きみに ひとめぼれ



今日最後の授業は生物だ。

それは急遽、生物室での授業になった。

慌てて生物室に向かうけど、足取りは重かった。

同じ机に勝見君がいて、さらに席は向かいなんだから。



勝見君にもきっと聞こえてたよね。

どんな顔して向かい合えばいいんだろう。

気まずい。

あれ? そもそも何で気まずい?

だって、私たちはそんな仲でもないんだから。

自意識過剰にもほどがある。

でも悲しいのは、あんなことが勝見君に知られてしまって、勝見君とはもう、どんな関係にもなれないと思うからだ。

私の中ではもう終わった話とは言え、勝見君にとってはそうではない。

自分の他に好きな人の存在がちらちらしているのは、誰だって面白くない。



ああ……、そもそも勝見君は、私のことなんて何とも思ってないか。



はーっと何度目かのため息をつきながら生物室に向かった。

慣れない場所で授業をするのは気持ちがいつも落ち着かない。

グループで作業する用の大きな机に、ただの箱のように見える椅子。

教室とは空気や匂いも違うし、窓から見える景色も違う。

高さの合わない机と椅子に違和感を覚えて、気持ちを落ち着かせるように、机を手で何度もさすったり座りなおしたりした。

そうやってそわそわした時間を過ごし、始業のチャイムが鳴ると同時に、対面に慌てて座る人がいた。

勝見君だった。

はあ、はあと息を切らす勝見君を私はちらりと見た。

勝見君はカッターシャツの襟元をふわふわとさていた。

その隙間から、首より下の普段は隠されている部分がちらりと垣間見えてドキッとした。

一瞬目が合ったけど、すぐにそらした。



今日は顕微鏡で植物の葉と茎を観察して、それをレポートに記録する。

またこれだ。

観察して記録。

絵を描かないと。

顕微鏡は1グループ1つで、順番にのぞきながら記録していく。

勝見君は顕微鏡を難なくセットしていく。

顕微鏡の使い方なんて、中学の時にやって以来だから、すっかり忘れてしまっている。


「おお、よく見える」


 勝見君たちは楽しそうだった。

植物の観察なんてさておき、消しゴムのカスを拾って見ていたり、シャープペンの芯を少しつぶして観察したり、他のグループの男子を巻き込んで、全然関係ないことをなぜか一生懸命やっている。

先生に怒られて、ようやく本題に戻った。


観察中はとても静かな時間が流れた。

顕微鏡を交代で見ては自分の席に戻って書き込む。

それの繰り返し。

何度か勝見君と見に行くタイミングが重なりそうになった。

私はそのタイミングを上手くずらすようにしていた。

今日最後の授業なので、書いた人から提出して教室を出ていく。

教室からはどんどん人が少なくなっていくのに、私のプリントは一向に埋まらない。

何度見に行っても、思い通りに描けないではないか。

消しゴムでごしごしと消しながら、ふーっと鼻から息が漏れる。

机にも、いつの間にか私と勝見君しかいない。

勝見君はあの時と同じように、面倒くさそうに頬杖をついてシャープペンを動かしていた。

顕微鏡を見に行く代わりに、時々シャープペンをくるくると回している。

何を考えているのだろう。

勝見君のことが気になって、私も手が止まった。


勝見君は、あの話を聞いてがっかりしたかな。


確かに本田君のことはまだ気になってる。

見かけたら、やっぱかっこいいなあと目で追いかけてしまう。

それは認める。

でも好きなのかと言われたら、自分でも答えはわからない。

失恋して、これからどうすることもできないのに、好きでいたってしょうがないのに、あきらめるしかないのに、どうしてこんなに心が揺さぶられるのか、わからないのだ。

だけど今わかっているのは、私が今何とかしたいと思っているのは、本田君ではない。

勝見君だということ。

勝見君の誤解を解きたい。

目を見て、にっこりとしたい。

また二人で笑いたい。

図書室で、秘密のような時間を過ごしたい。

勝見君の隣にいたい。

私たちの関係は確かに何もないんだけど、だけど私の中で勝見君は、すでに何もない人ではない。


生物室の掃除当番の人が入ってきて、締め切られた窓を全開にしていく。

窓を開けると、風がそよそよと吹いてカーテンを揺らした。

9月も終わりに近づくと、昼間の暑さが残ってはいるものの、最後の授業となるこの時間になるとそんな暑さを和らげる良い風が吹いてくる。

心地よい風が、私たちのプリントを少しだけ揺らしていく。


ふと勝見君のショウジョウバエの絵を思い出した。

上手とは言えないショウジョウバエ。

人のことは言えない出来の私のショウジョウバエ。

あの時間を取り戻せたら。

もう一度、あの時間に。


風がもう一度大きくカーテンを揺らすと、勝見君がこちらに顔を向けた。

目はばっちり合った。

でも、もう目はそらさない。

勝見君も、目をそらそうとしなかった。

その代わり、頬杖をついたまま、首を伸ばして私のプリントを覗き込んでくる。

私はその首の動きに合わせて、無意識にプリントを自分の方に引き寄せた。


「な、なに?」

「見せてよ」

「今回は本当にダメ。我ながらひどい」

「そうだろうね」

「うるさいなあ。勝見君だってそんなに変わんないでしょ」

「俺のも見せようか?」

「別に見せなくてもいいよ」


そんな風に強がって言ってるけど、本当は、めちゃくちゃほっとした。

前と変わらない勝見君が、そこにいたから。


「まあまあ、そう言わずに」


今度は体を机に乗り出して覗き込もうとする。

勝見君の体がぐっと近くなって、思わず体をのけぞらせた。

勝見君の顔がどんどん近くなる。

私はもう顔を上げていられなかった。

ドキドキと心臓が高鳴っていく中で、勝見君の優しい声が耳元にふわりと届いた。


「また、数学教えてあげるから」


 耳が熱くなった。
 
体がぞくりと震えて、プリントをつかむ手の感覚がどんどんなくなっていく。

そっと視線を上げると、勝見君の優しいまなざしが目の前にあった。

私をなだめるような、優しい目。

息ができないほど苦しかった。

嬉しさと安堵の気持ちが一気にあふれてきて、視界がぼやける。



「よかったあ。
  
 また、数学当てられてたんだよね」



何とか笑えた気がする。

これほど数学が当てられてよかったと思ったことはないだろう。


プリントを交換して、「せーの……」も言わず表に返す。

あの時のように。


「下手だなあ」


それは偶然なのか、そこには私たちしかいなかった。

掃除当番の人の姿も気配もない。

それでよかった。

ずっとこのままでいてほしい。

ずっとこのまま、時間が止まってしまえばいいのに。