだら、ガッツリ振り払われた。

足早に歩き出す背中を仕方なく見送る。

「あ、なんかゴメンね」

 最初に声をかけてきた黒髪の男の子は、そう言っていっちーの遠ざかる背中を視線で追いかける。

「一花はあまり、自分のことは話さないんだ。俺たちに」

「学校でもそんなにしゃべんないよ」

「だけど、道場ではいつもかいがいしく皆の世話をしてくれてて……」

「まぁ、世話好きではあるよね」

「それがなんだか、申し訳なくて」

 あたしはそう言った彼を見上げる。

「いっちーだからね」

「女の子だから」

 彼は腰の柄に手をかけた。

カチャリとこすれ合う音がして、あたしに手を振った。

「ゴメン。やっぱ一花のとこ行ってくる」

 いそいそと駅へ向かう彼の背を見送る。

金髪ロン毛の男の子が微笑んだ。

「じゃ、鬼退治頑張ってね」

「邪魔したな」

 もう一人の長身の彼もそうつぶやき、構内へと吸い込まれてゆく。

彼らはどこの学校の生徒なんだろう。

知らない制服だ。

あたしは手にしたこん棒を肩に担ぐ。

結局誰だか分かんなかったけど、そんなことに負けてらんない。
 鬼退治協会は、その活動を終了してしまった。

現在は残された公式の刀が使用されているだけで、新たに生産されることはない。

警察に返納する人も後を絶たなくて、それを手に入れたいと思うなら、譲り受けるより方法はない。

やっぱりいっちーの近くには、刀を持っている人がいる。

いっちーはそれを、欲しいと思ったことはなかったのかな。

 翌日の放課後になるのを待って、あたしは彼女を演武場に呼び出した。

鬼退治サークルを作りたいと、前々から学校申請して生徒会に臨時使用許可をもらっていた。

どれくらい待っただろう。

もう来てくれないのかと思い始めた頃に、ようやく門は開いた。

「私があんたに付き合うのは、これが最後だから。いい加減あきらめて」

「一緒に鬼退治しよう」

 しつこいとか言われても、気にしてる場合じゃない。

「色々と教えて欲しい」

「鬼退治の師範なんてどこにでもいるし。私は刀を持ってないよ」

「いっちーがいいの」

「もっと強くていい人いっぱいいるよ」

「いやだ」

「なんで?」

「どうしても」

「あんた、私に負けたじゃん」

 彼女を見上げる。

あたしは真剣で、彼女も負けずに真剣だった。

いっちーは続ける。

「私より弱いのに、なんで鬼退治なんて出来ると思った? 私ですら勝てない相手に、勝てるわけないし」

「どういうこと?」

「見たでしょ、昨日の」

 いっちーはその髪と同じ色をした淡い茶色い目を、あたしからそらした。

「昨日のあの三人はさ、うちらと同い年なんだよね。鬼退治を始めて、あっという間に帯刀者になっちゃった。私は小さい頃から父さんの道場で習ってたのに、一度もこん棒を握らせてもらったことがなくて……」

 彼女の視線は、あたしの前に置かれた二本のこん棒を捉える。

「どんなに頑張ったって、どうせ勝てないじゃない。あいつら、めっちゃ強いよ。人にはそれぞれ役割ってもんがあって、やれる人間がやれることやった方が……」

「いっちーは誰と戦ってるの?」

 用意していたこん棒の一本を、彼女の前に投げる。

鬼退治用の「こん棒」と呼ばれるその木刀は、床を滑りいっちーの目の前でピタリと止まった。

「いっちーは、何と戦ってるの?」

「……。私はこれを持つことすら、許されたことは一度もない」

「自分がやりたいんなら、やればいい。出来ないなんて誰が決めたの」

 あたしは自分の持つこん棒をくるりと一回転させた。

それを左右に振ってから正眼に構える。

「いっちー。あたしたちが戦っているのは周りにいる『誰か』じゃなくて『鬼』だよ。相手を間違えてる。人間の男だって敵わない『鬼』と戦うんだ。あたしには自分たちなりのやり方があるって思ってる」

