きみに ひとめぼれ



部室棟の横をずっと奥に行ったところにゴミ捨て場がある。

ゴミ捨て場までの道順を聞いて、誰もやりたがらない理由が分かった。

ただひたすら遠い。

いつも面倒なことからはさっさと逃げているから、当然掃除当番も真面目にやったことはない。

必然、ゴミ捨ての場所も、ゴミ捨てをするという掃除当番の仕事さえ知らなかった。

もう高校二年生の10月末だというのに。

広瀬に「掃除当番なんだからゴミ捨てに行ってこい」とゴミ箱を押し付けられて、何の疑問も抱くことなくここまで来たけど、違和感しかない。

だって俺は、掃除当番ではない気がするから。

通いなれた運動部の部室を通り過ぎると、テニス部のコートがあった。

スコーンと気持ちのいいラリーの音が響いている。

テニスコートを取り囲むフェンスには、キャーキャーとはしゃぐ女子たちの姿があった。

彼女たちの視線の先を追いかけると、そこにはキラキラと輝く本田がいた。

彼女ができたというのに、まだ多くの女子に人気とは。

俺は足を止め、そんな女子たちの隣で、じっと爽やかな本田を見つめた。



「おい」


 聞き覚えのある声に、俺はそちらを見ずに返事をした。


「ああ?」

「何やってんだよ。部活行くぞ」

「なあ、園田」

「ん?」

「俺って、掃除当番じゃないよな?」

「うん」


 即答かよ。


「やっぱりそうか……くっそー、広瀬のヤツ……」

「部活、行かないの?」


こんな状況で、部活のことなんて考えられなかった。

どんな時もサッカーだけはやっていたのに。

今は、それどころではない。

そんな俺とは裏腹に、本田は女子の声援に囲まれながら楽しそうにテニスをしている。


「テニス部ってさ、華やかだよな」


 テニスコートの近くを毎日通って部室に行っているのに、そんなことを今さらながら知った。


「本田は、やっぱりかっこいいな。モテるし」


そんな複雑なことも。


「なんだよ、それ。お前も本田に惚れてんのか?」

「まあ、惚れるわな」


冗談のつもりだけど、今は笑えない。


「坂井さんも……」


ぽつりと小さく出た彼女の名前を、風がひゅーっと音を立ててさらっていく。


「坂井さんは、まだ本田のことが好きなのかな?」


そんなこと、園田に聞いてどうするんだよ。

自分で聞いておいて、ふっと笑いがこみあげてくる。


「そんなの、知るかよ。もう部活行くぞ」


園田はイラついた声をぶつけて俺のもとから去っていった。

俺はその後ろ姿を横目でそっと見つめた。


「そんなの、知らないよなあ」


女子たちの歓声に紛れて、大きな独り言を空に放った。


__「勝見君には関係ないじゃん」


その独り言の返事のように、坂井さんのさっきの一言がチクリと思い出された。


 そうだな、知る必要もないよな。

 だって、俺たちの間には何もないんだから。


 一体、俺に何ができるというのだ。

 何を手伝う気でいたんだ。

 彼氏でもなければ、友達ですらなかった。

 本当に、「関係がない」。

 告白だって、できないくせに。



 
 でも、「関係ない」はないだろ。

 いろいろすっ飛ばして、抱きしめるとこまでいったんだから。

 坂井さんだって……。


俺は坂井さんと過ごした日々を思い返した。

それは、奇跡のような甘い日々。

あの日々の彼女の感覚を呼び寄せるように、自分のてのひらを見つめた。


 形のいい頭や柔らかな髪の毛。

 そこから漂うふんわりと甘い匂い。

 カッターシャツ越しの華奢な体のラインやその柔らかさ。

 冷たくて細い指先と包み込めるほどの小さな手。


あんなに鮮明に覚えていたのに、忘れまいとしていたのに、今はするすると逃げてしまうように感覚の記憶が薄まっていく。

思い出そうとすればするほど、わからなくなる。
 
これ以上どこにもいかないように、俺はぎゅっと手を握り締めた。


「全然関係なくない」


何かをつなぎとめるように、空に向かって力強くそうつぶやいた。

でもその言葉は、高い青の世界へ虚しく吸い込まれていく。

その空に、スコーンと気持ちのいい音が響いた。

本田がスマッシュを決めて、女子たちが「きゃー」っと黄色い声を上げる。

爽やかな笑みをたたえて、本田はラケットを空高く掲げた。


__クッソ……。


あの時、あの勢いで言ってしまえばよかったのか。

「好きだ」って。

「付き合おう」って。

 あの時って、いつだ?

その瞬間は何度もあったはずなのに、そのどの瞬間にも、彼女にその言葉をぶつけることはしなかった。


フェンスを握る手に力がこもる。


 坂井さんは今、どうしているんだろう。

 どこにいるんだろう。

 もっと早く言葉にしていれば、今、彼女を一人にすることはなかったのに。


テニスコートを軽やかに走る本田の様子に見とれていた。

その時、



「勝見君」



 その声の方に、俺はゆっくりと顔を向けた。