笑っていたい、君がいるこの世界で

【トキカプアップデートのお知らせ。五月一日、〇時~〇時にアップデートを予定しております。キャラクターデザインに一部変更がありますので、あらかじめご了承ください】
 家に帰ってトキカプを開いた私は、そんなお知らせを読んだあと、アラタとのチャット画面をタップした。
【お疲れ。今日はどんな一日だった?】
 アラタの言葉に、しばらく考える。どんな一日だったか、そんなのひと言では言い表せないからだ。
 勉強机の椅子にゆっくりと腰を下ろし、すごく長い息をつく。天井を見上げ、いったん目を閉じて、また開いた。
「……まだドキドキしてる」
 入学してからずっと、地に足がついていないような、上がったり下がったりするような、そんなふわふわした気持ちだった。それが今日、しっかり学校という場所に足をつけて立てたような気がする。その高揚感に、まだ心のなかが忙しない。
 事件事故のような大きな衝突があったわけじゃない。けれど、自分にとっては、きっと人生で数えるくらいの大きな変化の一日だった。たしかにそう言える。
【怒涛の一日だったよ】
【ハハ。そんなに忙しかったのかな? 俺の声を聞いたら、疲れが取れる?】
 いつもの優しい台詞に微笑むも、以前とはまったく違う心持ちだ。
【疲れてないよ。ありがとう】
【俺はミヒロの味方だからさ、ミヒロにはいつも笑顔でいてほしい】
 味方……か。
 私はスマホを机に置いて、椅子の背に体重をかけた。ギッと音がすると同時にまた目を閉じて、考える。
 全部受け止めて受け入れてくれるアラタが、今までの私の最大の味方だった。その言葉に癒されて励まされて、高校に通えるまでに心が回復したのは事実だ。
 でも、本当の味方ってなんなんだろう。私をいつでも肯定してくれる人が、味方なのかな?
『偉いし、頑張ってるよ、紺野は』
『否定的な意見だけ大きく受け取るのは、やめたほうがいいと思うよ』
『変な頑張り方しなくても、ありのままの紺野のことを受け入れてくれる人間て、やっぱり絶対いると思うんだよね』
『なんで中途半端にあきらめるんだよ。なんで人にわかってもらおうってしないわけ?』
 思い出すのは、怖がっていたリアルな 世界の、リアルな言葉の数々。
『なんで、自分の意に反して同調したり、愛想を振りまいたりしないといけないの? なんで、それが“できて普通なこと”になってるの?』
『紺野さんといると、いろいろ話せる。受け入れてくれる雰囲気が出てるからかな』
『そうよ、紺野さんも悪い!』
『私が信用できなかった? 引きこもりだったって知って、笑うとでも思ったの? そんなわけないじゃない!』
 肯定だけでも否定だけでもない、相手の心の底からの言葉。その熱量と、行動。
 だからこそ、私の心と体も動いたのかもしれない。そして、自分が本当になりたい自分がどういう人間なのか、考えるきっかけになったのかもしれない。
【そのままでいいんだよ】とアラタは言った。だけど……。
「なりたい自分……」
 つぶやいた私は、自分の部屋を出て、お母さんがいる台所へと向かった。
「お母さん。私、髪切ろうと思う」
 うしろ姿にそう声をかけると、菜箸を持っているお母さんが横顔で振り返り、口角を上げた。
「いいんじゃない?」
「今日はグループワークで学習しようと思います。今後様々なメンバーで組んでもらいますが、今日はとりあえず仲間内で五人ずつグループを作ってください」
 翌週の月曜日、授業に入ってすぐに先生がそんなことを言った。
“とりあえず仲間内で”……なんて恐ろしい言葉なのだろう。入学して間もないというのに、友達のいない人間には非常に酷なNGワードだ。
「俺、紺野がいるグループがいい」
 みんなが席を移動する前にそう言った大田くんに、教室内のみんながぎょっとした。私も驚いて隣の大田くんを見ると、大きな伸びをしながら「よろしくー」と横目で見る。
 がやがやとグループで集まりだす男女たち。大田くんに、「よ、よろしく」と返していると、神谷さんが来た。
「いい?」
 それだけ言われ、私はこくこくとうなずく。嬉しくて、頬がゆるんでしまった。
「紺野、オオタン。俺も一緒にお願い」
 そこに坂木くんも手を上げながら歩いてくる。そして、その背後をついてきた江藤くんも、控えめに手を上げた。
「えーと、俺もできれば……」
 神谷さんが明らかに眉間にシワを寄せたけれど、江藤くんがあまりにも頭を下げるものだから、しぶしぶ了承している。そして、あっという間に、五人グループができあがってしまった。
「えー、今から用紙を配布しますが、それぞれに割り当てられた内容をまとめて、明日代表に発表してもらいます。この時間内に終わらなければ、今日中に協力して仕上げてください」
 先生の説明を聞きながら、教室でこの四人に囲まれている状況にソワソワして膝をこすり合わせる。不思議な気持ちと嬉しい気持ちが混ぜ合わさっている。
「紺野さん、思い切ったわね」