「本当の『強さ』ってのを知らないから、そんなことが言えるのよ」

 いっちーはこん棒に目もくれず、両腕で手刀を構えた。

「やりたいって、欲しいって、自分で言ったことある?」

「どんだけあんたがバカなのか、教えてあげる」

 いっちーの足が空を斬る。

だけど、安全領域を理解したあたしには届かない。

着地させた足からの回し蹴りがこん棒を打ち付ける。

不意に詰められた距離に手元はふらついた。

腹に彼女の拳が入りそうなのを、なんとか避ける。

これでは近すぎて逆にこん棒が邪魔だ。

あたしは肘打ちで迎え撃つ。

互いに一歩も譲らない攻防は続いた。

一瞬の間合いを取る。

あたしもいっちーも息が上がり始めた。

「どう? 素人にしては上出来じゃない?」

 そんなセリフで時間を稼いでみる。

流れる汗を拭いこん棒を握りなおした。

これ以上の接近戦は避けたい。

いっちーは身構えたまま、静かに呼吸を整えている。

今度はあたしから間合いを詰めた。

こん棒の距離を生かしての打ち合い。

いっちーの動きが鈍い。

あたしは一瞬の隙をつき、その切っ先を彼女の左肩に押しつける。
「……あたしの勝ち」

 いっちーはそれでも動かなかった。

勝負はついた。

すぐにそれを脇に戻すとこん棒を下げる。

いっちーはもう、戦う気がなくなった? 

あたしは床にひざを付いて座ると、姿勢を正した。

「お願いします。一緒に鬼退治をしてください」

 指の先をきっちり丁寧に合わせ、深く頭を下げる。

彼女からの返答はない。

あたしはゆっくりと顔を上げ、彼女を見上げた。

いっちーは制服の上着に手をかけると、それを脱ぎ捨てた。

胸のリボンをほどき、シャツのボタンを外す。

はだけた胸から剥き出しの肩を晒して見せた。

「私のアザよ」

 彼女の白い肌が光に透ける。

いっちーの背後から伸びた醜い手が、彼女の肩をつかんだ。

太く長い指が細い肩をわしづかみにし、鋭い爪は肌を貫き切り裂く。

「この痛みが、あんたにも分かるって?」

 赤黒くくっきりと浮かぶその痕は今も鮮やかに、確かな痛みを持って彼女に疼き続けていた。

「私はね、いつもこの痛みを抱えてる。あんたと違って毎日毎日、朝起きたら、夜寝る時にも、何を見ても何を聞いても! 私のすぐ側にこいつらはいて、いつだって……『俺の存在を忘れるな』って……そうささやき続けて……」

 いっちーの頬を涙が伝った。

「鬼退治なんて、本当に出来るなんて思えない。私にもあんたにも、誰にも」

「その傷の存在を知っても、あんたのお父さんやその道場の奴らは、やっぱりいっちーには自分たちの背中に隠れとけって言うの?」

 あたしは立ち上がる。

彼女に近づき、その傷痕にそっと触れた。

「その傷を、今もまだ深くえぐり続けているものはなに?」

目を閉じる。

あたしは泣いているいっちーの額に自分の額をつける。

「大丈夫。あたしたちは戦える」

 彼女のむき出しになった肌を覆うためのブラウスのボタンを、一つ一つとめてあげる。

「悔しくはないの? ムカつかない? それで鬼退治が終わったら、どんな顔して『ありがとう』って言うの?」

 いっちーの涙は、いっちーだけの涙じゃない。

「あたしは弱くてマヌケでバカだから、殴られたら殴り返されても殴る。たとえ死んでもあいつらだけは許さない。あたしは自分の大切な人が誰かに殴られていたら、自分が死んでもやり返す」

