きみに ひとめぼれ



 坂井さんと下駄箱まで一緒に降りて、そこで別れた。

 今日も天気が良かった。

まだまだ日差しがきついんだけど、たまにふわりと吹く風が、次の季節の始まりを教えているようだった。

見上げるたびにめまいを起こしてしまいそうだった夏空も、今では少し仲良くできそうなくらい向き合えた。

見上げた空は、どこまでも高く、どこまでも遠い。

ウォーミングアップも真面目に取り組んで、リフティングも調子がいい。

ボールの動きに合わせて体を動かしていく。

ボールだけに集中しているはずなのに、耳が周りのかすかな音を拾い始める。

風がさらさら流れていく音。

木々がざわざわとたてる音。

グラウンドの砂利をこする靴底の音。

スコーンと軽やかにボールを放つ、テニス部のラリーの音まで。


ピーっと集合の合図が鳴る。

いつもはのろのろと走っていく俺の足が今日は違った。

足に力がこもる。

心臓まで、なぜだかどくどくと高鳴り始める。

神経が研ぎ澄まされて、自分が自分じゃなくなっていく感覚になる。


なぜだろう。

どうしてこんなにも気持ちが落ち着かないのだろう。

胸がざわついてしょうがなかった。

そわそわとする気持ちを何とか落ち着かせようと、体操服の胸のあたりをぐっとつかんだ。
 

練習が始まる。

俺はいつものようにボールを拾って相手を蹴散らせる。

そして順調にゴール前まで運んでパスを出す。

ボールはきれいな放物線を描いて、拾ってもらいたい相手の足元に正確に落ちる。

すべていつも通りに。

もちろん俺がゴールを決めてはいけないという決まりはない。

これは、チームプレーなのだ。

さあ、次はどう動こうかと全体を見渡した。

広いグラウンドと、そこに聳えるようにして建つ校舎。

いくつもあるその窓の一つに、俺は目を奪われた。

心臓が一段と早くなる。


そこにいたのは、先ほど下駄箱で別れたはずの、坂井さんだった。


彼女は窓際で頬杖をついてこちらを見下ろしていた。


__なんで……


だけどその答えなんて、どうでもよかった。

俺は足で止めていたボールをゆっくりと転がし始めた。

だんだんそのスピードを上げていく。

まっすぐと一点を見つめてグラウンドを駆け抜ける。

はるか遠くにあるゴールネットまでの道筋に立ちはだかるものなんて、ひとつもなかった。

俺の目に映るのは、ゴールネット、それだけだった。

俺はもうほとんど無意識にボールをけり上げた。


思い切り、強く。


ボールは気持ちよくゴールネットに突っ込んでいった。


爽快な音が、高い空に響いた。


周りは一瞬しんとなる。


シュートが決まったのを見届けて、すぐに教室の窓を確認した。

彼女は目を大きくして、ゴールネットから離れていくボールの行方を追っていた。

俺は、彼女が自分をその目にとらえてくれるのを待った。

ピッという鋭い笛の音で、ようやく時間が動き始めた。

「ナイッシュー」というけだるい声が方々から聞こえる。

俺の意識の、遠くの方で。


「おい勝見ー、何やってんだよ。ワンマンショーかよ」

「ああ、わりぃわりぃ」


広瀬が俺に不服そうに申し立てる。

そんな声すら俺にはどうでもよかった。

俺にはもう、彼女しか見えていない。

彼女の視線が、ゆっくりと俺に向けられる。

視線が合った彼女に向かって、俺は両腕を上げて大きく手を振った。

周りの視線とか、柄でもないことをしていることなんて、全然気にならなかった。

そんな俺に、彼女は「うん、うん」と何度か小さく首を動かした。

その表情は穏やかで、とても満足そうだった。

両手をぱたんと下ろして、俺は空に向かってひとつ大きく息を吐いた。

雲一つない青空がそれを吸い込んでいくのをただじっと見つめた。


__ほんとだ、シュートって、きもちいい。


初めてそんなことに気づいたみたいに、笑いがこみあげてくる。

こんなにすがすがしい気持ちのはずなのに、なぜかドキドキと心臓がうるさく俺を急き立て始める。


 なんだろう、この心臓の速さは。

 胸が苦しくなってくる。


気づいたら、走り出していた。

まるで、体が引っ張られているようで、自分の体ではないようだった。

どこへ行こうとしているかは、何となくわかっていた。


__行け。


 そんな自分の声が、遠くから聞こえていたから。