青いはちまきの走者がこちらに近づいてくる。
「次、青」
と僕が指示を出すと、青いはちまきを巻いて爽やかに笑みをたたえる本田が出てくる。
ここですでに、女子の声援が熱い。
「次、緑」
と指示を出すと、緑のはちまきをした広瀬が精悍な顔つきでスタートラインに立つ。
ここでさらに歓声が上がる。
「次、赤」
赤いはちまきをしたあいつが、すっと空気のように出てくる。
歓声は変わらない。
だけど、きっと僕だけが、あいつの異変に気付いていた。
あいつの目は、鋭かった。
いつものあいつからは想像できない、静かに戦う目だった。
その目がとらえているのは……。
その目に気持ちを奪われている間に、本田がリードをとって出発する。
そのあとすぐに広瀬が出発する。
あいつはまだ、リードすらしていなかった。
ようやく赤のはちまき走者が近くに来ると、あいつはリードを少しずつとって、バトンを受け取った。
その瞬間、ものすごい速さであいつは駆けていった。
半周弱遅れていたはずなのに、ぐんぐんと広瀬と距離を詰めていく。
コーナーに差し掛かっても、あいつのスピードが落ちることはなかった。
だけど、広瀬と距離を詰めていくあいつの目が広瀬を追いかけていないことに、僕はとっくに気づいていた。
あいつが見ているのは、ただ一人。
本田だ。
広瀬と並んだのも束の間、一気に追い抜いていく。
歓声がどっと上がるのが肌で分かった。
でも、あいつのスピードは全く落ちない。
それどころか、ぐんぐん上げていく。
スタートした時は半周以上遅れていたのに、もう本田の真後ろにいる。
そして、あっという間に並んだ。
周りの歓声がますます大きくなる。
「おい、園田、指示出せ」
その戦いぶりに、僕は見入ってしまって、自分の仕事をすっかり忘れていた。
__指示って言ったって……
「次は……」
二人が並んで走る。
もうすぐそこに、二人が見えている。
顔を苦しそうにゆがませる本田と、まっすぐと鋭い視線をたたえたあいつ。
僕の判断は……
「赤だ。次、赤!」
正直どちらがリードをしているのかここまで来てくれないとわからなかった。
それぐらい接戦だった。
最後の判断は、あいつの鬼気迫る表情に押されたからと、友情援護だと思う。
ズルいかもしれないけど。
次の走者がスタートラインに入ると、すぐにリードを始めた。
あいつは腕を思いっきり伸ばしてバトンを次の走者に渡した。
バトンが渡ると、あいつの足はもつれて何かに引きずられるようにグラウンドに倒れこんだ。
あとから走ってきた広瀬が次の走者にバトンを渡すと、すぐにあいつの脇のあたりから手を入れて、トラックの中に引きずり込んだ。
あいつはそのまま動けないでいた。
「はあっ、はあっ」と息に混ざって出てくる声が悲痛だった。
あいつはようやく動いたかと思ったら、そのままごろんと大の字になって寝転んだ。
胸のあたりがまだ大きく動いている。
あいつの健闘もあって、一位は赤だった。
みんなに称えられて、体を支えられて、あいつは退場門をくぐっていった。
僕も仕事を終えて選手控え席に行くと、あいつはまだ「はあ、はあ」と呼吸を荒くしていた。
ペットボトルを大きく煽って、すがすがしい顔をしている。
「大丈夫かよ」
「おう」
短く返事をしたあいつは、少し笑っていた。
本当に大丈夫そうだ。
「全速力なんて、らしくないなあ」
「そうだろ。本気出してやった」
「出しすぎじゃない?」
ふっとあいつが笑う。
こんなに苦しそうなのに、なんだか満足そうだった。
「勝見くーん」
後ろから甘ったるい声がして、あいつと一緒に振り返ると、応援団の女性陣がやってきた。
さらしを巻いた上から法被を着ただけの格好で、目のやり場に困った。
その中に、吉川さんがいたんだ。
かわいらしいのに、そんなセクシーな格好もよく似合っていた。
「すごかったよ。かっこよかったー。よくやった」
そんな風に褒められても、あいつは「あ、どうも」と言うだけだった。
呼吸がだいぶ落ち着いてきたあいつは、ふと何かを見つけて嬉しそうな顔を作った。
先ほどの鋭い視線からは想像もつかないくらいの、優しくて穏やかな目だった。
その視線の先には、青いはちまきをした、坂井さんがいた。
坂井さんはあいつと視線を交わして、小さく笑っている。
まるで、何かが通じ合っているみたいだった。
目で会話するって、こういうことだと思った。
まさにこれだと思った。
静かな、秘密めいた、二人だけの会話。
どんなことを語り合ったのだろう。
僕にはきっと、一生わからない。