 床に落とされたブレザーを拾い、肩にかけてあげる。

あたしはいっちーを抱きしめた。

「悪いのは、あたしやいっちーに傷をつけさせた鬼よ」

「本当に勝てると思ってる?」

「死んでも戦う。そうしないと、自分が後悔するから」

 あたしはいっちーに微笑んだ。

「あたしは自分のために戦うの。負け戦になるかもしれないけど、一緒に来てくれる?」

「頼りない」

「はは。いっちーが来てくれたら勝てるかも」

 彼女の腕が肩に回って、一緒に泣いた。あたしたちは独りじゃない。

「このこん棒、いっちーのだよ」

 差し出した鬼退治用のそれを、彼女は手に取った。

目と目が合って、彼女は静かに微笑む。

「全く。しょうがないな」

 そんな彼女の顔はとってもきれいだなと、あたしは改めてそう思った。
 いっちーと一緒に鬼退治サークルを作るとして、サークル認定されるためには部員が足りない。

いくら条例で『鬼退治をしようとする者は必要と認められた場合他に優先される』とはいえ、まぁそう簡単にいくもんでもない。

「ねぇ、一緒にベルト買いに行こうよ」

 いっちーはあたしに自分のスマホ画面を見せた。

「もも、何だかんだでまだ買ってないっしょ」

「欲しいとは思ってんだけどねー」

「ほら、これなんかどう?」

 いっちーが探してくれたのは、ピンクの細い革ベルトにお花やふわふわのついたかわいくてお洒落なやつ。

「かわいい」

「ね、いいよね!」

 いっちーはうれしそうに画面をタップする。

「ネットで注文しちゃう? 同じの2個頼む?」

 確定画面に進もうとして、指が止まった。

「やっば。これ5万もする! あームリムリムリ」

「いっちーんとこので、何かいい感じのないの?」

 彼女はそのまま超高速タップでスマホ検索を続けている。

「あんなのやだ。かわいくないもん」

 昼下がりの放課後はどこまでものんびりで暖かくて、あたしは学校を取り囲む高い城壁にもたれて、襲い来る眠気と激しい死闘を繰り広げている。

「ねぇもも。コレは? あ、待って。もっと安いの探す」

「いっちーがいいなら何でもいいよ……」

 寝落ちしそうだ。

横を向こうと片膝を立てると、スカートの裾は太ももを滑った。

芝生の絨毯を踏むわずかな足音が聞こえて、いっちーもそれに反応する。

「うわ。マジだ」

 猿木沢さんだ。

「バカが増えてる」

 彼女は仁王立ちであたしたちを見下ろした。

おっぱいが大きすぎて顔が全部見えない。

「誰がバカ? お前?」

「何その棒」

 いっちーは彼女をにらみ上げる。

猿木沢さんはフンと鼻を鳴らした。

「堂々とこん棒担いで歩いてるバカが現れたと思ったら、早速感化されたバカが増えたって聞いてさ。信じられなくて見に来たの」

 猿木沢さんは呆れたようにため息をついた。

「マジでガッカリ」

「じゃあわざわざ話しかけてくんなよ。サルが」

「脳筋のくせに口答えしてくんなや」

 いっちーはこん棒をつかんだ。

立ち上がろうとするその腕をつかむ。

「いっちーやめな」

「あんたが、ももね」

 猿木沢さんはあたしを見下ろす。

「同じ学校にいるのも恥ずかしいから、さっさとやめてよね」

 その一言だけを残して、彼女は立ち去った。

金色の短すぎる髪が日の光を反射する。

なんでそんなことをわざわざ言いに来たんだろ。

いっちーはその背中に向かって吠えた。

「なにアレ? それを言うためだけにうちらを探して来たの? そっちの方がバカじゃない?」

「あの子知ってるの?」

「知らん!」

「えらい絡まれるじゃん。いつも」

「知らないよ。知らないけど、何かいっつも喧嘩売られてる」

 あたしはいっちーを見つめた。

「好きなんじゃない?」

「なんでだよ!」

 このままここに居ても仕方がないので、あたしたちは学校を出た。

もういっそ近くのどっか売ってる店でベルトを買ってしまおうかという話になって、そこへ向かう。

大型ショッピングモールはいつだって賑やかで、ここにくればとりあえず一番最初にアイスを買うのはお約束。
「ももはなに?」

「コーヒーショコラアーモンド」

「いつものやつだ」

「いっちーは?」

「ベリーベリーベリー」

 アプリの期間限定ポイントが余ってるとかで、それを使って30円引きになった。