 先生の説明が終わって各自話し合いや調べものに入ると、神谷さんが急に声をかけてきた。指をはさみのかたちにし、自分の髪の毛を切るような仕草を見せてくる。
「似合ってる」
 その言葉に「ありがとう」と返して、自分の髪に触れてみた。自分史上一番短いボブヘアにした髪は土曜日に切ったのだけれど、まだ慣れなくて首もとがスースーする。
「うん、びっくりしたけど似合ってる。俺、そのくらいの長さ、好きなんだよね」
  坂木くんも身を乗り出して言ってきた。アラタが長い髪が好きだから、てっきり坂木くんもかと思っていた。
「坂木って、ホント、ナチュラルタラシだよな?」
「違うよ。本音を言っただけだって」
「ほら、そういうところ」
 わちゃわちゃしている坂木くんと江藤くんの横で、大田くんは頬杖をつきながらウトウトしている。今のところ、真面目に調べものをしている人は皆無だ。
「あのさ、とりあえず手分けしよう。私と神谷さんはここをまとめるから、坂木くんたちはこれを調べて。あ、付箋はこれ使っていいよ。発表の流れも決めなきゃね。この部分で問題提起をして、これを最後に持ってきたら締まると思うから……」
 このままじゃ一日やっても終わらないと思った私は、効率よく進められるように提案する。そしたら、坂木くんが腕組みをしてうなずきながら、
「どうよ?」
 と江藤くんに言った。
「なんで坂木が得意げなんだよ」
 江藤くんのツッコミに、神谷さんもプッと噴き出していた。
「おい、オオタン、起きろ」
 授業が終わる間際まで居眠りしていた大田くんの頬を、坂木くんがつつく。大田くんは結局、ほとんどこんな感じだった。目が開いてもまたうつらうつらと微睡んでいる。
 とうとう鐘が鳴ってしまい、私は大田くんの肩を揺らした。
「大田くん、起きて」
 すると、またいつかのように手をパッとつかまれ、大田くんがガタンッと椅子の音を響かせた。私をまた刺客だと思ったのだろうか。
「あ、ごめん、また」
 椅子の音で注目され、手を握られているのを見られて、周りの目が一気に好奇の色になる。さっきのこともあって、なおさらどういう仲なのかを疑われているみたいだ。そうじゃなくても、私の周りにこの四人が集まって不思議だと思われていそうなのに。
 ……あれ? そういえば、と私は思った。あんなに怖かったみんなからの注目の視線が、怖くない。
 先生が授業の終わりを告げ休み時間に入ると、解散しようとした私たちを坂木くんが呼び止めた。
「なーなー、せっかく集まってるから、ウノしない?」
「ウノ? そんなの……」
「あるんだな。家から持ってきた。妹のだけど」
 江藤くんにしたり顔でそう言って、バッグからウノを取ってきた坂木くん。嬉しそうにケースから取り出し、私たちを座らせる。
 大田くんは休み時間に入ると目をパッチリと開け、腕まくりをし始めた。神谷さんも席へは帰らず、肘を抱いて前のめりだ。江藤くんは、「仕方ねーなー」なんて言って、私と神谷さんの間に座りなおした。
 私は、まさかこのメンバーでカードゲームをすることになるなんて、と思い、江藤くんと大田くんにはさまれて背筋を伸ばす。
 時計回りにカードを一枚一枚真ん中に重ねていると、江藤くんが口を開いた。
「しかしさー、大田と紺野って、いつの間に仲よくなったの? グループ分けのときもすぐ指名してたし」
「や、あの、仲よくというほどでは」
 やはりなにか誤解されているようで素早く否定すると、大田くんが山から一枚カードを取りながら答える。
「広報委員の仕事に協力してくれた。紺野は有能だし、頼りがいがある」
 すると、それを聞いた神谷さんが片眉を上げた。
「ていうか大田くん、新聞作りのときもさっきも、ほぼ寝てたでしょ? 自分が楽をしたくて、紺野さんを利用しようとしてない?」
「グループにひとりいると、心強い」
「なんかそう言って押し切ろうとしてる?」
 大田くんと神谷さんが言い合いをしている。その様子が新鮮で、なんだか微笑ましい。
「ちゃんと感謝してる」
 大田くんは、あのクレーンゲームのときと同じように、私の頭に手のひらをのせた。すると、それを見た江藤くんが首をかしげる。
「もしかして、あの中庭で見たLIME相手って大田だった?」
「え?」
「俺、坂木だって思いこんでたけど、実は紺野と大田がいい雰囲気? てか、付き合ってる?」
 江藤くんは耳打ちするように私に聞いてきたけれど、完全に声が漏れている。円になっているのだから当たり前だ。三人とも江藤くんと私に注目していた。
「エトジュンさ、本人たちの前でダイレクトに聞くクセやめろよ。お前のそのクセのせいで揉め事が起きるんだよ」
 坂木くんがあきれたように、「リバース」と続ける。
「俺が好きなのは神谷。あ、ちなみに、ウノ」
 すると、大田くんがカードを出しながらそう言った。次の番の私は手が止まり、横目で神谷さんを見る。神谷さんは、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をしていた。