バスに戻ると、もう勝見君が座っていた。
私が戻ったことに気づくと、席を立って私を窓際に入れてくれた。
すぐに点呼が始まって、じきにバスは出発した。
バスがしばらく走ると、ざわざわとしていた車内がいつの間にか静かになっていた。
みんな寝てしまったのだろうか。
勝見君はどうしているんだろう。
ちらりと横目で確認すると、ふと気になることがあった。
勝見君は先ほどまで学ランを着ていたはずなのに、今はカッターシャツだ。
どうして気になったのかというと、勝見君の学ラン姿は珍しくて、学ランを着ていると、その姿が新鮮でドキドキしてたからだ。
修学旅行中も、勝見君はほとんどカッターシャツだった。
京都から出発するときは着ていたはずなのに、その学ランが脱がれていつものカッターシャツ姿になっているのが残念だった。
「勝見君、学ランは?」
私は自分でもビックリするぐらい自然と声をかけた。
周りが寝静まっているので、本当に小さな声で聞いた。
その声に、勝見君はピクリと体を反応させて、私を驚いた目で見た。
「ああ、バスの中暑くない? 狭いから窮屈だし」
「そう、だね。
勝見君って、普段からあんまり学ラン着ないよね。
いつもカッターシャツのイメージ」
「学ランは窮屈だから。腕とか首回りとか。
こんなん着て勉強しろっていうのが間違ってると思わない?」
「うーん……確かにカッターシャツの方が動きやすそう。
学ランかっこいいんだけどなあ。
勝見君の学ラン姿も好きだし」
__あれ。私、何言ってるんだ?
無意識にそんなことを言ってしまった。
ちらりと横を見ると、勝見君の首元が目に入る。
__あ。
私はその首元から目が離せなくなった。
__触れたい。
耳に入るのは、バスが加速するエンジン音やタイヤの音だけだ。
起きているのはたぶん、ひそひそと話し合う私たちだけだ。
私は小さな声で話を続けた。
「でも、学ラン脱ぐときは気を付けないと。
カッターシャツの襟、おかしいよ」
私はそう言って、勝見君の左の首元に右手をかけた。
勝見君との距離が一気に近くなった。
体のすべての部分が勝見君と触れてしまいそうだった。
勝見君の顔も近くなって、バスの中がしんとしているせいで息遣いまでがしっかり聞こえてくる。
指先が勝見君の首筋をなでると、皮膚の感触や体温が一気に伝わってくる。
__温かい。
ふと視線を上げると、勝見君の顔が先ほどよりもぐっと近くなっていた。
まるで吸い込まれているように、顔がだんだん近くなる。
体中に電流が流されているみたいに、びくびくしていた。
どんっ、と急に前の座席が揺れて、意識が引き戻された。
一気に恥ずかしさが押し寄せてきて目をそらした。
心臓の動く速さは、もう限界を超えていた。
とりあえず襟をささっと整えてあげて、「はい、もう大丈夫」なんてそっけなく言って、私は自分の座席に座りなおした。
たったそれだけなのに、息が上がっていて、勝見君にバレないように大きく深呼吸をした。
それでも、胸の苦しさは変わらなかった。
吸っても吸っても、酸素は足りなかった。
あのまま私たちは、どうするつもりだったんだろう。
予測するだけで、顔が熱くなった。
__私のこと、どう思ってる?
教えてほしい、勝見君の心の中。
ちらりと横を見ると、勝見君は腕を組んで目を閉じていた。
なんで私だけこんなにドキドキしていて、なんで勝見君はいつも平気な顔してるんだろう。
なんでこんな時に寝てられるんだろう。
私の目線より少し高い位置にある勝見君の顔を、恨めしげに見た。
すぐそこには、勝見君の体がある。
捲くり上げた長袖のカッターシャツからのびる長い腕。
この腕が、私を抱きしめたんだ。
あの日のことを思い出して、ドキドキしてくる。
もう一度、なんて、あるのかな。
腕から肩に向かって視線を走らせた。
勝見君が醸し出している空気感が、じわじわとこちらに伝わってくる。
__触れたい。
勝見君のぬくもりを、もう一度感じたい。
この腕に、もう一度……
もう一度、勝見君の顔をちらりと見る。
__寝てる、よね?
私もすっと目を閉じた。
こういう時、なんて言うんだっけ?
ほら、古典で習ったじゃん。
ああ、そうだ。
__ええい、ままよ。
息を一つふーっと吐きだして、私はゆっくり体を傾けた。
頬から伝わるカッターシャツの感触と、匂い。
大きく吸い込むと、鼻から甘いため息がどっと出る。
__もう少し、もう少し。
ゆっくりと勝見君に体重を預けていく。
頭がしっかり肩に触れて、腕同士が重なったとき、勝見君の体が動いた。
勝見君は組んでいた腕を離して座面に手をつき、ゆっくりと体勢を直した。
もう後戻りできない。
こんなことをして顔なんて合わせられない。
私はこのままの体勢で行こうと決めた。
うっすらと目を開けると、勝見君の手が見えた。
まだ座面に手を置いている。
__触れたい。
まただ。
もう我慢できなくなっている。
私はスマホを握っていた左手をストンと落とした。
勝見君の手があるところに。
勝見君の手がぴくんと反応する。
勝見君の小指に触れた私の小指は、どうしようもなく勝見君に甘えたがっている。
勝見君の体温が指先からじわじわと伝わってくると、熱くなった血液が体中を巡りだす。
勝見君の手が動いたのが分かった。
勝見君の手が、私の手のほんの少し上でとどまっているのがわかる。
時々勝見君のてのひらの感触が私の手の甲に擦れてくすぐったい。
ふんわりとかざされた勝見君の手。
あいまいに乗せられたその手は、私のことを試しているのだろうか。
勝見君の手がまた動いて、私の手から一瞬離れる。
__離さないで。
そう思った瞬間、私は勝見君の指を数本つかまえていた。
顔なんて見れないから、もうこのまま寝たふりを通す。
心臓はうるさすぎて、息も苦しかった。
気づかれないように、鼻で大きく何度も深呼吸を繰り返す。
勝見君の手は、優しくゆっくりと私のてのひらの方に潜り込んでいく。
その動きに合わせるように私も手を動かした。
そうして、手をつないだ。
ドキドキしてるけど、その瞬間、安心した。
すごく温かくて、大きな手に包まれて。
男の子の手って、私たち女子の手とは全然違うんだ。
勝見君が隣でごそごそと動いている。
体を勝見君に預けたまま、その動きを感じていると、ふわりと手に微かな重みを感じた。
手元がまた、じんわりと温かくなってくる。
薄目を開けると、学ランが掛けられている。
つながれた、手の上に。
まるで、この瞬間を守るように。
この時間がずっと続くように。
安心感に満ちた私は、勝見君に甘えるようにすり寄った。
学ランの中でつながれた手と手は、やがてゆっくりと指を絡め始めた。
温かい。
そのぬくもりは、私の心のくすんだ部分を、溶かしていくようだった。