「あれ? ももじゃん」

「むーちゃん?」

 振り返ると、むーちゃんと猿木沢さん、他に知らない子が二人。

「ももは相変わらずソレなんだね」

 むっちゃんにアイスを差し出す。

彼女はそれを一口かじった。

「買いに来た?」

「うん。ポイント使いに」

「余ってるよ」

「あ、欲しい」

 スマホを取り出す。

あたしといっちーの周りをむーちゃんたちが取り囲んだ。

猿木沢さんは何でもないみたいな顔をして、少し離れた位置から横を向いている。

「名前は? なんて呼ばれてんの?」

 あたしはむーちゃんに聞く。

「猿木沢、さーちゃんだよ」

「さーちゃんはいいの?」

 あたしがそう呼んだら、彼女はムッとした顔をした。

「スマホ出しなよ。ID交換しよ」

「あ、そのスマホケースかわいい」

 いっちーがそう言うと、さーちゃんは彼女をギロリとにらみ上げる。

あたしはいっちーが舌打ちしたのを聞き逃していない。

そのむーちゃんたちと別れて先に座っていたテーブルに、むーちゃんたちは当然のようにやってきて腰を下ろした。

「あ、ココナッツパイン?」

「ピーチオレンジ買ってみた」

「ミルクキャラメル塩バター!」

 無言のさーちゃんが食べてるのは、きっとバニラバニラバニラだ。

女子高生が6人集まれば、みんなそれぞれに違う味を買って、一口もらったり交換したりとかもする。

まず学校と先生の悪口が始まって、やがてそれはゲームとか動画の話題に移る。

テーブルに立てかけてあったあたしのこん棒に、何かが当たった。

「こんなところにこんなモンが置いてあったら、危ないだろうが! 周りのこともちょっとは考えろ!」

 四十過ぎくらいのおっさんだ。

あたしたちのテーブルをギロリと見下ろす。

こん棒はちゃんと邪魔にならないように立てかけてあったから、このおっさんがわざわざ近寄ってきて足を出さない限りはぶつからない。

「なんだ? こんなところで女子高生だけで集まって、鬼退治の相談か?」

 その顔に気色悪い笑みを浮かべた。

「俺もな、昔やってたんだよ鬼退治。ちょこっとだけどな。教えてやろうか?」

 手を左右に振っている。席を空けろとのサイン。

「え、頼んでませんけど」

 いっちーが言った。

「誰ですか?」

 あたしはぼんやりと、ここでこん棒振るには狭すぎるなー、どうしよっかなーとか考えている。

「は? なに? このオ、レ、が! 教えてやろうかって言ってんの。分かる? ありがたい話しだろうが」

 男は急にぐにゃりと表情を変えた。

自分では「優しい笑顔」のつもりらしい。

「君たちだけじゃ不安でしょ? 俺が付いてちゃんと教えてやるからさ」

「いらねーよバーカ。さっさと帰れや」

 あたしの言葉に、男の顔色は変わった。

「あ、それ、私の彼氏のです。今トイレ行ってるんですけど」

 金髪坊主のさーちゃんが、男の蹴ったこん棒を指さした。

男の視線はパッと彼女に移る。

さーちゃんはにっこりと微笑んだ。

「私の彼氏、つい最近鬼退治始めたんで」

「あぁあぁそうかそうか。じゃ、そっちに聞けばいっか」

 驚くほどの猛スピードで男は消える。

人間、あんな機敏な動きが出来るものなのかと逆に感心した。

「え、彼氏いたの?」

 いっちーは小声で尋ねた。

さーちゃんの眉間に思いっきりしわが寄る。

「んなもん、いるわけねーだろ」

 どっと周りにいた三組メンバーは笑った。

「いつものワザだよね。さーちゃんの妄想彼氏」

「男は男だせば引っ込む説の証明」

「ムカつくよねー」

 さーちゃんはフンと鼻を鳴らす。

「こんなところでこん棒振り回そうとか、頭おかしいだろ。だから鬼退治してる奴はバカにされんだよ」

 いっちーがガタリと立ち上がった。

完全に頭に血が上っている。

「やめなよ。アイス溶ける」

 いっちーは何かを言いたげにあたしをにらんできたけど、本当にアイスが溶けちゃう。

「これからベルト買いに行くんだ」

「そっか。好きにしなよ」

 金髪坊主の美少女はにっこりと微笑んだ。

「じゃ。私たちもう行くね」

 さーちゃんたちと別れて鬼退治関連グッズ売り場に移動してきても、いっちーはまだ腹を立てていた。
「何なのアイツ! あの金ザル! あっちの方が頭おかしいんじゃない?」

