自分で言うのもなんだけど、成績はなかなか良かった。
理系科目も文系科目もそれなりに上位にいた。
特に数学は得意な方だった。
ただ、数学って何のために勉強して、日常生活、そして、今後の人生の中でどう役に立つのかわからなかった。
でも、何となく解くのは好きだったから、理由や目的なんか考えることなく目の前の問題を解いてきた。
その答えが今、明らかになった。
こんな日を迎えるために、俺は数学を勉強してきたのかもしれない。
図書室で一緒に勉強なんて、ちょっと青春してる感がある。
しかも女子と図書室で待ち合わせなんて初めてだ。
よく園田を待つときに時間つぶしに立ち寄ったりするぐらい。
今日は坂井さんと待ち合わせ。
坂井さんは掃除当番なので終わってから来る。
俺は図書室に足を踏み入れた。
人はほぼいない。
図書委員が二人いるぐらい。
入った瞬間、古い紙の匂いに体が包まれてピリッとなる。
グループ学習ができるように机をつなげている席が部屋の中央にいくつかある。
俺はその一つに腰を下ろした。
いつものなじみの席だ。
図書室は人を待つには最高の場所だと思う。
だって、こんなに本がたくさんあるのだから。
別に気難しい本とか辞書や事典を読んでいろというわけではない。
図書室には雑誌だってあるし、奥の方には漫画だってある。
ただ来ないから、みんな知らないだけ。
特に読みたい本があるわけじゃない。
ただ、俺は図書室という場所が好きなのだ。
ずらりと並ぶ本を眺めるのが好きなのだ。
だから、本屋も好きだった。
どうして好きかと聞かれても、理由なんてない。
何となく好きなのだ。
本を読むのも嫌いじゃない。
だから、目に留まった本ならどんな本でもとりあえず手に取る。
ファーストインプレッション、第一印象や直感は大事にしている。
__一目惚れも、直感の類だよな。
俺は自分に確認するように問いかけた。
あのテスト終了後の光景がすっと脳裏に蘇ってきて、目の前に並ぶ文字が急に読めなくなる。
首筋に何となく残る感覚をふと思い出してくすぐったくなった。
ぼんやりと文字だけを眺めていると、人の気配を感じた。
坂井さんが俺から少し離れたところに立っていた。
「ごめん遅くなって。部活大丈夫?」
周りの静けさを気にして小さな声で問う彼女に、「大丈夫、大丈夫」と俺は軽く返事をした。
本をもとの場所に返しに行ったけど、どんな本だったのかさっぱり頭には入っていなくて、題名すら覚えていなかった。
席に戻ると彼女は俺が座っていた椅子の隣に腰かけて、教科書やノートを取り出していた。
俺は特に意識することもなく元の席に座った。
だけど、座った瞬間、体が固まった。
彼女との距離が、こんなにも近い。
彼女が動くたびに、彼女の衣服がすれる音や動作のひとつひとつが直に伝わってくる。
急に心臓が早く動き始める。
でも、座ってしまったものはしょうがない。
席を移動したら不自然だろ。
だけど、平静でいようとすればするほど、彼女の存在を意識してしまって鼓動が早くなる。
__坂井さんは、どうなんだろう。
ちらりと横目で彼女の姿を確認した。
シャープペンを握った手で頭を抱えて教科書とノートに目を落としている。
その態勢のまま、彼女は一向に動かなかった。
どこがわからないのか、その様子を見れば聞かなくても何となくわかった。
つまり、全部だ。
たぶん、教科書のもっと前の方から。
なんでわかるかというと、園田と同じ反応をしてるから。
園田のことを思い出すことで、体の力が少しだけ抜けた。
ふーっと息をひとつ吐いてから、俺は教科書を手に取った。
まずは教科書をずいぶん前に遡ってどこまで理解しているか確認していく。
本題に戻ってくるまでには結構な時間がかかった。
だけど最終的に彼女はちゃんと理解して解けるようになっていた。
のみ込みは早いのに、どうして躓いているのだろう。
「じゃあ最後に、俺に教える感じではじめから説明しながら解いてみて」
ぼそぼそと聞こえてくる、自信なさげな声。
眉間にしわを寄せる苦しそうな顔。
ノートや教科書をなぞる指先。
シャープペンを握る右手。
__ああ、だめだ。
やっぱりだめだ。
園田の姿を思い出しても、隣にいるリアルな彼女の空気感には、かなわない。
俺の説明を聞く時の真剣な顔。
「わからない」と言葉にしなくてもわかってしまう素直な仕草や表情。
動くたびにふわりふわりと俺の鼻をくすぐる髪。
そして、もうあと少し手を動かしてしまえば触れてしまえる距離にある右手。
カッターシャツが何度も擦れ合うたびに、俺は彼女にはわからないように息を漏らした。
「どうだった?」
その言葉で、はっと意識が戻された。
気づくと、彼女と目が合っていた。
俺は、言葉が出てこなかった。
胸が苦しすぎて、口元が震えていた。
「どうだった?」と聞かれても、彼女の説明はほぼ耳には入っていなかった。
上目遣いのその目に、俺はあの日のように動けないでいた。
「……お、面白すぎ。必死感がすごい」
絞りだした言葉は、俺の心臓の高鳴りをごまかしきれただろうか。
「え?」
もう耐えられなくて、思わず目をそらした。
「余裕なさすぎでしょ」
必死なのも、余裕がないのも、俺の方だった。
なんとか気持ちを持ち直して彼女をちらりと見ると、彼女は不服そうに唇を立てて眉間にしわを寄せている。
「もう、こっちは真剣なんだからね」
「見てたらわかるよ」
__見てたらわかるかな、君のこと。
もっと知りたい。
もっと見ていたい。
触れてみたい。
彼女はふーっと息を吐いた。
やり切った満足感のあるすがすがしい表情に、思わず顔が緩む。
頬杖をついていた手が自然と動いて、彼女の頭を包み込もうとしていた。
だけど、その衝動を、俺はぐっとこらえて、腕をおろした。
「よくできました」
その言葉の中に、すべての欲望をしまい込むのが精一杯だった。