 雑貨屋さんの一角にもうけられた鬼退治関連グッズコーナーには、わずかな商品しか置いてなくて、置いてあるのも鬼避けのお守りとか防犯ブザーみたいなのばっかりだ。

「あ、この根付け同じのにしようよ」

「かわいい」

 こん棒や柄につけるアクセサリーばかりで、探していたベルトはすぐにちぎれてしまいそうなファッション性の高いものしかない。

あたしはふと帯刀したいっちーの男友達の姿を思い浮かべた。

重い真剣を一日中ぶら下げて、実戦に耐える実用性重視のしっかりした作り。

あの刀は誰から譲り受けたんだろう。

「ねぇ……」

「ん? なに」

「……あ、やっぱなんでもない」

 それを聞いてはいけないような気がした。

それを彼女に聞けるようになるのは、少なくともあたしたちが帯刀者並みに認められてからだ。

こん棒すら握らせてもらったことがないといういっちーに、そんなことはまだ聞けない。

ビニール製のすぐにすり切れてしまいそうな帯刀用ベルトは、重いこん棒をぶら下げるには余りにも頼りない。

それを手に取ったいっちーの横顔も沈んでいる。

そうだよね。

あたしたちの望んでいるものは、こういうものじゃないんだ。

「あんまりいいのないね」

「……帰ろっか」

「うん」

 一番に望んでいるものは、実は自分たちの間近にあって、本当はそれを分かっているけど何にも言えないのは、やっぱり自分たちにはふさわしくないんじゃないかとか、頑張っても無理なんじゃないかとか、そんなふうに迷っているから。

本当にやり遂げられるんだろうかとか、それで出来なかったらどうしようとか、そしたらでかい口叩いたくせに周りに迷惑かけちゃうなとか、そんなことばかりを気にしている。

駅まで戻ると、いつものように駅バァがいた。

「またそんなもん持ちまわりよって! ろくになぁーんにも出来ん奴ほど、下らんことにばっかり手を出しよる!」

 くしゃくしゃのつまらない婆さんのクセに、声だけは誰よりもでかい。

「いつまでもフラフラふらふら遊び歩かんと、やることせんか!」

 知っている人にとってはいつもの風景だし、ランダムテロだって分かってるけど、初めて聞くような人たちはすんごいびっくりしたような顔をして、あたしたちを見てくる。

その群衆の中にさーちゃんの姿があった。

「何よ。結局ベルト買ってないんじゃん」

 彼女を見た駅バァは、急に大声で笑い始めた。

「出たな黄ザル! お前はまたヘマをやらかして坊主にされたんか! いつまでたっても成長せんのぉ!」

 下品な笑い声が小さな広場に響き渡る。

彼女は駅バァをチラリと見ただけで、全く気にしていない。

「買わなかったの?」

「いいのがなくて」

「かわいいの?」

 さーちゃんのその挑発的な物言いに、いっちーの眉がピクリと動く。

「残念だったね!」

 彼女は満面の笑みを浮かべた。

「黄ザルは今度は何をやらかしたんじゃ! 相変わらず成長せんヤツじゃのう! 頭悪いんか!」

さーちゃんはあたしたちに向かって大きく手を振るふと、ホームに姿を消す。

「何なのアイツ!」

「あたしもちゃんと探してみるね、ベルト。明日からはちゃんと練習もしよう」

 そう言ったら、いっちーは大人しくうなずいた。

「私もちょっと勉強してくる」

「うん」

「バカはバカ同士でつるんどんか! 腐っとる!」

 その場で別れる。

あたしはこれからのことを色々と考えなから、前へと踏み出した。
 やりたいことのある放課後というやつは、どうしてこうも来るのが遅いのだろう。

終業のチャイムが鳴ると同時に、あたしは立ち上がった。

いっちーと肩を並べて進む廊下は、走っているのか踊っているのか分からないくらい。

「ねぇ、昨日送った動画、いいでしょ?」

「見た見た。一緒にアレ、やってみよう!」

 鬼と対峙したときの剣の使い方、振り方とその立ち回り。

昔と違って鬼退治をしようとする人は随分減ってしまったけど、それでも居なくなったわけじゃない。

鬼はいる。

姿は見えなくても、まだあちこちに。

 鬼退治サークル創立の申請はしているけど、まだ許可が下りているわけじゃない。

創立のための活動許可が下りたら規定に沿ってメンバーを5人以上集め、顧問の先生を探さなければならない。

全ての条件が整ってから再び審査を受け、それに合格してからようやくスタートだ。

 校舎裏の芝生に入り込むと、制服を脱ぎ捨てた。

スカートの下に元々半パンを着ていたから大丈夫。

3分で着替え終えたあたしたちは向かい合った。

「動画の初級編、その壱?」

「そっからだね」

 こん棒を振り下ろす。

ぶつかり合ったそれはカツンと小気味よい音をたてた。

空高くまで響き渡る。

「やだ、ゆっくりやらないと、ももに当てちゃいそう」

「寸止め寸止め」

 いっちーは空手ばかりでこん棒を持ったことはないって言ってたけど、道場でずっと練習している人たちを見ていたから、それなりに上手い。

基礎体力もかなりある。

あたしのはどれも独学の見よう見まねで、なんともならなかった。

すぐに腕もだるくなって、その場に座り込む。

「疲れるー」

 校内をぐるりと取り囲む赤茶色の高い壁は、いつでもあたしたちを守ってくれている。

もたれるとひんやりと冷たくて気持ちいい。

「見て。新発売のレモン炭酸」

 いっちーはペットボトルの新商品を取り出す。

蓋を開けると爽やかな炭酸が耳に弾けた。

あたしはリュックの中からお気に入りのミルクティーを取り出す。

「あ、うちから持って来たクッキーもあるよ。食べる?」

「ももんちの?」

 鬼退治の仲間が出来たってママに言ったら、一緒に食べなさいって持たせてくれた。

「わ、やった!」

 袋を開けたら、すぐに甘い匂いが漂う。

「おいしい」

「でしょ?」

 こうなってしまったら、もう誰にも止められない。

美味しいお菓子と気の合う友達がいれば、おしゃべりはどこまでも続く。

そっちに夢中になりすぎて、あたしたちは近づいてくる他の人の気配に気づいていなかった。

「ねぇ、サボってんのなら、ちょっと貸してよ」

 転がっていたこん棒を取り上げたのは、さーちゃんだ。

いっちーの舌がチッとなる。

「あんた鬼退治に興味ないんでしょ。だったら……」

「いっちー、ストップ」

 あたしはいっちーの次の言葉を遮る。

「ふん。あんたたちの頭が悪すぎるから興味あんのよ」

 彼女はこん棒を肩に担いだ。

「重た! 何コレ」

 そう言ってうれしそうに笑う。

「こんなの担いで振り回したって、体力じゃ鬼に勝てないよ」

 さーちゃんはニッとあたしたちを見下ろした。

「鬼のこと、ホントに知ってんの?」

「あたしはさ……」

「うるっさいな、興味ないなら来んなよ!」

 いっちーが吠えた。

「テメーに言われる筋合いはねぇ!」

 あたしはため息をつく。

それは彼女が一番言われたくない言葉。

「そうやってすぐに吠えるクセ、直しなって言ったよね」

 さーちゃんの挑発に、あっさり乗っかってしまう。

いっちーはこん棒を握りしめた。

「私は世界最強女子になるんだから!」

「あはは、なにそれ、おもしろーい」

「いっちー、あたしも! あたしも世界最強女子になる!」

「ももが世界最強になったら、私が世界最強になれないじゃん」

「えぇ、そこは一緒になろうよ」

「う……」

 顔を赤らめたいっちーは小さくうなずいた。

「うん。いいよ……」

「なに言ってんの、一番は私よ!」

 さーちゃんはこん棒を振り回す。

「あんたたちなんかに、絶対負けないんだから!」

 彼女はバトンのようにこん棒をくるくると回転させると、パッと脇に挟んでポーズを決めた。
「なによ、あんたやっぱり鬼退治に興味あるんじゃない」

「ないって。チアでバトントワリングやってるからだし」

 さーちゃんはあたしのこん棒を構えている。

「あんたたちみたいなハンパなのが、鬼退治するとか言ってるのが、ムカついてるだけ」

「やっぱあんたには負けらんない」

 さーちゃんといっちーは互いにこん棒を構え向き合う。

あっという間に打ち合いが始まった。

 何だかんだ言っても、この二人は仲良しなんだと思う。

あたしはママのクッキーをかじりながら、二人の様子を見ていた。

まっすぐに突っ込んでいくタイプのいっちーに対して、さーちゃんは柔らかな体の特徴を生かし、ひらひらと身軽にそれを交わしてゆく。

ぶつかり合うこん棒の音は、どこまでも軽やかで新鮮だった。

カツン!

 一段と高く、乾いた木のぶつかる音が響いた。

二人の手から同時にこん棒が弾けとぶ。

丸腰になってしまったいっちーとさーちゃんは、にらみ合い、手刀を構えたまま動けない。

「ね、一緒にクッキー食べよう」

 あたしは相変わらずママのクッキーをかじっている。

「おいしいよ。たくさんあるから、ね」

 その言葉に、ようやく二人は腰を下ろした。

今日はお日さまぽかぽかいい天気。

ケンカをするにはもったいないような日には、仲良くした方がいい。

そのまま芝生の上で三人でクッキーを食べ終えたら、すっかり日の傾いた道を駅まで歩く。

あたしの右側にはいっちーがいて、左にはさーちゃんがいた。

「ね、あたしたちもID交換しようよ」

「好きにすれば」

 放課後はたこ焼きを食べるのがいつものお約束。

フードコートの空いていた席を見つけてそこに座った。

「さーちゃんはなんでそんなに鬼退治を嫌がるの?」

「別に。嫌がってはないよ」

 熱々のたこ焼きの上でかつお節が踊る。

あたしたちはパック詰めのソースを一つ一つのたこ焼きに丁寧にかけている。

「こん棒が恥ずかしいだけ」

 結局まだベルトは買えていなくって、それは未だ丸テーブルの横に立てかけられている。

「別に持ってたって恥ずかしくはないよ。これは決意表明だから。負けませんっていう、証」

 さーちゃんはマヨネーズを端っこにまとめて出すタイプ。

竹串でそれをすくってソースの上にのっけると、プスリと突き刺した。

「そんなもんが決意表明になるんだったら、ラクでいいよね」 

 大きなたこ焼きをあーんと一口。

熱かったのか両手で口を覆ってはふはふしてる。

放課後の時間帯のフードコートは、いつだって人でいっぱいだ。

「なぁあのコ、何か食べ方ヤらしくない?」

 すぐ隣に座る男子高校生のグループからだ。

さーちゃんを見て笑っている。

「なにあの頭。丸坊主だし」

「だっせー。かっこつけてるつもりなわけ?」

「胸でかいのにもったいねー」

「あんなんで鬼退治とかマジ?」

 こちらにわざと聞こえるようにしているのはバレバレだ。

気にしても仕方がないので放置している。

そのうちに話題も変わるかと思っていたのに、向こうにそんな気はないらしい。

かまって欲しいのなら、もうちょっとやり方考えろよとは思う。

言い返そうと振り返ったあたしの腕を、さーちゃんはつかんだ。

「おいしい! こんな熱々でおいしいたこ焼き食べたの久しぶり。病院じゃ出てこないから」

 彼女は目尻を拭う。

「抗がん剤の副作用が強くて、髪も胸もこんなになっちゃったけど、外でものが食べられるってだけでなんか幸せ」

 さーちゃんは微笑む。

いっちーは彼女を見つめた。

「え……。そうだったの?」

「うん。だから……いつも無理言ってゴメンね」

 見つめ合う金髪の坊主頭とミルクティー色の長い髪。

いっちーはさーちゃんの手を取った。

「ご、ゴメン。私、そんなこと全然知らなくって……。それで、それで……」

 いっちーはさーちゃんの手を握りしめたまま涙ぐむ。

あたしは分かりやすく背を反らし、隣のテーブルをのぞき込んだ。

「たこ焼き、おいしいね!」

 そう言ってにらみつけると、ヤジを飛ばしてきた連中はコソコソと立ち上がり、すぐに視界から消えた。

本当に面倒くさい。

「ゴメンね。さーちゃん。私も猿木沢さんじゃなくって、さーちゃんって呼んでもいい?」

 いっちーの頬に涙が流れた。

「わた……、私も、さーちゃんとID交換したい」

 ぽろぽろと涙をこぼすいっちーの手を、ふいにさーちゃんは振り払った。

「って、そんなのウソに決まってんじゃん、あんた本気でバカ?」

「え?」

 あたしはもうどうしていいのか、半分分かんない。

「まぁ、ホントじゃないのは分かるよね。だってさーちゃん元気だし、毎日学校来てるし」

 いっちーはあたしを見下ろす。

その本気でびっくりしている表情に、なんだか申し訳なくなって、無言になってしまった。

いっちーの体は怒りに震えている。